2009年07月16日
あまり論評は、したくないのですが。
日本の領土問題とは、関係がありません。
しかし、全国第二位のポータルサイトである「Daum」の議論コーナーである「アゴラ」に、堂々と間島(カンド)の領有権を主張する有志の、募金の告示が張られていた。(告示の内容は、本記事の続きの部分に日本語訳とともにあります。)
これは、どうしたことであろうか。
間島とは、韓国側の呼称であって、現在朝鮮族が多く住む満州(中国東北部)東部の地区のことである。
間島が、歴史上韓国とその起源である諸王朝の版図であった歴史があった、という事実を、私は残念ながら絶えて知らない。
現在の韓国(および北朝鮮)は、新羅→高麗→李氏朝鮮の各王朝の王統の後継国家であることは、政治的、地理的、および文化的連続性から、明らかである。
確かに、歴史上「高句麗」「渤海」という国家は、存在した。そして、「高句麗」は、現在のピョンヤンを首都として、半島北部からひろく遼東半島、満州、沿海州近辺にまで版図を広げていた。「渤海」は、その高句麗が滅亡した後に、政権によって遼西地方に追放されていた部族が新たに建国した。渤海は高句麗の後継国家であると自称し、その版図は沿海州と満州に及んでいた。
これは、確かなことだ。
しかし、「高句麗」「渤海」は、現在の韓国とは、残念ながら直接には何の関係もない。
これらの国を運営した集団は、結局契丹(キタイ)や女真(ジュルチン)といった諸部族の国家に吸収されて、あるいは正しく半島を支配していた王朝のもとに脱出して、すでに現在に痕跡をとどめていない。
間島に、李朝末期移民が入り込んで、清朝との間に領土紛争が起こった。これもまた、事実である。この移民たちは、半島で深刻化していた飢饉と暴政を逃れて、越境していった農民たちであった。
後に、彼らは耳を塞ぎたい心持であろうが、日帝占領時代に日本が南満州に事実上の支配権を打ち立てた条件下、朝鮮族が豆満江を越えて陸続と開拓移民として、移住していった。これらが、現在の中国領内にいる朝鮮族の、大多数の起源である。近代になってからの移民であって、古代の朝鮮史とは何の関係もない。清朝と李氏朝鮮の境界は現在の北朝鮮と中国との国境線で早くから明確に確定していて、そこからの越境民は全て不法移民として、李朝もまた処理していたのであった。
移住していった朝鮮族と漢族・満洲族との緊張が、1931年7月の万宝山事件で爆発することとなった。日本当局は、結局この事件に象徴される民族紛争を、満州を自らの直接管理下に置くことによって解決することを企み、同年9月の満州事変につながっていった。
日本の帝国主義は、批判されるべきことである。
しかし、朝鮮族は、彼らに罪があったわけではないとはいえども、無主の土地に移民していったわけではなかった点だけは、認識するべきではないだろうか。(私が罪がないと言っているのは、人の流れに関してのことである。万宝山事件の後に朝鮮域内で起こった朝鮮人の中国人への一方的な集団虐殺事件は、罪がないと笑って済ませるわけにはいかない。この事件については、まず日本語版Wikipediaを参照して、中国語版と朝鮮語版との記述の違いを比較するのがよいであろう。それから後、虐殺事件が果たして日本の意図的謀略であったのか、それとも偶発的事件であったのかの評価を、行うべきであろう。だが、この評価については、いまだに意見が一致しているようには見えない。)
ましてや、現在朝鮮族が居住しているから、間島にKoreanは領有権を持つ、と本当に言えるのであろうか。その理由としてはるか古代の歴史を持ち出すのは、外国人の私にとっては、民族ロマンティシズムの神話を弄んでいるようにしか、見えない。聖書に書いてあるからユーフラテス川はイスラエル領だと主張する一部の聖書ファンダメンタリストや(誤解ないように言っておくが、イスラエルでは、たとえ右派であってもこのような主張はしていない)、彼らの経典に書いてあるから南北アメリカはもともと白人の領土であったと主張する一部の非主流派モルモン教徒と、どのぐらい違うのであろうか。
救われるべきは、この間島への関心が、募金の本文に書かれているように、国民の関心としては、リアンクール・ロックス(日本名竹島、韓国名独島)ほどには、大して高そうにないということである。できるならば、ロマンティシズムをまぜこんだ政治的主張は、一部学生の観念の遊戯であってほしい。
間島が韓国領であると主張している諸兄は、いったい韓国という国家が多様な民族を包含することに寛容な国づくりを現在行っているのか、自問自答なさることを、薦めたい。間島に住んでいるのは、韓民族だけではないです。もし間島を領有なさったら、漢族や満族、蒙古族、その他少数民族を、どのように扱われるつもりであるか?
![z2[1] アゴラに掲載されていた地図。](http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/z21-300x186.jpg)
上は、アゴラに掲げられていた地図。左は、間島が韓国領であるという主張の一根拠となっている、外国人宣教師が作成した地図。右の地図の出典はよく分からないが、あるいは二十世紀初頭にカトリック教会が作成した教区分割図から、作成したのかもしれない。ところが、李氏朝鮮時代にかんじんの朝鮮人側が作成した地図は、間島を領域とみなしていなかったのである。それぞれの地図の説明は、英語版Wikipediaを参照。
【募金文の、日本語訳】
私たちの五千年の歴史(注1)とともにあった、間島!
私たちの先祖らの息遣いが生きていた、間島!
間島は、大韓帝国時期、間島管理社まで派遣管理された、私たち大韓民国の誇らしい領土でした。
しかしそういう間島の運命は、日帝が不法に清国に譲渡した間島協約(注2)により、領土の主人が変わりました。 我が国は「間島協約」以後36年間の日帝強占期と、分断と、戦争と、そして南北対峙の民族的不幸を体験し、かれこれ100年に至るまで、間島協約が無効であることをまともに主張できませんでした。
その間中国は、いわゆる東北工程(注3)と白頭山(ペットゥサン)工程を大々的に実行し、私たちの古代史をわい曲して横取りすることによって、最終的に私たちの土地である間島を永久的に占拠する下心を表わしています。
もう私たちは、民族的自覚をするべきです。 私たちが私たちの土地である間島を取り戻すことができなくて、私たちの土地である独島(注4)を守ることができますか?
今から4ヶ月しか残っていませんが。来る2009年9月4日は、間島を奪われてちょうど100年になります。 私たちの世代で「取り戻さなければならない私たちの土地」である間島を取り戻さなければ、永遠に忘れられることになるかも知れません。そうなれば、私たちは2009年9月4日を国恥日として残すことになります。
皆さんの関心が、日本が奪おうとしている独島を守ることだけでなく、日本が勝手に売り払った私たちの土地間島を取り戻すのことにも、大きな力になります。 すぐに成功するのではないが、今私たちが最大の関心を発信するならば、10年、100年後には、必ず私たちの土地となることでしょう。
また「間島取り戻し運動本部」に所属している大学生5人で成り立った「間島ピープル」は、私たちの土地である間島をよく分からない私たちの国民に、間島を知らせて間島協約の不当さを知らせようと、「自転車全国一周」を準備して、7月13日に出発する予定です。
皆さんの、ささやかな関心と応援、お願いします。
(注1)野史(ヤサ、非公式の歴史書)である『三国遺事』で言及されている、紀元前2333年に壇君(タングン)が即位したことを、朝鮮建国の始まりであるとする主張を指す。ちなみにこの年代では、中国やインドですら王朝が成立していた証拠を、見出すことができていない。
(注2)1909年に日本と崩壊寸前の清朝との間で合意された協約。日本は満州域内の鉄道権益を得る代わりに、間島が清朝領であることを保障した。この時期「大韓帝国」の外交権は完全に日本に奪われていたので、協約は「大韓帝国」が当事者ではなかった。[英語Wikipedia記事]
(注3)1997年から中国社会科学院が開始した、満州(東北部)の歴史に対する見直し工程。このプロジェクトの結果高句麗・渤海が中国の地方政権であると位置づけられたために、韓国側が猛抗議を中国に行った。[日本語Wikipedia記事]
(注4)言うまでもなく、日本名は「竹島」。
【韓国語の、募金原文】
우리의 반만년 역사와 함께 한 간도!
우리 조상들의 숨결이 살아 숨쉬던 간도!
간도는 대한제국 시절 간도관리사까지 파견하여 관리되었던 우리 대한민국의 자랑스런 영토였습니다.
그러나 그러한 간도의 운명은 일제가 불법으로 청나라에 넘긴 간도협약으로 인해 영토의 주인이 바뀌었습니다. 우리나라는 ‘간도협약’ 이후 36년간의 일제 강점기와 분단과 전쟁 그리고 남북 대치의 민족적 불행을 겪으면서 100년이 다 되도록 간도협약이 무효임을 제대로 주장하지 못하여 왔습니다.
그러한 사이 중국은 이른바 동북공정과 백두산공정을 대대적으로 실행하여 우리 고대사를 왜곡하고 가로챔으로써 궁극적으로 우리 땅 간도를 영구적으로 차지하려는 속셈을 드러내고 있습니다.
이제 우리는 민족적 자각을 해야합니다. 우리가 우리 땅 간도를 되찾지 못하고, 우리땅 독도를 지켜내지 못해서야 되겠습니까?
앞으로 4개월 밖에 남지 않았습니다. 돌아오는 2009년 9월4일은 간도를 빼앗긴 지 꼭 100년이 됩니다. 우리 세대에서 ‘되찾아야 할 우리의 땅’ 간도(間島)를 찾지 못하면 영원히 잊혀지게 될 지도 모릅니다. 그렇게 된다면 우리에게 2009년 9월4일은 국치일로 남게 될 것입니다.
여러분의 관심이 일본이 빼앗으려는 독도를 지키는것 뿐만아니라 일본이 마음대로 팔아넘긴 우리땅 간도를 되찾는데에도 큰힘이 됩니다. 꼭 당장 이루어지는것은 아니지만 지금 우리가 무한한 관심을 보낸다면 10년,100년뒤에는 반드시 우리의 땅이 되어 있을것입니다.
또한 ‘간도되찾기운동본부’에 소속되어 있는 대학생 5명으로 이루어진 ‘간도피플’은 우리땅 간도를 잘모르는 우리국민들에게 간도를 알리고 간도협약의 부당함을 알리고자 ‘자전거 전국일주’를 준비하여 7월 13일에 출발 예정에 있습니다.
여러분의 작은 관심과 응원 부탁드립니다.
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