高句麗

間島は、韓国領であるのだろうか?

あまり論評は、したくないのですが。

日本の領土問題とは、関係がありません。

しかし、全国第二位のポータルサイトである「Daum」の議論コーナーである「アゴラ」に、堂々と間島(カンド)の領有権を主張する有志の、募金の告示が張られていた。(告示の内容は、本記事の続きの部分に日本語訳とともにあります。)

これは、どうしたことであろうか。

間島とは、韓国側の呼称であって、現在朝鮮族が多く住む満州(中国東北部)東部の地区のことである。

間島が、歴史上韓国とその起源である諸王朝の版図であった歴史があった、という事実を、私は残念ながら絶えて知らない。
現在の韓国(および北朝鮮)は、新羅→高麗→李氏朝鮮の各王朝の王統の後継国家であることは、政治的、地理的、および文化的連続性から、明らかである。

確かに、歴史上「高句麗」「渤海」という国家は、存在した。そして、「高句麗」は、現在のピョンヤンを首都として、半島北部からひろく遼東半島、満州、沿海州近辺にまで版図を広げていた。「渤海」は、その高句麗が滅亡した後に、政権によって遼西地方に追放されていた部族が新たに建国した。渤海は高句麗の後継国家であると自称し、その版図は沿海州と満州に及んでいた。
これは、確かなことだ。

しかし、「高句麗」「渤海」は、現在の韓国とは、残念ながら直接には何の関係もない。
これらの国を運営した集団は、結局契丹(キタイ)や女真(ジュルチン)といった諸部族の国家に吸収されて、あるいは正しく半島を支配していた王朝のもとに脱出して、すでに現在に痕跡をとどめていない。

間島に、李朝末期移民が入り込んで、清朝との間に領土紛争が起こった。これもまた、事実である。この移民たちは、半島で深刻化していた飢饉と暴政を逃れて、越境していった農民たちであった。

後に、彼らは耳を塞ぎたい心持であろうが、日帝占領時代に日本が南満州に事実上の支配権を打ち立てた条件下、朝鮮族が豆満江を越えて陸続と開拓移民として、移住していった。これらが、現在の中国領内にいる朝鮮族の、大多数の起源である。近代になってからの移民であって、古代の朝鮮史とは何の関係もない。清朝と李氏朝鮮の境界は現在の北朝鮮と中国との国境線で早くから明確に確定していて、そこからの越境民は全て不法移民として、李朝もまた処理していたのであった。
移住していった朝鮮族と漢族・満洲族との緊張が、1931年7月の万宝山事件で爆発することとなった。日本当局は、結局この事件に象徴される民族紛争を、満州を自らの直接管理下に置くことによって解決することを企み、同年9月の満州事変につながっていった。

日本の帝国主義は、批判されるべきことである。
しかし、朝鮮族は、彼らに罪があったわけではないとはいえども、無主の土地に移民していったわけではなかった点だけは、認識するべきではないだろうか。(私が罪がないと言っているのは、人の流れに関してのことである。万宝山事件の後に朝鮮域内で起こった朝鮮人の中国人への一方的な集団虐殺事件は、罪がないと笑って済ませるわけにはいかない。この事件については、まず日本語版Wikipediaを参照して、中国語版と朝鮮語版との記述の違いを比較するのがよいであろう。それから後、虐殺事件が果たして日本の意図的謀略であったのか、それとも偶発的事件であったのかの評価を、行うべきであろう。だが、この評価については、いまだに意見が一致しているようには見えない。)

ましてや、現在朝鮮族が居住しているから、間島にKoreanは領有権を持つ、と本当に言えるのであろうか。その理由としてはるか古代の歴史を持ち出すのは、外国人の私にとっては、民族ロマンティシズムの神話を弄んでいるようにしか、見えない。聖書に書いてあるからユーフラテス川はイスラエル領だと主張する一部の聖書ファンダメンタリストや(誤解ないように言っておくが、イスラエルでは、たとえ右派であってもこのような主張はしていない)、彼らの経典に書いてあるから南北アメリカはもともと白人の領土であったと主張する一部の非主流派モルモン教徒と、どのぐらい違うのであろうか。

救われるべきは、この間島への関心が、募金の本文に書かれているように、国民の関心としては、リアンクール・ロックス(日本名竹島、韓国名独島)ほどには、大して高そうにないということである。できるならば、ロマンティシズムをまぜこんだ政治的主張は、一部学生の観念の遊戯であってほしい。
間島が韓国領であると主張している諸兄は、いったい韓国という国家が多様な民族を包含することに寛容な国づくりを現在行っているのか、自問自答なさることを、薦めたい。間島に住んでいるのは、韓民族だけではないです。もし間島を領有なさったら、漢族や満族、蒙古族、その他少数民族を、どのように扱われるつもりであるか?

アゴラに掲載されていた地図。

上は、アゴラに掲げられていた地図。左は、間島が韓国領であるという主張の一根拠となっている、外国人宣教師が作成した地図。右の地図の出典はよく分からないが、あるいは二十世紀初頭にカトリック教会が作成した教区分割図から、作成したのかもしれない。ところが、李氏朝鮮時代にかんじんの朝鮮人側が作成した地図は、間島を領域とみなしていなかったのである。それぞれの地図の説明は、英語版Wikipediaを参照。

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