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	<title>韓国・中国・台湾・日本を調べ、旅行し、味わうサイト。それが、アジアのとうふです。 &#187; 台北</title>
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		<title>台北四十八時間 &#8211; まずは、前書き。</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Jun 2006 15:53:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[台湾旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[台北]]></category>

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		<description><![CDATA[
２００６年六月末、台湾に行ってきた。
二年前に香港に行って以来の、中国文化圏への旅行だった。
と言っても、行ったのはせいぜいの三泊四日。しかも一日目は中正国際空港に深夜に着いて、送迎バスで台北・西門町のホテルに入ったのは現地時間で日が変わっていた。さらに四日目は朝まだ暗い時間にもう帰りの便のためにホテルを出たので、事実上二日間の旅だ。だから何てことはない。何てことはないが、色々と心に残った。足だけを頼りに、二日間日中は三十五℃を上回る炎天下の台北を歩き回った。その足が感じた、二日間の記録である。

『台湾紀行』（朝日文庫、『街道をゆく』４０）といえば、故司馬遼太郎氏の最晩年の旅行記である。当時の総統であった李登輝氏との衝撃的な対談が収められた、台湾史においてすらおそらく最重要な書物である。司馬遼太郎の紀行は台北から始めて、新営に行き、台南に行き、烏山頭、嘉義、高雄に行き、そして東を回って台東の平野と山地に行き、花蓮で終わる。中央部の3000メートル級の大山塊地帯を除けば、ほとんど台湾島の北西南東を一周する長期の旅行であった。だから、『台湾紀行』と名付けて構わない。
それに引き換えればこの私の旅など、たった二日間でしかも回ったのは台北と郊外の淡水だけ。台湾とは多様な文化が積み重なってできている人間の集団であって、　―　多様だから当然、コンフリクトが過去に激烈に存在していたし、今もたぶん伏流に存在している　―　実際のところ少なくとも台北に加えて南部と東部に行かなければこの島の住民の全貌は理解できないのであろう。だから、『台湾』と名付ける資格はない。しかしながら『台北紀行』では、全くの司馬遼太郎の題をなぞっただけにすぎなくなる。私は司馬遼太郎のエッセイと紀行文は百年後にも残るべき大仕事だと素直に思っているが（しかし残念ながら、彼の「小説」についての私の評価はそれほどでもない）、だがいくら私淑（ししゅく）していると言ってもただの縮小コピーではあまりに後進の者として想像力がなさすぎる。
『台北二日記』という題も考えたが、これではまるで『揚州十日記』（清代初期、清軍が江蘇省揚州で十日間にわたり八十万人を殺戮した記録を王秀楚が著した書）のようで、穏当でない。そこで考えた。私の旅行はたった二日間だったとは言え、足を頼りに時間の許す限り至る所を歩き回って、色々な印象を受けたし結構色々な出会いもあった。自慢ではないが、寝ている時間以外のほとんど毎時間単位ごとに、書くべき内容がある。ドストエフスキーの小説ばりに、躁的な時間を過ごした。そんな内容にふさわしく、『台北四十八時間』という題に思い至った。2006年6月28日深夜から30日深夜までの四十八時間の旅行記としようではないか。
何とまあ、大袈裟で重々しい前書きを書いてしまったものだ。中身は全然大したことないのに。それでも何か書いておかないのは悔いが残りそうなので、以後少しずつ書き足していくことにします。
鈴元　仁
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２００６年六月末、台湾に行ってきた。<br />
二年前に香港に行って以来の、中国文化圏への旅行だった。<br />
と言っても、行ったのはせいぜいの三泊四日。しかも一日目は中正国際空港に深夜に着いて、送迎バスで台北・西門町のホテルに入ったのは現地時間で日が変わっていた。さらに四日目は朝まだ暗い時間にもう帰りの便のためにホテルを出たので、事実上二日間の旅だ。だから何てことはない。何てことはないが、色々と心に残った。足だけを頼りに、二日間日中は三十五℃を上回る炎天下の台北を歩き回った。その足が感じた、二日間の記録である。</p>
<p><span id="more-5"></span><br />
『台湾紀行』（朝日文庫、『街道をゆく』４０）といえば、故司馬遼太郎氏の最晩年の旅行記である。当時の総統であった李登輝氏との衝撃的な対談が収められた、台湾史においてすらおそらく最重要な書物である。司馬遼太郎の紀行は台北から始めて、新営に行き、台南に行き、烏山頭、嘉義、高雄に行き、そして東を回って台東の平野と山地に行き、花蓮で終わる。中央部の3000メートル級の大山塊地帯を除けば、ほとんど台湾島の北西南東を一周する長期の旅行であった。だから、『台湾紀行』と名付けて構わない。<br />
それに引き換えればこの私の旅など、たった二日間でしかも回ったのは台北と郊外の淡水だけ。台湾とは多様な文化が積み重なってできている人間の集団であって、　―　多様だから当然、コンフリクトが過去に激烈に存在していたし、今もたぶん伏流に存在している　―　実際のところ少なくとも台北に加えて南部と東部に行かなければこの島の住民の全貌は理解できないのであろう。だから、『台湾』と名付ける資格はない。しかしながら『台北紀行』では、全くの司馬遼太郎の題をなぞっただけにすぎなくなる。私は司馬遼太郎のエッセイと紀行文は百年後にも残るべき大仕事だと素直に思っているが（しかし残念ながら、彼の「小説」についての私の評価はそれほどでもない）、だがいくら私淑（ししゅく）していると言ってもただの縮小コピーではあまりに後進の者として想像力がなさすぎる。<br />
『台北二日記』という題も考えたが、これではまるで『揚州十日記』（清代初期、清軍が江蘇省揚州で十日間にわたり八十万人を殺戮した記録を王秀楚が著した書）のようで、穏当でない。そこで考えた。私の旅行はたった二日間だったとは言え、足を頼りに時間の許す限り至る所を歩き回って、色々な印象を受けたし結構色々な出会いもあった。自慢ではないが、寝ている時間以外のほとんど毎時間単位ごとに、書くべき内容がある。ドストエフスキーの小説ばりに、躁的な時間を過ごした。そんな内容にふさわしく、『台北四十八時間』という題に思い至った。2006年6月28日深夜から30日深夜までの四十八時間の旅行記としようではないか。<br />
何とまあ、大袈裟で重々しい前書きを書いてしまったものだ。中身は全然大したことないのに。それでも何か書いておかないのは悔いが残りそうなので、以後少しずつ書き足していくことにします。</p>
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