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	<title>韓国・中国・台湾・日本を調べ、旅行し、味わうサイト。それが、アジアのとうふです。 &#187; 慶尚道</title>
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		<title>Korea! 2009/02/14</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Feb 2009 10:09:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[101韓国旅行記]]></category>
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		<category><![CDATA[韓国]]></category>

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		<description><![CDATA[明日より、ちょうど一週間、韓国に行くことにした。
1月末日、以前共に香港に行った夕映舎代表氏と飲んで、今年のことについて話し合ったときに、旅立つことを決めた。
東アジアを、知りたい。
しかし、韓国について、今の私は何も知らない。
自分が価値判断をするときの原風景となるべき印象を持っていない、ということが、この隣国に対して私がまともに何も言うことができない理由となっている。
だから、酒の席のはずみではあったが、行こうと決めた。
翌日、パスポート用の写真を取り（ついでに、散髪した）。
翌々日、府庁に行ってパスポートを申請し（以前の台湾旅行の直後で、期限切れだった）。
その日のうちに、韓国語会話の本を買って、にわか仕込みで韓国語を勉強し始めた。
ハングルは、一週間で覚えることができた。
この文字は、確かに彼らが誇るのも故なしとは、言えない。
韓国語の発音は日本語よりもずっと複雑なものであるが、ハングルはこの言葉の音韻を、余すところなく、そして不足もなく、ぴっちりと合理的に表すことに成功している。
まさしく、韓国人のために作られた、韓国人のための文字。外国人は、この合理的な文字を覚えさえすれば、少なくとも読むことができて、かの国に入るとっかかりを得ることができる。
- というよりも、ハングルを覚えなければ、韓国ではたぶん完全に文盲になりそうだ。
インターネットの韓国語サイトなどをこの二週間いくつも開けてみたが、画面の上にハングルしかない。
漢字が、誇張ではなく、一字たりともない。
それどころか、英語すら、ほとんどお目にかかれなかった。
漢字を国語から追放し、ハングルに純化する教育政策は聞いていたが、正直言ってここまで徹底的であるとは、思っていなかった。
旅行まで二週間しかないので、単語を覚えることは、あきらめた。
ハングルを何とか読みこなす訓練と、後は文法だけざっと学習して（韓国語の文法は、じつに日本語に似ている）、旅行への準備とした。
明日から、慶尚道を中心として、七泊八日の旅行をする。
ソウルへは、たぶん行かないだろう。
韓国で行きたい所の優先順位をつらつらと考えてスケジュールを大まかに立てて見たら、ソウルが弾け飛んでしまった。
私の今回の旅行は、まず対馬海峡を渡って隣国に行くことを決めた後に、行く日数だけ先に固めて、往復の航空券を予約した。
どこに行くのかは、それから考え始めた。韓国という国に行きたいという思いが私にとってまず先にあって、具体的にどこに行きたいのかは、旅立つことを決めた時にも、はっきりとイメージしていなかった。
自然と、故司馬遼太郎氏の旅行記に、手が伸びた。
司馬遼は、戦後1971年に初めて、韓国の土を踏んだ。
彼はその前に、戦前学徒動員によって戦車兵であった頃、配置されていた満州から戦車隊と共に内地に配転される途上で、鉄道で半島を南下して、釜山港に降り立ったことがあった。彼にとっては、それ以来の韓国であった。
司馬遼の旅行は、かつて戦車を操って降り立った釜山から始まり、金海（キメ）、慶州（キョンジュ）、倭城（ウェソン）、友鹿（ウロッ）、そして扶餘（プヨ）を訪ねた。古代朝鮮の加羅、新羅、百済の三国の故地に、それぞれ触れた旅行であった。（もう一つの古代朝鮮の大国である高句麗の地には、行けるはずもなかった。ピョンヤンを中心とするその土地は、司馬遼の旅行から三十八年も経っているのに、まだ他国人は行くことができない。）
旅行記の中の、慶州を描いたくだりが、実に読んで心地よい。
老松の林の下に、古代の歌垣の習俗の名残のごとく、舞い踊る人たち。
私が行くのは寒い季節だから、司馬遼が逢った春の踏青の頃の風景を見られそうにもないが、それでも慶州には必ず行こう、と彼の『街道をゆく』を読み終わって、思った。
慶州に行こうと心に決めてから、慶州の土地を調べるために、GoogleMapに手を伸ばした。
だが、地図がない。
去年オリンピックに滑り込みで間に合わせるかのように、大陸中国にもようやくGoogleMapがお目見えしたところだ。
しかし、韓国のGoogleMapは、いまだに空っぽのままだ。
きっと、軍事的配慮であろう。大陸中国や台湾よりも、当局がもっともっとナーバスであることは、現状では致し方がない。
（これは、後に書いている。韓国には、国全体を表示することができる、独自のオンラインマップが、すでに存在している。私は、釜山市の英語観光サイトから、それを確認した。だから、オンライン地図を当局が規制しているわけでは、たぶんない。）
（さらに、六月時点で追加して書く。ついに、GoogleMapに韓国の地図が導入された。大陸中国よりも、ちょっとだけ遅かった。）
やむないことで、名所旧跡のある区画の、だいたいの縮尺だけをPCの画面に定規を当てて、拾ってみた。
定規の長さを、そのまま京都の上に当てて、自分が見当違いをしていることに、気が付いた。
慶州盆地は、想像していたよりも、ずっと広い。
必ず行って見たいと思った土地の一つの掛陵（クェヌン）と慶州市街地との距離は、定規が京都御所から伏見稲荷をすっ飛ばして、伏見城下すら突き抜けてしまった。
新羅の王城、慶州盆地は、ちょうど奈良盆地のように広々と遺跡が点在している。
数多い石仏群などは、山を歩けばそれで一日が終わってしまいそうだ。
これは、一日で回って済む古都ではない。
そういうわけで、慶州を最低二日、旅程に取った。
後、山を見てみたいと思ったので、著名な海印寺（ヘインサ）に一日。
釜山にも、一日。秀吉のあの無理無謀な半島遠征軍が、緒戦で李氏朝鮮（イッシチョソン）軍と激戦して、朝鮮軍が全滅した東莱邑城（トンネウプソン）の跡が、いま釜山郊外に公園として整備されているのを発見した。釜山には、文禄・慶長の役（これは、日本史での名称。現在の韓国では、イムジンウェラン &#8211; 壬辰倭乱 -、チョンユジェラン &#8211; 丁酉再乱 &#8211; と呼ぶ）の遺跡が、他にもいくつかある。
後、海岸に李舜臣（イ・スンシン）の戦跡を訪ねて、一日。
こうやって予定を組んでみると、到底ソウルに向かう日が足りなくなった。
まあ、よいかと思った。
私が勝手に作り上げたイメージとして、ソウルは東京と同じく、東アジア型帝国の首都である。
中国、韓国、日本という、古代以来中央集権国家として文明のパターンを築き上げて来た三国にとって、首都とはただの一都市ではない。その帝国が版図とする人材の、最良の上澄みの部分がことごとく吸い寄せられて、その版図とする文明の全てがある。
全てがあるから、たぶん東京と同じく、何でもあるだろう。
だが、独自なものは、すでに現在の東京と同じで、壊れて残っていないだろう。そして、西洋から受け取った文物ならば、きっと東京とソウルは同時に受け取って、同水準になってしまっているはずだ。情報化時代とは、そういうものだ。
私は東京にも結構長らく住んで、東京をある程度知っている。だから、今回の旅行で韓国の地方を回れば、もう韓帝国の首都ソウルはパスしてもよいかな、と思った。
旅先の旅館には、ノートPCを持ち込む。デジカメのデータを毎日吸い取っておくためと、ネットに接続して毎夜にメモを残すために。そういうわけで、今夜から旅行中毎晩更新する予定。

以下の旅行記は、日付を見れば分かるように、韓国旅行をしている夜に、ライブで書き始めました。
私がその時々に思ったことを残すために、書いた内容を最大限、残しています。ただし、帰国してから、調べものをして追加をしたり、明らかな誤解があったために訂正をしたり、それはしています。
旅行中は毎晩ソジュ（焼酎）をひっかけていたので、多く書けませんでしたが。ハハハ。
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			<content:encoded><![CDATA[<p>明日より、ちょうど一週間、韓国に行くことにした。<br />
1月末日、以前共に香港に行った夕映舎代表氏と飲んで、今年のことについて話し合ったときに、旅立つことを決めた。<br />
東アジアを、知りたい。<br />
しかし、韓国について、今の私は何も知らない。<br />
自分が価値判断をするときの原風景となるべき印象を持っていない、ということが、この隣国に対して私がまともに何も言うことができない理由となっている。<br />
だから、酒の席のはずみではあったが、行こうと決めた。<br />
翌日、パスポート用の写真を取り（ついでに、散髪した）。<br />
翌々日、府庁に行ってパスポートを申請し（以前の台湾旅行の直後で、期限切れだった）。<br />
その日のうちに、韓国語会話の本を買って、にわか仕込みで韓国語を勉強し始めた。<br />
ハングルは、一週間で覚えることができた。<br />
この文字は、確かに彼らが誇るのも故なしとは、言えない。<br />
韓国語の発音は日本語よりもずっと複雑なものであるが、ハングルはこの言葉の音韻を、余すところなく、そして不足もなく、ぴっちりと合理的に表すことに成功している。<br />
まさしく、韓国人のために作られた、韓国人のための文字。外国人は、この合理的な文字を覚えさえすれば、少なくとも読むことができて、かの国に入るとっかかりを得ることができる。<br />
- というよりも、ハングルを覚えなければ、韓国ではたぶん完全に文盲になりそうだ。<br />
インターネットの韓国語サイトなどをこの二週間いくつも開けてみたが、画面の上にハングルしかない。<br />
漢字が、誇張ではなく、一字たりともない。<br />
それどころか、英語すら、ほとんどお目にかかれなかった。<br />
漢字を国語から追放し、ハングルに純化する教育政策は聞いていたが、正直言ってここまで徹底的であるとは、思っていなかった。<br />
旅行まで二週間しかないので、単語を覚えることは、あきらめた。<br />
ハングルを何とか読みこなす訓練と、後は文法だけざっと学習して（韓国語の文法は、じつに日本語に似ている）、旅行への準備とした。<br />
明日から、慶尚道を中心として、七泊八日の旅行をする。<br />
ソウルへは、たぶん行かないだろう。<br />
韓国で行きたい所の優先順位をつらつらと考えてスケジュールを大まかに立てて見たら、ソウルが弾け飛んでしまった。<br />
私の今回の旅行は、まず対馬海峡を渡って隣国に行くことを決めた後に、行く日数だけ先に固めて、往復の航空券を予約した。<br />
どこに行くのかは、それから考え始めた。韓国という国に行きたいという思いが私にとってまず先にあって、具体的にどこに行きたいのかは、旅立つことを決めた時にも、はっきりとイメージしていなかった。<br />
自然と、故司馬遼太郎氏の旅行記に、手が伸びた。<br />
司馬遼は、戦後1971年に初めて、韓国の土を踏んだ。<br />
彼はその前に、戦前学徒動員によって戦車兵であった頃、配置されていた満州から戦車隊と共に内地に配転される途上で、鉄道で半島を南下して、釜山港に降り立ったことがあった。彼にとっては、それ以来の韓国であった。<br />
司馬遼の旅行は、かつて戦車を操って降り立った釜山から始まり、金海（キメ）、慶州（キョンジュ）、倭城（ウェソン）、友鹿（ウロッ）、そして扶餘（プヨ）を訪ねた。古代朝鮮の加羅、新羅、百済の三国の故地に、それぞれ触れた旅行であった。（もう一つの古代朝鮮の大国である高句麗の地には、行けるはずもなかった。ピョンヤンを中心とするその土地は、司馬遼の旅行から三十八年も経っているのに、まだ他国人は行くことができない。）<br />
旅行記の中の、慶州を描いたくだりが、実に読んで心地よい。<br />
老松の林の下に、古代の歌垣の習俗の名残のごとく、舞い踊る人たち。<br />
私が行くのは寒い季節だから、司馬遼が逢った春の踏青の頃の風景を見られそうにもないが、それでも慶州には必ず行こう、と彼の『街道をゆく』を読み終わって、思った。<br />
慶州に行こうと心に決めてから、慶州の土地を調べるために、GoogleMapに手を伸ばした。<br />
だが、地図がない。<br />
去年オリンピックに滑り込みで間に合わせるかのように、大陸中国にもようやくGoogleMapがお目見えしたところだ。<br />
しかし、韓国のGoogleMapは、いまだに空っぽのままだ。<br />
きっと、軍事的配慮であろう。大陸中国や台湾よりも、当局がもっともっとナーバスであることは、現状では致し方がない。<br />
（これは、後に書いている。韓国には、国全体を表示することができる、独自のオンラインマップが、すでに存在している。私は、釜山市の英語観光サイトから、それを確認した。だから、オンライン地図を当局が規制しているわけでは、たぶんない。）<br />
（さらに、六月時点で追加して書く。ついに、GoogleMapに韓国の地図が導入された。大陸中国よりも、ちょっとだけ遅かった。）<br />
やむないことで、名所旧跡のある区画の、だいたいの縮尺だけをPCの画面に定規を当てて、拾ってみた。<br />
定規の長さを、そのまま京都の上に当てて、自分が見当違いをしていることに、気が付いた。<br />
慶州盆地は、想像していたよりも、ずっと広い。<br />
必ず行って見たいと思った土地の一つの掛陵（クェヌン）と慶州市街地との距離は、定規が京都御所から伏見稲荷をすっ飛ばして、伏見城下すら突き抜けてしまった。<br />
新羅の王城、慶州盆地は、ちょうど奈良盆地のように広々と遺跡が点在している。<br />
数多い石仏群などは、山を歩けばそれで一日が終わってしまいそうだ。<br />
これは、一日で回って済む古都ではない。<br />
そういうわけで、慶州を最低二日、旅程に取った。<br />
後、山を見てみたいと思ったので、著名な海印寺（ヘインサ）に一日。<br />
釜山にも、一日。秀吉のあの無理無謀な半島遠征軍が、緒戦で李氏朝鮮（イッシチョソン）軍と激戦して、朝鮮軍が全滅した東莱邑城（トンネウプソン）の跡が、いま釜山郊外に公園として整備されているのを発見した。釜山には、文禄・慶長の役（これは、日本史での名称。現在の韓国では、イムジンウェラン &#8211; 壬辰倭乱 -、チョンユジェラン &#8211; 丁酉再乱 &#8211; と呼ぶ）の遺跡が、他にもいくつかある。<br />
後、海岸に李舜臣（イ・スンシン）の戦跡を訪ねて、一日。<br />
こうやって予定を組んでみると、到底ソウルに向かう日が足りなくなった。<br />
まあ、よいかと思った。<br />
私が勝手に作り上げたイメージとして、ソウルは東京と同じく、東アジア型帝国の首都である。<br />
中国、韓国、日本という、古代以来中央集権国家として文明のパターンを築き上げて来た三国にとって、首都とはただの一都市ではない。その帝国が版図とする人材の、最良の上澄みの部分がことごとく吸い寄せられて、その版図とする文明の全てがある。<br />
全てがあるから、たぶん東京と同じく、何でもあるだろう。<br />
だが、独自なものは、すでに現在の東京と同じで、壊れて残っていないだろう。そして、西洋から受け取った文物ならば、きっと東京とソウルは同時に受け取って、同水準になってしまっているはずだ。情報化時代とは、そういうものだ。<br />
私は東京にも結構長らく住んで、東京をある程度知っている。だから、今回の旅行で韓国の地方を回れば、もう韓帝国の首都ソウルはパスしてもよいかな、と思った。<br />
旅先の旅館には、ノートPCを持ち込む。デジカメのデータを毎日吸い取っておくためと、ネットに接続して毎夜にメモを残すために。そういうわけで、今夜から旅行中毎晩更新する予定。</p>
<hr />
以下の旅行記は、日付を見れば分かるように、韓国旅行をしている夜に、ライブで書き始めました。<br />
私がその時々に思ったことを残すために、書いた内容を最大限、残しています。ただし、帰国してから、調べものをして追加をしたり、明らかな誤解があったために訂正をしたり、それはしています。<br />
旅行中は毎晩ソジュ（焼酎）をひっかけていたので、多く書けませんでしたが。ハハハ。</p>
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