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	<title>韓国・中国・台湾・日本を調べ、旅行し、味わうサイト。それが、アジアのとうふです。</title>
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		<title>【アジアの名店】韓国料理「大邱」（京都市南区九条）</title>
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		<pubDate>Thu, 23 Jul 2009 01:41:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[アジアの名店]]></category>
		<category><![CDATA[アジア旅行記]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/?p=962</guid>
		<description><![CDATA[mixiのワンコイン韓国語講座に私は参加しておりまして、毎週日曜日の夕方に、京都駅ビル九階の京都国際交流センターで、講師のあおぞらさんと、閔（ミン）さんとに、みっちり韓国語を仕込まれています。なのに私は、なかなか上達できません。不勉強な、奴。
それはともかく、その講座の後に、しばしば近くの韓国料理店に行って、オフ会を楽しんだりしています。
京都駅から東南に歩いていくと、九条コリアンタウンがあります。
大阪鶴橋ほどに目立つ街構えではありませんが、街を歩くと、確かに韓国料理の店とか、キムチを売っている店とかが、ちらほらと見えます。
今回ご紹介するのは、そんな韓国料理店のひとつ、「大邱」（テグ）。
京都駅からずいぶんと離れたところにあって、少々交通の便が悪い。
しかし、そんな労苦は何するものぞ、と言わせるほどの、本格的な韓国料理店です。
店を経営しているイモ（이모、おばさん）は、慶尚道大邱の出身。店の名前の、由来です。












いっぱいの種類のパンチャン（付き出しのおかず）、定番のサムギョプサル、ごはんといっしょに食べると美味いスンドゥブ（おぼろ豆腐鍋）など、全てが本式の韓国流です。店に流れるテレビもまた、韓国の放送。サムギョプサルといっしょに食べるプルコチュ（青とうがらし）の辛さもまた、真正の韓国の辛さです。



/td>

なかでも一オシは、ヘムルパジョン。
つまり、海鮮ネギチジミです。
これを、ヤンニョムで頂いたときには、感激もの。
値段もリーズナブルな範囲で、韓流パーティーにはもってこいの店ですよ、ヨロブン！
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>mixiのワンコイン韓国語講座に私は参加しておりまして、毎週日曜日の夕方に、京都駅ビル九階の京都国際交流センターで、講師のあおぞらさんと、閔（ミン）さんとに、みっちり韓国語を仕込まれています。なのに私は、なかなか上達できません。不勉強な、奴。</p>
<p>それはともかく、その講座の後に、しばしば近くの韓国料理店に行って、オフ会を楽しんだりしています。</p>
<p>京都駅から東南に歩いていくと、九条コリアンタウンがあります。<br />
大阪鶴橋ほどに目立つ街構えではありませんが、街を歩くと、確かに韓国料理の店とか、キムチを売っている店とかが、ちらほらと見えます。</p>
<p>今回ご紹介するのは、そんな韓国料理店のひとつ、「大邱」（テグ）。</p>
<p>京都駅からずいぶんと離れたところにあって、少々交通の便が悪い。</p>
<p>しかし、そんな労苦は何するものぞ、と言わせるほどの、本格的な韓国料理店です。</p>
<p>店を経営しているイモ（이모、おばさん）は、慶尚道大邱の出身。店の名前の、由来です。</p>
<table width="230" height="180" border="1">
<tr>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_968" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P6280005-200x150.jpg" alt="豊富なパンチャン。" title="豊富なパンチャン。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-968" /><p class="wp-caption-text">豊富なパンチャン。</p></div>
</td>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_970" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P6280006-200x150.jpg" alt="サムギョプサル。" title="サムギョプサル。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-970" /><p class="wp-caption-text">サムギョプサル。</p></div>
</td>
</tr>
<tr>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_973" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P5240010-200x150.jpg" alt="スンドゥブ。" title="スンドゥブ。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-973" /><p class="wp-caption-text">スンドゥブ。</p></div>
</td>
<p><TD valign="middle" align="center"><div id="attachment_987" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P5240005-200x150.jpg" alt="韓国料理店「大邱」。" title="韓国料理店「大邱」。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-987" /><p class="wp-caption-text">韓国料理店「大邱」。</p></div></td>
</tr>
</table>
<p>いっぱいの種類のパンチャン（付き出しのおかず）、定番のサムギョプサル、ごはんといっしょに食べると美味いスンドゥブ（おぼろ豆腐鍋）など、全てが本式の韓国流です。店に流れるテレビもまた、韓国の放送。サムギョプサルといっしょに食べるプルコチュ（青とうがらし）の辛さもまた、真正の韓国の辛さです。</p>
<table width="230" height="180" border="1">
<tr>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_956" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P5240009-200x150.jpg" alt="ヘムルパジョン。" title="ヘムルパジョン。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-956" /><p class="wp-caption-text">ヘムルパジョン。</p></div></td>
</tr>
</table>
<p>なかでも一オシは、ヘムルパジョン。<br />
つまり、海鮮ネギチジミです。<br />
これを、ヤンニョムで頂いたときには、感激もの。<br />
値段もリーズナブルな範囲で、韓流パーティーにはもってこいの店ですよ、ヨロブン！</p>
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=34.975131187200525,135.7619297504425&amp;ie=UTF8&amp;ll=34.975131187200525,135.7619297504425&amp;t=h&amp;z=16&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="34.975131,135.76193"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=34.975131187200525,135.7619297504425,red&amp;zoom=16&amp;size=500x300&amp;key=ABQIAAAAmX_VoidkT4QogTaM-a42xxRcOCAyTUHnSpxlmrhEPf8ZiZ62QRTGZRXdvSwj0UyAGUzMZ_mxagbr4g&amp;hl=ja" alt="34.975131,135.76193" title="34.975131,135.76193" /></a>
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		<title>【宣伝】夕映舎サイトと連携してますよ～（脱退一時金手続代行業務）</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Jul 2009 13:58:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[あじあのとうふ]]></category>
		<category><![CDATA[wordpress]]></category>
		<category><![CDATA[夕映舎]]></category>
		<category><![CDATA[年金]]></category>
		<category><![CDATA[脱退一時金]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/?p=941</guid>
		<description><![CDATA[本日より、行政書士・社会保険労務士　住田正則のサイト「夕映舎」が、リニューアルしました。
夕映舎　外国人の年金脱退一時金手続代行、起業支援、くらしの法務相談
本サイトは、私べるもっと・じん。が始めて手をかけた、WordPressのブログサイトです。
一週間で作ったけれど、初期型としてはわりかしまとまったんじゃないかな。既存のテーマをネットから引っ張ってきて、それを改造したんだけれど。
ただ、画像ファイルのアップロードが、うまくできない。
デジカメのサイズのファイルをアップローダーで読み込もうとすると、十回のうち七回ほど、読み込まずにエラーとなる。MovableTypeでは、こんなことはなかった。解決策を、早急に見出さないと安定したブログとはいえない。とりあえずフリーソフトの「縮小専用」を使って、JPEGを適切な大きさにファイル縮小してから、アップロードしています。
夕映舎サイトは、私べるもっと・じん。との共同事業である、年金の脱退一時金手続代行業務の窓口でもあります。
脱退一時金（Lump-sum Withdrawal Payments）とは、外国籍の人が日本で就労して年金を支払ったにも関わらず中途で帰国した場合、支払った期間と金額に応じて請求すれば一時金を日本政府から支給される、という制度である。
手続代行には外国語とウェブサイトが必要なので、私と共同事業となっています。
夕映舎は法律事務所サイト、ここあじあのとうふは何でもやってみるチャレンジサイトとして、役割分担して運営していく、予定です。
ヨロブン、アプロド　ユウエイシャハゴ　アジアエドゥブルル　チャル　チョアハシプシヨ！
여러분,앞으로도 유에이샤 하고 아시아의 두부를 잘 좋아하십시요!
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>本日より、<strong>行政書士・社会保険労務士　住田正則</strong>のサイト「<strong>夕映舎</strong>」が、リニューアルしました。</p>
<p><a href="http://www.yueisya.com/">夕映舎　外国人の年金脱退一時金手続代行、起業支援、くらしの法務相談</a></p>
<p>本サイトは、私べるもっと・じん。が始めて手をかけた、<strong>WordPress</strong>のブログサイトです。<br />
一週間で作ったけれど、初期型としてはわりかしまとまったんじゃないかな。既存のテーマをネットから引っ張ってきて、それを改造したんだけれど。</p>
<p>ただ、画像ファイルのアップロードが、うまくできない。<br />
デジカメのサイズのファイルをアップローダーで読み込もうとすると、十回のうち七回ほど、読み込まずにエラーとなる。MovableTypeでは、こんなことはなかった。解決策を、早急に見出さないと安定したブログとはいえない。とりあえずフリーソフトの「<a href="http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se153674.html">縮小専用</a>」を使って、JPEGを適切な大きさにファイル縮小してから、アップロードしています。</p>
<p>夕映舎サイトは、私べるもっと・じん。との共同事業である、<strong>年金の脱退一時金手続代行</strong>業務の窓口でもあります。</p>
<p>脱退一時金（Lump-sum Withdrawal Payments）とは、外国籍の人が日本で就労して年金を支払ったにも関わらず中途で帰国した場合、支払った期間と金額に応じて請求すれば一時金を日本政府から支給される、という制度である。</p>
<p>手続代行には外国語とウェブサイトが必要なので、私と共同事業となっています。</p>
<p>夕映舎は法律事務所サイト、ここあじあのとうふは何でもやってみるチャレンジサイトとして、役割分担して運営していく、予定です。</p>
<p>ヨロブン、アプロド　ユウエイシャハゴ　アジアエドゥブルル　チャル　チョアハシプシヨ！<br />
여러분,앞으로도 유에이샤 하고 아시아의 두부를 잘 좋아하십시요!</p>
]]></content:encoded>
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		<title>間島は、韓国領であるのだろうか？</title>
		<link>http://asian-curd.asia/whatisasia/post0/</link>
		<comments>http://asian-curd.asia/whatisasia/post0/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 16 Jul 2009 04:46:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[東北アジア研究]]></category>
		<category><![CDATA[万宝山事件]]></category>
		<category><![CDATA[李氏朝鮮]]></category>
		<category><![CDATA[清朝]]></category>
		<category><![CDATA[渤海]]></category>
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		<category><![CDATA[間島協約]]></category>
		<category><![CDATA[高句麗]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/?p=910</guid>
		<description><![CDATA[あまり論評は、したくないのですが。
日本の領土問題とは、関係がありません。
しかし、全国第二位のポータルサイトである「Daum」の議論コーナーである「アゴラ」に、堂々と間島（カンド）の領有権を主張する有志の、募金の告示が張られていた。（告示の内容は、本記事の続きの部分に日本語訳とともにあります。）
これは、どうしたことであろうか。
間島とは、韓国側の呼称であって、現在朝鮮族が多く住む満州（中国東北部）東部の地区のことである。
間島が、歴史上韓国とその起源である諸王朝の版図であった歴史があった、という事実を、私は残念ながら絶えて知らない。
現在の韓国（および北朝鮮）は、新羅→高麗→李氏朝鮮の各王朝の王統の後継国家であることは、政治的、地理的、および文化的連続性から、明らかである。
確かに、歴史上「高句麗」「渤海」という国家は、存在した。そして、「高句麗」は、現在のピョンヤンを首都として、半島北部からひろく遼東半島、満州、沿海州近辺にまで版図を広げていた。「渤海」は、その高句麗が滅亡した後に、政権によって遼西地方に追放されていた部族が新たに建国した。渤海は高句麗の後継国家であると自称し、その版図は沿海州と満州に及んでいた。
これは、確かなことだ。
しかし、「高句麗」「渤海」は、現在の韓国とは、残念ながら直接には何の関係もない。
これらの国を運営した集団は、結局契丹（キタイ）や女真（ジュルチン）といった諸部族の国家に吸収されて、あるいは正しく半島を支配していた王朝のもとに脱出して、すでに現在に痕跡をとどめていない。
間島に、李朝末期移民が入り込んで、清朝との間に領土紛争が起こった。これもまた、事実である。この移民たちは、半島で深刻化していた飢饉と暴政を逃れて、越境していった農民たちであった。
後に、彼らは耳を塞ぎたい心持であろうが、日帝占領時代に日本が南満州に事実上の支配権を打ち立てた条件下、朝鮮族が豆満江を越えて陸続と開拓移民として、移住していった。これらが、現在の中国領内にいる朝鮮族の、大多数の起源である。近代になってからの移民であって、古代の朝鮮史とは何の関係もない。清朝と李氏朝鮮の境界は現在の北朝鮮と中国との国境線で早くから明確に確定していて、そこからの越境民は全て不法移民として、李朝もまた処理していたのであった。
移住していった朝鮮族と漢族・満洲族との緊張が、1931年7月の万宝山事件で爆発することとなった。日本当局は、結局この事件に象徴される民族紛争を、満州を自らの直接管理下に置くことによって解決することを企み、同年9月の満州事変につながっていった。
日本の帝国主義は、批判されるべきことである。
しかし、朝鮮族は、彼らに罪があったわけではないとはいえども、無主の土地に移民していったわけではなかった点だけは、認識するべきではないだろうか。（私が罪がないと言っているのは、人の流れに関してのことである。万宝山事件の後に朝鮮域内で起こった朝鮮人の中国人への一方的な集団虐殺事件は、罪がないと笑って済ませるわけにはいかない。この事件については、まず日本語版Wikipediaを参照して、中国語版と朝鮮語版との記述の違いを比較するのがよいであろう。それから後、虐殺事件が果たして日本の意図的謀略であったのか、それとも偶発的事件であったのかの評価を、行うべきであろう。だが、この評価については、いまだに意見が一致しているようには見えない。）
ましてや、現在朝鮮族が居住しているから、間島にKoreanは領有権を持つ、と本当に言えるのであろうか。その理由としてはるか古代の歴史を持ち出すのは、外国人の私にとっては、民族ロマンティシズムの神話を弄んでいるようにしか、見えない。聖書に書いてあるからユーフラテス川はイスラエル領だと主張する一部の聖書ファンダメンタリストや（誤解ないように言っておくが、イスラエルでは、たとえ右派であってもこのような主張はしていない）、彼らの経典に書いてあるから南北アメリカはもともと白人の領土であったと主張する一部の非主流派モルモン教徒と、どのぐらい違うのであろうか。
救われるべきは、この間島への関心が、募金の本文に書かれているように、国民の関心としては、リアンクール･ロックス（日本名竹島、韓国名独島）ほどには、大して高そうにないということである。できるならば、ロマンティシズムをまぜこんだ政治的主張は、一部学生の観念の遊戯であってほしい。
間島が韓国領であると主張している諸兄は、いったい韓国という国家が多様な民族を包含することに寛容な国づくりを現在行っているのか、自問自答なさることを、薦めたい。間島に住んでいるのは、韓民族だけではないです。もし間島を領有なさったら、漢族や満族、蒙古族、その他少数民族を、どのように扱われるつもりであるか？

上は、アゴラに掲げられていた地図。左は、間島が韓国領であるという主張の一根拠となっている、外国人宣教師が作成した地図。右の地図の出典はよく分からないが、あるいは二十世紀初頭にカトリック教会が作成した教区分割図から、作成したのかもしれない。ところが、李氏朝鮮時代にかんじんの朝鮮人側が作成した地図は、間島を領域とみなしていなかったのである。それぞれの地図の説明は、英語版Wikipediaを参照。

【募金文の、日本語訳】
私たちの五千年の歴史（注1）とともにあった、間島!
私たちの先祖らの息遣いが生きていた、間島!
間島は、大韓帝国時期、間島管理社まで派遣管理された、私たち大韓民国の誇らしい領土でした。
しかしそういう間島の運命は、日帝が不法に清国に譲渡した間島協約（注2）により、領土の主人が変わりました。 我が国は「間島協約」以後36年間の日帝強占期と、分断と、戦争と、そして南北対峙の民族的不幸を体験し、かれこれ100年に至るまで、間島協約が無効であることをまともに主張できませんでした。
その間中国は、いわゆる東北工程（注3）と白頭山（ペットゥサン）工程を大々的に実行し、私たちの古代史をわい曲して横取りすることによって、最終的に私たちの土地である間島を永久的に占拠する下心を表わしています。
もう私たちは、民族的自覚をするべきです。 私たちが私たちの土地である間島を取り戻すことができなくて、私たちの土地である独島（注4）を守ることができますか?
今から4ヶ月しか残っていませんが。来る2009年9月4日は、間島を奪われてちょうど100年になります。 私たちの世代で「取り戻さなければならない私たちの土地」である間島を取り戻さなければ、永遠に忘れられることになるかも知れません。そうなれば、私たちは2009年9月4日を国恥日として残すことになります。
皆さんの関心が、日本が奪おうとしている独島を守ることだけでなく、日本が勝手に売り払った私たちの土地間島を取り戻すのことにも、大きな力になります。 すぐに成功するのではないが、今私たちが最大の関心を発信するならば、10年、100年後には、必ず私たちの土地となることでしょう。
また「間島取り戻し運動本部」に所属している大学生5人で成り立った「間島ピープル」は、私たちの土地である間島をよく分からない私たちの国民に、間島を知らせて間島協約の不当さを知らせようと、「自転車全国一周」を準備して、7月13日に出発する予定です。
皆さんの、ささやかな関心と応援、お願いします。
（注１）野史（ヤサ、非公式の歴史書）である『三国遺事』で言及されている、紀元前2333年に壇君（タングン）が即位したことを、朝鮮建国の始まりであるとする主張を指す。ちなみにこの年代では、中国やインドですら王朝が成立していた証拠を、見出すことができていない。
（注２）1909年に日本と崩壊寸前の清朝との間で合意された協約。日本は満州域内の鉄道権益を得る代わりに、間島が清朝領であることを保障した。この時期「大韓帝国」の外交権は完全に日本に奪われていたので、協約は「大韓帝国」が当事者ではなかった。[英語Wikipedia記事]
（注３）1997年から中国社会科学院が開始した、満州（東北部）の歴史に対する見直し工程。このプロジェクトの結果高句麗・渤海が中国の地方政権であると位置づけられたために、韓国側が猛抗議を中国に行った。[日本語Wikipedia記事]
（注４）言うまでもなく、日本名は「竹島」。
【韓国語の、募金原文】
우리의 반만년 역사와 함께 한 간도!
우리 조상들의 숨결이 살아 숨쉬던 간도!
간도는 대한제국 시절 간도관리사까지 파견하여 관리되었던 우리 대한민국의 자랑스런 영토였습니다.
그러나 그러한 간도의 운명은 일제가 불법으로 청나라에 넘긴 간도협약으로 인해 영토의 주인이 바뀌었습니다. 우리나라는 &#8216;간도협약&#8217; 이후 36년간의 일제 강점기와 분단과 전쟁 그리고 남북 대치의 민족적 불행을 겪으면서 100년이 다 되도록 간도협약이 무효임을 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>あまり論評は、したくないのですが。</p>
<p>日本の領土問題とは、関係がありません。</p>
<p>しかし、全国第二位のポータルサイトである「Daum」の議論コーナーである「アゴラ」に、堂々と間島（カンド）の領有権を主張する有志の、<a href="http://agora.media.daum.net/petition/donation/view?id=75451">募金の告示</a>が張られていた。（告示の内容は、本記事の続きの部分に日本語訳とともにあります。）</p>
<p>これは、どうしたことであろうか。</p>
<p>間島とは、韓国側の呼称であって、現在朝鮮族が多く住む満州（中国東北部）東部の地区のことである。</p>
<p>間島が、歴史上韓国とその起源である諸王朝の版図であった歴史があった、という事実を、私は残念ながら絶えて知らない。<br />
現在の韓国（および北朝鮮）は、新羅→高麗→李氏朝鮮の各王朝の王統の後継国家であることは、政治的、地理的、および文化的連続性から、明らかである。</p>
<p>確かに、歴史上「高句麗」「渤海」という国家は、存在した。そして、「高句麗」は、現在のピョンヤンを首都として、半島北部からひろく遼東半島、満州、沿海州近辺にまで版図を広げていた。「渤海」は、その高句麗が滅亡した後に、政権によって遼西地方に追放されていた部族が新たに建国した。渤海は高句麗の後継国家であると自称し、その版図は沿海州と満州に及んでいた。<br />
これは、確かなことだ。</p>
<p>しかし、「高句麗」「渤海」は、現在の韓国とは、残念ながら直接には何の関係もない。<br />
これらの国を運営した集団は、結局契丹（キタイ）や女真（ジュルチン）といった諸部族の国家に吸収されて、あるいは正しく半島を支配していた王朝のもとに脱出して、すでに現在に痕跡をとどめていない。</p>
<p>間島に、李朝末期移民が入り込んで、清朝との間に領土紛争が起こった。これもまた、事実である。この移民たちは、半島で深刻化していた飢饉と暴政を逃れて、越境していった農民たちであった。</p>
<p>後に、彼らは耳を塞ぎたい心持であろうが、日帝占領時代に日本が南満州に事実上の支配権を打ち立てた条件下、朝鮮族が豆満江を越えて陸続と開拓移民として、移住していった。これらが、現在の中国領内にいる朝鮮族の、大多数の起源である。近代になってからの移民であって、古代の朝鮮史とは何の関係もない。清朝と李氏朝鮮の境界は現在の北朝鮮と中国との国境線で早くから明確に確定していて、そこからの越境民は全て不法移民として、李朝もまた処理していたのであった。<br />
移住していった朝鮮族と漢族・満洲族との緊張が、1931年7月の万宝山事件で爆発することとなった。日本当局は、結局この事件に象徴される民族紛争を、満州を自らの直接管理下に置くことによって解決することを企み、同年9月の満州事変につながっていった。</p>
<p>日本の帝国主義は、批判されるべきことである。<br />
しかし、朝鮮族は、彼らに罪があったわけではないとはいえども、無主の土地に移民していったわけではなかった点だけは、認識するべきではないだろうか。（私が罪がないと言っているのは、人の流れに関してのことである。万宝山事件の後に朝鮮域内で起こった朝鮮人の中国人への一方的な集団虐殺事件は、罪がないと笑って済ませるわけにはいかない。この事件については、まず<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6">日本語版Wikipedia</a>を参照して、中国語版と朝鮮語版との記述の違いを比較するのがよいであろう。それから後、虐殺事件が果たして日本の意図的謀略であったのか、それとも偶発的事件であったのかの評価を、行うべきであろう。だが、この評価については、いまだに意見が一致しているようには見えない。）</p>
<p>ましてや、現在朝鮮族が居住しているから、間島にKoreanは領有権を持つ、と本当に言えるのであろうか。その理由としてはるか古代の歴史を持ち出すのは、外国人の私にとっては、民族ロマンティシズムの神話を弄んでいるようにしか、見えない。聖書に書いてあるからユーフラテス川はイスラエル領だと主張する一部の聖書ファンダメンタリストや（誤解ないように言っておくが、イスラエルでは、たとえ右派であってもこのような主張はしていない）、彼らの経典に書いてあるから南北アメリカはもともと白人の領土であったと主張する一部の非主流派モルモン教徒と、どのぐらい違うのであろうか。</p>
<p>救われるべきは、この間島への関心が、募金の本文に書かれているように、国民の関心としては、リアンクール･ロックス（日本名竹島、韓国名独島）ほどには、大して高そうにないということである。できるならば、ロマンティシズムをまぜこんだ政治的主張は、一部学生の観念の遊戯であってほしい。<br />
間島が韓国領であると主張している諸兄は、いったい韓国という国家が多様な民族を包含することに寛容な国づくりを現在行っているのか、自問自答なさることを、薦めたい。間島に住んでいるのは、韓民族だけではないです。もし間島を領有なさったら、漢族や満族、蒙古族、その他少数民族を、どのように扱われるつもりであるか？</p>
<p><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/z21-300x186.jpg" alt="アゴラに掲載されていた地図。" title="z2[1]" width="300" height="186" class="size-medium wp-image-935" /></p>
<p>上は、アゴラに掲げられていた地図。左は、間島が韓国領であるという主張の一根拠となっている、外国人宣教師が作成した地図。右の地図の出典はよく分からないが、あるいは二十世紀初頭にカトリック教会が作成した教区分割図から、作成したのかもしれない。ところが、李氏朝鮮時代にかんじんの朝鮮人側が作成した地図は、間島を領域とみなしていなかったのである。それぞれの地図の説明は、<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Jiandao#Images">英語版Wikipedia</a>を参照。</p>
<p><span id="more-910"></span><br />
【募金文の、日本語訳】</p>
<p>私たちの五千年の歴史（注1）とともにあった、間島!<br />
私たちの先祖らの息遣いが生きていた、間島!<br />
間島は、大韓帝国時期、間島管理社まで派遣管理された、私たち大韓民国の誇らしい領土でした。</p>
<p>しかしそういう間島の運命は、日帝が不法に清国に譲渡した間島協約（注2）により、領土の主人が変わりました。 我が国は「間島協約」以後36年間の日帝強占期と、分断と、戦争と、そして南北対峙の民族的不幸を体験し、かれこれ100年に至るまで、間島協約が無効であることをまともに主張できませんでした。</p>
<p>その間中国は、いわゆる東北工程（注3）と白頭山（ペットゥサン）工程を大々的に実行し、私たちの古代史をわい曲して横取りすることによって、最終的に私たちの土地である間島を永久的に占拠する下心を表わしています。<br />
もう私たちは、民族的自覚をするべきです。 私たちが私たちの土地である間島を取り戻すことができなくて、私たちの土地である独島（注4）を守ることができますか?</p>
<p>今から4ヶ月しか残っていませんが。来る2009年9月4日は、間島を奪われてちょうど100年になります。 私たちの世代で「取り戻さなければならない私たちの土地」である間島を取り戻さなければ、永遠に忘れられることになるかも知れません。そうなれば、私たちは2009年9月4日を国恥日として残すことになります。</p>
<p>皆さんの関心が、日本が奪おうとしている独島を守ることだけでなく、日本が勝手に売り払った私たちの土地間島を取り戻すのことにも、大きな力になります。 すぐに成功するのではないが、今私たちが最大の関心を発信するならば、10年、100年後には、必ず私たちの土地となることでしょう。</p>
<p>また「間島取り戻し運動本部」に所属している大学生5人で成り立った「間島ピープル」は、私たちの土地である間島をよく分からない私たちの国民に、間島を知らせて間島協約の不当さを知らせようと、「自転車全国一周」を準備して、7月13日に出発する予定です。<br />
皆さんの、ささやかな関心と応援、お願いします。</p>
<p>（注１）野史（ヤサ、非公式の歴史書）である『三国遺事』で言及されている、紀元前2333年に壇君（タングン）が即位したことを、朝鮮建国の始まりであるとする主張を指す。ちなみにこの年代では、中国やインドですら王朝が成立していた証拠を、見出すことができていない。<br />
（注２）1909年に日本と崩壊寸前の清朝との間で合意された協約。日本は満州域内の鉄道権益を得る代わりに、間島が清朝領であることを保障した。この時期「大韓帝国」の外交権は完全に日本に奪われていたので、協約は「大韓帝国」が当事者ではなかった。[<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Gando_Convention">英語Wikipedia記事</a>]<br />
（注３）1997年から中国社会科学院が開始した、満州（東北部）の歴史に対する見直し工程。このプロジェクトの結果高句麗・渤海が中国の地方政権であると位置づけられたために、韓国側が猛抗議を中国に行った。[<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%B7%A5%E7%A8%8B">日本語Wikipedia記事</a>]<br />
（注４）言うまでもなく、日本名は「竹島」。</p>
<p>【韓国語の、募金原文】</p>
<p>우리의 반만년 역사와 함께 한 간도!<br />
우리 조상들의 숨결이 살아 숨쉬던 간도!<br />
간도는 대한제국 시절 간도관리사까지 파견하여 관리되었던 우리 대한민국의 자랑스런 영토였습니다.</p>
<p>그러나 그러한 간도의 운명은 일제가 불법으로 청나라에 넘긴 간도협약으로 인해 영토의 주인이 바뀌었습니다. 우리나라는 &#8216;간도협약&#8217; 이후 36년간의 일제 강점기와 분단과 전쟁 그리고 남북 대치의 민족적 불행을 겪으면서 100년이 다 되도록 간도협약이 무효임을 제대로 주장하지 못하여 왔습니다.</p>
<p>그러한 사이 중국은 이른바 동북공정과 백두산공정을 대대적으로 실행하여 우리 고대사를 왜곡하고 가로챔으로써 궁극적으로 우리 땅 간도를 영구적으로 차지하려는 속셈을 드러내고 있습니다.<br />
이제 우리는 민족적 자각을 해야합니다. 우리가 우리 땅 간도를 되찾지 못하고, 우리땅 독도를 지켜내지 못해서야 되겠습니까?</p>
<p>앞으로 4개월 밖에 남지 않았습니다. 돌아오는 2009년 9월4일은 간도를 빼앗긴 지 꼭 100년이 됩니다. 우리 세대에서 ‘되찾아야 할 우리의 땅’ 간도(間島)를 찾지 못하면 영원히 잊혀지게 될 지도 모릅니다. 그렇게 된다면 우리에게 2009년 9월4일은 국치일로 남게 될 것입니다.</p>
<p>여러분의 관심이 일본이 빼앗으려는 독도를 지키는것 뿐만아니라 일본이 마음대로 팔아넘긴 우리땅 간도를 되찾는데에도 큰힘이 됩니다. 꼭 당장 이루어지는것은 아니지만 지금 우리가 무한한 관심을 보낸다면 10년,100년뒤에는 반드시 우리의 땅이 되어 있을것입니다.</p>
<p>또한 &#8216;간도되찾기운동본부&#8217;에 소속되어 있는 대학생 5명으로 이루어진 &#8216;간도피플&#8217;은 우리땅 간도를 잘모르는 우리국민들에게 간도를 알리고 간도협약의 부당함을 알리고자 &#8216;자전거 전국일주&#8217;를 준비하여 7월 13일에 출발 예정에 있습니다.<br />
여러분의 작은 관심과 응원 부탁드립니다.</p>
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		<title>【WordPress使おう】フィード不具合の原因が分かった</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2009 15:27:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[【Wordpress使おう】]]></category>
		<category><![CDATA[cutfirstchar]]></category>
		<category><![CDATA[wordpress]]></category>
		<category><![CDATA[フィード]]></category>
		<category><![CDATA[冒頭の一行]]></category>

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		<description><![CDATA[このあじあのとうふのフィードが読み出しに失敗していた原因が少なくともどこにあるのかが、今さっき判明しました。
何度試みても、フィードのソースの冒頭に、改行が入る。
改行が入ると、フィードとして認識されない。それで、エラーが出ていた。
据え付けていたプラグインを、一つずつオフにしていった。
それで、&#8221;CutfirstChar&#8221;のプラグインが、フィード失敗の原因であることが、判明しました。
作成者のFujimoto氏のサイトには、解決策があるのかどうか、まだ確認していません。
少なくとも、解決策を見出せるまでは、残念ながらこのプラグインは、使うことができない。
MovableType時代には、大いに助けられたプラグインなんだけれど、、、
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このあじあのとうふのフィードが読み出しに失敗していた原因が少なくともどこにあるのかが、今さっき判明しました。</p>
<p>何度試みても、フィードのソースの冒頭に、改行が入る。</p>
<p>改行が入ると、フィードとして認識されない。それで、エラーが出ていた。</p>
<p>据え付けていたプラグインを、一つずつオフにしていった。</p>
<p>それで、&#8221;CutfirstChar&#8221;のプラグインが、フィード失敗の原因であることが、判明しました。</p>
<p>作成者のFujimoto氏のサイトには、解決策があるのかどうか、まだ確認していません。</p>
<p>少なくとも、解決策を見出せるまでは、残念ながらこのプラグインは、使うことができない。</p>
<p>MovableType時代には、大いに助けられたプラグインなんだけれど、、、</p>
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		<item>
		<title>【WordPress使おう】メモ帳は使うな</title>
		<link>http://asian-curd.asia/wpress/wp03/</link>
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		<pubDate>Sun, 12 Jul 2009 02:26:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[【Wordpress使おう】]]></category>
		<category><![CDATA[BOM]]></category>
		<category><![CDATA[cutfirstchar]]></category>
		<category><![CDATA[wordpress]]></category>
		<category><![CDATA[wp_list_categories]]></category>
		<category><![CDATA[xrea]]></category>
		<category><![CDATA[フィード]]></category>
		<category><![CDATA[メモ帳]]></category>
		<category><![CDATA[冒頭の一行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/weblog/?p=35</guid>
		<description><![CDATA[この一週間で、わが盟友の夕映舎のサイトを、WordPressで一挙に作りこんだ。
WordPressの知識ほとんどゼロだった先週末から、よくぞ一週間でサイトを構築した。
それだけは、ちょっとだけ自慢。毎日18時間ほど、作っていたもんなー。
いろいろとトラブルに見舞われて、その都度何とか解決して来た。
解決策を拾ったのは、もっぱらネットの上。
やっぱり、WordPressはユーザーが多い分、ネットには情報が多い。
Nucleusでは、これほどまでに情報を拾うことができなかった。
いずれ総まとめの記事を、書くことにして。
いまだに現在のところ未解決の問題を、メモしておきます。
未解決問題その１
カテゴリーを表示するタグ、wp_list_categories（私はHujimoto氏製作のプラグイン、cutfirstcharを導入しているので、wp_list_categories_cfcのタグであるが）の引数で、
show_count=1
を選択する。
すると、カテゴリーに含まれる投稿数がカッコ付きで表示される、っていう寸法なのだが、これがどうやっても二行に分かれてしまう。
【WordPress使おう】
(12)
こんなぐあいの、表記である。
同じ症状に悩まされている諸氏がいることが、ネット検索で判明した。
しかし、いまだに有効な回答を、拾い出すことができないでいる。
未解決問題その２
フィードが、うまく出力されない。
フィードを出力しようとすると、エラーが出て読み取ってくれない。
ネットで検索して問題を突き詰めていくうちに、どうやら冒頭の一行に改行が紛れ込んでいることが、原因らしい。WordPress２．８を導入して、同様の問題に悩まされている諸氏を、これまた発見した。そして、同様に解決策をいまだに拾い出すことができていない。
しかし、夕映舎の仮サイトでは出力されなかったが、今ここで書いている私のブログでは、ちゃんと出力されている。冒頭にも、改行が入っていない。フィード情報は、バッチリだ。
これにより、xreaサーバーとの相性の問題ではないことが、分かる。（このブログも仮サイトも、同じサーバーの上だ。）
まだ問題ははっきりと分からないが、ひょっとしたらと気になった情報があった。
Windowsのメモ帳でファイルを編集すると、冒頭に「BOMあり」の情報が勝手に添付されることがある。
「BOM」とは何であるのか、今は深く研究している余裕もないが、とにかくWindowsのメモ帳でファイルを編集することは、やってはならないという結論であるようだ。
これまで、そういや結構使っていたなあ、、、
私はなるたけサクラエディタでファイルを編集するのだけれど、未指定のファイル形式を開くデフォルトが、メモ帳になっている。それで、うっかりメモ帳で編集したことが、これまで数多くあった。
もはや、どのファイルをメモ帳で編集したのか、「100ファイルから後は、覚えていない！」（第三の羅将、ハン様の言葉）
しょうがないから、一からインストールして、システム構築するか。
Windowsのメモ帳を使うのは、今後やめましょう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この一週間で、わが盟友の夕映舎のサイトを、WordPressで一挙に作りこんだ。<br />
WordPressの知識ほとんどゼロだった先週末から、よくぞ一週間でサイトを構築した。<br />
それだけは、ちょっとだけ自慢。毎日18時間ほど、作っていたもんなー。</p>
<p>いろいろとトラブルに見舞われて、その都度何とか解決して来た。<br />
解決策を拾ったのは、もっぱらネットの上。<br />
やっぱり、WordPressはユーザーが多い分、ネットには情報が多い。<br />
Nucleusでは、これほどまでに情報を拾うことができなかった。</p>
<p>いずれ総まとめの記事を、書くことにして。<br />
いまだに現在のところ未解決の問題を、メモしておきます。</p>
<p><strong>未解決問題その１</strong><br />
カテゴリーを表示するタグ、wp_list_categories（私はHujimoto氏製作のプラグイン、cutfirstcharを導入しているので、wp_list_categories_cfcのタグであるが）の引数で、</p>
<p>show_count=1</p>
<p>を選択する。<br />
すると、カテゴリーに含まれる投稿数がカッコ付きで表示される、っていう寸法なのだが、これがどうやっても二行に分かれてしまう。</p>
<p>【WordPress使おう】<br />
(12)</p>
<p>こんなぐあいの、表記である。<br />
同じ症状に悩まされている諸氏がいることが、ネット検索で判明した。<br />
しかし、いまだに有効な回答を、拾い出すことができないでいる。</p>
<p><strong>未解決問題その２</strong></p>
<p>フィードが、うまく出力されない。<br />
フィードを出力しようとすると、エラーが出て読み取ってくれない。<br />
ネットで検索して問題を突き詰めていくうちに、どうやら冒頭の一行に改行が紛れ込んでいることが、原因らしい。WordPress２．８を導入して、同様の問題に悩まされている諸氏を、これまた発見した。そして、同様に解決策をいまだに拾い出すことができていない。</p>
<p>しかし、夕映舎の仮サイトでは出力されなかったが、今ここで書いている私のブログでは、ちゃんと出力されている。冒頭にも、改行が入っていない。フィード情報は、バッチリだ。<br />
これにより、xreaサーバーとの相性の問題ではないことが、分かる。（このブログも仮サイトも、同じサーバーの上だ。）<br />
まだ問題ははっきりと分からないが、ひょっとしたらと気になった情報があった。</p>
<p>Windowsのメモ帳でファイルを編集すると、冒頭に「BOMあり」の情報が勝手に添付されることがある。</p>
<p>「BOM」とは何であるのか、今は深く研究している余裕もないが、とにかく<strong>Windowsのメモ帳でファイルを編集することは、やってはならない</strong>という結論であるようだ。</p>
<p>これまで、そういや結構使っていたなあ、、、</p>
<p>私はなるたけサクラエディタでファイルを編集するのだけれど、未指定のファイル形式を開くデフォルトが、メモ帳になっている。それで、うっかりメモ帳で編集したことが、これまで数多くあった。</p>
<p>もはや、どのファイルをメモ帳で編集したのか、「100ファイルから後は、覚えていない！」（第三の羅将、ハン様の言葉）</p>
<p>しょうがないから、一からインストールして、システム構築するか。<br />
Windowsのメモ帳を使うのは、今後やめましょう。</p>
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		<item>
		<title>【WordPress使おう】ポストの名前は、親が決めなきゃ</title>
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		<comments>http://asian-curd.asia/wpress/wp02/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 06 Jul 2009 05:52:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[【Wordpress使おう】]]></category>
		<category><![CDATA[.htaccess]]></category>
		<category><![CDATA[SEO]]></category>
		<category><![CDATA[wordpress]]></category>
		<category><![CDATA[xrea]]></category>
		<category><![CDATA[ファイル名]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/weblog/?p=20</guid>
		<description><![CDATA[MovableTypeとWordPress、Nucleusとの決定的な違いの一つは、前者がhtml構造をしているのに対して、後者がphp構造であることだ。
htmlは、私のようなホームーページ製作からサイト作りの道に入った人間にとって、おなじみのもの。私もホームページ始めてから四年、テープルや画像はおろか、スタイルシートの作り方にもすっかり慣れてしまった。
MovableTypeは、そんな私のようなホームページ慣れした人間にとって、わかりやすい。
少なくとも投稿記事とアーカイブ、スタイルシートにとどまる限り、用語はホームページの領域から、大きくはみ出すことがない。
その証拠が、「再構築」なのだ。
MovableTypeでブログやっている人ならば、だんだん「再構築」に時間がかかって、面倒くさくなってきた経験を、お持ちであろう。
MovableTypeのブログ記事はデフォルトでは静的なｈｔｍｌで作られる。
つまり、一回書き込んだら、手を加えない限り、そのまんまネットの上に載っている。
だから、アーカイヴの仕組みを変えて模様替えしたときなんかには、過去記事のぜんぶを「再構築」して、模様替えの内容を一斉適用してやらなければならない。商品の陳列棚を変える決定がなされたら、各支店の店舗を担当がいちいち回って、指示しなければならないようなものだ。トップの指令がリアルタイムで反映されず、面倒なしくみになっている。これが、静的な構造の弱点である。
いっぽうWordPressやNucleusは、php構造をとっている。
これは、たった今行った更新の内容が、ただちに（動的に）更新内容として、全てのファイルに埋め込まれる構造のことだ。
いうならば、トップが行った店舗の衣装換えの決定が、各支店で次の瞬間に反映されるようなものだ。実際の店舗でこんなことが行われることはないが、中央の指令がいちいちの指示なしに隅々にまで行き渡るわけだから、経営者にとってこんなことが起これば、夢のような環境であろう。こういう理想を現実世界で抱く者は、別名ファシストと呼ばれるんだけれど。
とにかく、WordPressは、再構築する必要がない。どんなにブログが巨大となっても、いつもリアルタイムで更新してくれる。
これは、たいへんに役に立つ構造だ。htmlに慣れている私のような人間にとって、少しとっつきにくいけれども。

で、前置きが長くなったが、こんなｐｈｐ構造であることは、よいことずくめではない、ということだ。
単にブログをしこしこと書き溜めるならばよいのであるが、私のようにいざSEO（サーチエンジン最適化）を視野に入れている者にとっては、デフォルトのファイル構造では、どうやらネット上の意見を集める限り、よろしくないようだ。
（これは、MovableTypeでもデフォルトでは同じなのだが）何もしないデフォルトの投稿だと、こんな感じのファイルが出力される。
http://asian-curd.asia/weblog/?p=123
123は、システムが割り振った乱数だ。なんでも、サーチエンジンは&#8221;?&#8221;（動的ファイルであることを示す）を、嫌うとか。その上、ランダムな数字が割り振られるため、一度消した投稿記事を復活させたりすると、別の数字が割り振られてしまって、一貫性がなくなる。
そこで、このようなシステムが決めるファイル名を阻止するために、WordPressでは「設定」→「パーマリンク設定」と進んで、ファイル名の規則を変更する。
たとえば「カスタム構造」で、以下のように入力する。
/%category%/%postname%/
そうすれば、こんなファイル名となって、出力される。
http://asian-curd.asia/weblog/letsusewordpress/【wordpress使おう】ポストの名前は、親が決めなきゃ/
そのまんま、日本語のファイルになりました。
投稿フォームの上から編集もできるので、こんなふうにしてみました。
http://asian-curd.asia/weblog/letsusewordpress/wp02/
これで固定すれば、以降ファイル名が変わることもないです。
《注意！》
サーバーによっては、「パーマリンク設定」で変更を保存しようとしても、「.htaccessの書き換え」を要求されてエラーとなる場合があるようです。（xreaがサーバーである私は、そうなりました。）
そのばあい、




「パーマリンク設定」のページでエラーと共に下に書き出されてくるソースを、右クリックでコピーする
「．htaccess」というファイルをメモ帳などで作って、コピーした内容を保存
FTPを使って、WordPressが収まっているルート（index.phpがあるところ）に、「.htaccess」をアップロード。すでに「.htaccess」がある場合には、コピーした内容を追加する
「.htaccess」の属性を、実行できる水準にまで高くする。（サーバーによって違うと思います）



以上の作業が、必要でありました。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>MovableType</strong>と<strong>WordPress</strong>、<strong>Nucleus</strong>との決定的な違いの一つは、前者が<strong>html構造</strong>をしているのに対して、後者が<strong>php構造</strong>であることだ。</p>
<p>htmlは、私のようなホームーページ製作からサイト作りの道に入った人間にとって、おなじみのもの。私もホームページ始めてから四年、テープルや画像はおろか、スタイルシートの作り方にもすっかり慣れてしまった。</p>
<p>MovableTypeは、そんな私のようなホームページ慣れした人間にとって、わかりやすい。<br />
少なくとも投稿記事とアーカイブ、スタイルシートにとどまる限り、用語はホームページの領域から、大きくはみ出すことがない。</p>
<p>その証拠が、「<strong>再構築</strong>」なのだ。</p>
<p>MovableTypeでブログやっている人ならば、だんだん「再構築」に時間がかかって、面倒くさくなってきた経験を、お持ちであろう。</p>
<p>MovableTypeのブログ記事はデフォルトでは静的なｈｔｍｌで作られる。</p>
<p>つまり、一回書き込んだら、手を加えない限り、そのまんまネットの上に載っている。</p>
<p>だから、アーカイヴの仕組みを変えて模様替えしたときなんかには、過去記事のぜんぶを「再構築」して、模様替えの内容を一斉適用してやらなければならない。商品の陳列棚を変える決定がなされたら、各支店の店舗を担当がいちいち回って、指示しなければならないようなものだ。トップの指令がリアルタイムで反映されず、面倒なしくみになっている。これが、静的な構造の弱点である。</p>
<p>いっぽうWordPressやNucleusは、php構造をとっている。</p>
<p>これは、たった今行った更新の内容が、ただちに（動的に）更新内容として、全てのファイルに埋め込まれる構造のことだ。</p>
<p>いうならば、トップが行った店舗の衣装換えの決定が、各支店で次の瞬間に反映されるようなものだ。実際の店舗でこんなことが行われることはないが、中央の指令がいちいちの指示なしに隅々にまで行き渡るわけだから、経営者にとってこんなことが起これば、夢のような環境であろう。こういう理想を現実世界で抱く者は、別名ファシストと呼ばれるんだけれど。</p>
<p>とにかく、WordPressは、再構築する必要がない。どんなにブログが巨大となっても、いつもリアルタイムで更新してくれる。<br />
これは、たいへんに役に立つ構造だ。htmlに慣れている私のような人間にとって、少しとっつきにくいけれども。</p>
<hr />
で、前置きが長くなったが、こんなｐｈｐ構造であることは、よいことずくめではない、ということだ。</p>
<p>単にブログをしこしこと書き溜めるならばよいのであるが、私のようにいざSEO（サーチエンジン最適化）を視野に入れている者にとっては、デフォルトのファイル構造では、どうやらネット上の意見を集める限り、よろしくないようだ。</p>
<p>（これは、MovableTypeでもデフォルトでは同じなのだが）何もしないデフォルトの投稿だと、こんな感じのファイルが出力される。</p>
<p>http://asian-curd.asia/weblog/?p=123</p>
<p>123は、システムが割り振った乱数だ。なんでも、サーチエンジンは&#8221;?&#8221;（動的ファイルであることを示す）を、嫌うとか。その上、ランダムな数字が割り振られるため、一度消した投稿記事を復活させたりすると、別の数字が割り振られてしまって、一貫性がなくなる。</p>
<p>そこで、このようなシステムが決めるファイル名を阻止するために、WordPressでは「設定」→「パーマリンク設定」と進んで、ファイル名の規則を変更する。</p>
<p>たとえば「カスタム構造」で、以下のように入力する。</p>
<p>/%category%/%postname%/</p>
<p>そうすれば、こんなファイル名となって、出力される。</p>
<p>http://asian-curd.asia/weblog/letsusewordpress/【wordpress使おう】ポストの名前は、親が決めなきゃ/</p>
<p>そのまんま、日本語のファイルになりました。<br />
投稿フォームの上から編集もできるので、こんなふうにしてみました。</p>
<p>http://asian-curd.asia/weblog/letsusewordpress/wp02/</p>
<p>これで固定すれば、以降ファイル名が変わることもないです。</p>
<p><strong>《注意！》</strong><br />
サーバーによっては、「パーマリンク設定」で変更を保存しようとしても、「.htaccessの書き換え」を要求されてエラーとなる場合があるようです。（xreaがサーバーである私は、そうなりました。）</p>
<p>そのばあい、</p>
<table border="1" cellpadding="8">
<tr>
<td>
<ol>
<li>「パーマリンク設定」のページでエラーと共に下に書き出されてくるソースを、右クリックでコピーする
<li>「．htaccess」というファイルをメモ帳などで作って、コピーした内容を保存
<li>FTPを使って、WordPressが収まっているルート（index.phpがあるところ）に、「.htaccess」をアップロード。すでに「.htaccess」がある場合には、コピーした内容を追加する
<li>「.htaccess」の属性を、実行できる水準にまで高くする。（サーバーによって違うと思います）</ol>
</td>
</tr>
</table>
<p>以上の作業が、必要でありました。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://asian-curd.asia/wpress/wp02/feed/</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>【WordPress使おう】何はともあれ、画像だよーん。</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Jul 2009 02:35:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[【Wordpress使おう】]]></category>
		<category><![CDATA[.htaccess]]></category>
		<category><![CDATA[wordpress]]></category>
		<category><![CDATA[xrea]]></category>
		<category><![CDATA[アップロード]]></category>
		<category><![CDATA[画像]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/weblog/?p=4</guid>
		<description><![CDATA[
さようなら、nucleus。
残念ながら、先週）（約三日間）、Nucleus（核子と呼ぼう）を我がブログ管理システムの新伴侶として同居していたが、性格の不一致により、今朝協議離婚いたしました。（全アンイストール）
今朝より、WordPress（語の押印、だから判子と呼ぼう）を新妻として、心機一転。
しかし、核子と同じく、判子もまた我が親サーバーのxreaとの相性が悪いことが判明した。
レンタルサーバー、xreaを使っている場合、phpがセーフモードで動かされる仕様となっています。そのため、アップロードを司るｐｈｐファイルが、そのままでは期待通りに動いてくれません。親の心、嫁知らず。
これを解決するために、wordpressをインストールしたディレクトリの下の「wp-admin」ディレクトリに、以下の内容を書いた「.htaccess」という名前のファイルを作って、アップロードしなければなりません。



&#60;files async-upload.php&#62;
AddHandler application/x-httpd-phpcgi .php
&#60;/files&#62;



（元情報：xreaコアサポートより）
上の表示の中の「async-upload.php」が、くだんのアップロードを司るphpファイルです。
2009.07.06現在のwordpress（wordpress2.8）では、この「async-upload.php」を上の表記ではさんで、これをcgiとして動かす必要があります。
ネット上のサイトの多くが、ここを「upload.php」と書いていました。
これは古い仕様で、現在のバージョンでは通用しません。
げんに、私は試みて見事に判子からスカンを食いました。
「こんな説明じゃ、今どきの子はわかんないのよ～」「わからんのは、お前だ～！」
新婚早々、早くも判子（wordpress）と、ケンカです。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-3" title="P5020001" src="http://asian-curd.asia/weblog/wp-content/uploads/2009/07/P5020001-150x150.jpg" alt="P5020001" width="150" height="150" /></p>
<p>さようなら、nucleus。</p>
<p>残念ながら、先週）（約三日間）、Nucleus（核子と呼ぼう）を我がブログ管理システムの新伴侶として同居していたが、性格の不一致により、今朝協議離婚いたしました。（全アンイストール）</p>
<p>今朝より、WordPress（語の押印、だから判子と呼ぼう）を新妻として、心機一転。</p>
<p>しかし、核子と同じく、判子もまた我が親サーバーのxreaとの相性が悪いことが判明した。</p>
<p>レンタルサーバー、<strong>xrea</strong>を使っている場合、<strong>php</strong>がセーフモードで動かされる仕様となっています。そのため、アップロードを司るｐｈｐファイルが、そのままでは期待通りに動いてくれません。親の心、嫁知らず。</p>
<p>これを解決するために、wordpressをインストールしたディレクトリの下の「wp-admin」ディレクトリに、以下の内容を書いた「<strong>.htaccess</strong>」という名前のファイルを作って、アップロードしなければなりません。</p>
<table border="1" cellpadding="5">
<tbody>
<tr>
<td>&lt;files async-upload.php&gt;<br />
AddHandler application/x-httpd-phpcgi .php<br />
&lt;/files&gt;</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>（元情報：<a href="http://sb.xrea.com/showthread.php?t=12693">xreaコアサポート</a>より）</p>
<p>上の表示の中の「<strong>async-upload.php</strong>」が、くだんのアップロードを司るphpファイルです。<br />
2009.07.06現在のwordpress（<strong>wordpress2.8</strong>）では、この「<strong>async-upload.php</strong>」を上の表記ではさんで、これをcgiとして動かす必要があります。</p>
<p>ネット上のサイトの多くが、ここを「upload.php」と書いていました。</p>
<p>これは古い仕様で、現在のバージョンでは通用しません。</p>
<p>げんに、私は試みて見事に判子からスカンを食いました。<br />
「こんな説明じゃ、今どきの子はわかんないのよ～」「わからんのは、お前だ～！」</p>
<p>新婚早々、早くも判子（wordpress）と、ケンカです。</p>
<div id="attachment_9" class="wp-caption alignnone" style="width: 160px"><img class="size-thumbnail wp-image-9" title="P6200019" src="http://asian-curd.asia/weblog/wp-content/uploads/2009/07/P6200019-150x150.jpg" alt="韓国の伝統茶、センガンチャ（しょうが茶）。" width="150" height="150" /><p class="wp-caption-text">韓国の伝統茶、センガンチャ（しょうが茶）。</p></div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>多文化交流会　at Tsuruhashi</title>
		<link>http://asian-curd.asia/tabi/%e5%a4%9a%e6%96%87%e5%8c%96%e4%ba%a4%e6%b5%81%e4%bc%9a%e3%80%80at-tsuruhashi/</link>
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		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 10:32:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[アジア旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[日本の中のアジア]]></category>
		<category><![CDATA[東北アジア研究]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://asian-curd.asia/wpress/%e5%a4%9a%e6%96%87%e5%8c%96%e4%ba%a4%e6%b5%81%e4%bc%9a%e3%80%80at-tsuruhashi/</guid>
		<description><![CDATA[6月20日、鶴橋本通にある韓国伝統茶店「ハナ」で、多文化交流会がありました。
「ハナ」とは、韓国語で「ひとつ」という意味です。
私は、先週あった「ワンコリアフェスティヴァル」の集会の席でもらったチラシをつてに、JR鶴橋駅から歩いていきました。

この日は、夏至の前日。
厨房以外の明かりを消し、冷房も消して、再利用の廃キャンドルを点しての交流会。
かつての時代の夜を再現した、エコナイトでした。
主催した手塚さんと山中さんの、アイディアです。






「ハナ」は、普段は韓国伝統茶のお店です。
壁には、著名なイラストレーター、黒田征太郎氏の絵が、いっぱいに描かれています。

キャンドルライトの下、集まった皆さんと、楽しく会話しました。
喫茶店ですが、今夜はマッコリをメニューに出していただきました。これがなくっちゃ。
アンジュ（つまみ）として、駅前でチヂミとチョッパル（豚足）を買ってきました。
持ち込みOKのパーティーでしたので。
マッコリといえばチヂミかな～と、思ったので。
聞けば、チヂミの焼ける音は、雨の音だとか。
その音を聞きながら、雨の日にチヂミをアンジュに、マッコリを楽しむ。それが、韓国の風流というものなのかな？
－この日は梅雨の最中で蒸し暑かったものの、雨は降りませんでしたけれど。






手塚さんは、韓国語の講師もやっています。
韓国に留学までして、韓国語をマスターした、すごい人です。
山中さんは、オーストラリア留学中に韓国人と知り合ったことを通じて、隣国に興味を持たれたと聞きました。
今夜集まった人々は、いろいろなきっかけで、多文化交流の集いに集まったみなさんでした。
私が隣国に興味を持ったきっかけは、今年2月に行った、韓国旅行からでした。
私は、自分が感動した三つの点を、皆さんに説明しようとしました。

하나 &#8211; 한국의 길이 아주 아름다웠어요.
ひとつ－韓国の道は、きれいだったです。
둘 &#8211; 음식이 다 싸고, 그리고 맛있었어요.
ふたつ－料理がみな安くて、そして美味かったです。
셋 &#8211; 사람의 인정에 감동했어요.
みっつ－ひとびとの人情に、感動しました。
実際には、こんなにすらすら言っていません。
私の韓国語は、まだまだです。
私は、「道がゴミもなくてきれいだった」と言おうとして、
아름다웠어요. アルムダウォッソヨ。
の言葉を使ったら、手塚さんから、「その場合はむしろ、『ケックタダ』（清い、清潔だ）のほうがいいですね。」と教えられた。
私が「ケックタダ」のハングルを書けないでいると、彼女はすらすらと「깨끗하다」とカードに書いてくれた。
「『アルムダプタ』は、『わあ、素敵できれい！』といった感じの、言葉です。」
「あと、『コップタ（곱다）』っていう言葉もありますよね。その違いは？」
「たとえば、年配の方が綺麗なチマチョゴリを着ていたりしたとき、『コップタ』ですね。」
日本語ならば「清楚だ」って、感じだろうか。
さすが、上手に指摘なさる。
韓国語で「趣（おもむき）」は、モッ（멋）といいます。
멋이 있어요.　モシ　イッソヨ。
と言えば、「趣があります」＝「すばらしい」と言う意味になります。
今晩は、まことに、モシ　イッソッソヨ。（すばらしかったです）








]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>6月20日、鶴橋本通にある韓国伝統茶店「ハナ」で、多文化交流会がありました。<br />
「ハナ」とは、韓国語で「ひとつ」という意味です。<br />
私は、先週あった「ワンコリアフェスティヴァル」の集会の席でもらったチラシをつてに、JR鶴橋駅から歩いていきました。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200016.JPG"><img alt="P6200016.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200016-thumb.JPG" width="250" height="187" /></a><br />
この日は、夏至の前日。<br />
厨房以外の明かりを消し、冷房も消して、再利用の廃キャンドルを点しての交流会。<br />
かつての時代の夜を再現した、エコナイトでした。<br />
主催した手塚さんと山中さんの、アイディアです。</p>
<table>
<tr>
<td width="230"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200004.JPG"><img alt="P6200004.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200004-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200009.JPG"><img alt="P6200009.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200009-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
</tr>
</table>
<p>「ハナ」は、普段は韓国伝統茶のお店です。<br />
壁には、著名なイラストレーター、黒田征太郎氏の絵が、いっぱいに描かれています。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200020.JPG"><img alt="P6200020.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200020-thumb.JPG" width="250" height="187" /></a><br />
キャンドルライトの下、集まった皆さんと、楽しく会話しました。<br />
喫茶店ですが、今夜はマッコリをメニューに出していただきました。これがなくっちゃ。<br />
アンジュ（つまみ）として、駅前でチヂミとチョッパル（豚足）を買ってきました。<br />
持ち込みOKのパーティーでしたので。<br />
マッコリといえばチヂミかな～と、思ったので。<br />
聞けば、チヂミの焼ける音は、雨の音だとか。<br />
その音を聞きながら、雨の日にチヂミをアンジュに、マッコリを楽しむ。それが、韓国の風流というものなのかな？<br />
－この日は梅雨の最中で蒸し暑かったものの、雨は降りませんでしたけれど。</p>
<table>
<tr>
<td width="230"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200008.JPG"><img alt="P6200008.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200008-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200001.JPG"><img alt="P6200001.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200001-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
</tr>
</table>
<p>手塚さんは、韓国語の講師もやっています。<br />
韓国に留学までして、韓国語をマスターした、すごい人です。<br />
山中さんは、オーストラリア留学中に韓国人と知り合ったことを通じて、隣国に興味を持たれたと聞きました。<br />
今夜集まった人々は、いろいろなきっかけで、多文化交流の集いに集まったみなさんでした。<br />
私が隣国に興味を持ったきっかけは、今年2月に行った、韓国旅行からでした。<br />
私は、自分が感動した三つの点を、皆さんに説明しようとしました。</p>
<blockquote><p>
하나 &#8211; 한국의 길이 아주 아름다웠어요.<br />
ひとつ－韓国の道は、きれいだったです。<br />
둘 &#8211; 음식이 다 싸고, 그리고 맛있었어요.<br />
ふたつ－料理がみな安くて、そして美味かったです。<br />
셋 &#8211; 사람의 인정에 감동했어요.<br />
みっつ－ひとびとの人情に、感動しました。</p></blockquote>
<p>実際には、こんなにすらすら言っていません。<br />
私の韓国語は、まだまだです。<br />
私は、「道がゴミもなくてきれいだった」と言おうとして、<br />
아름다웠어요. アルムダウォッソヨ。<br />
の言葉を使ったら、手塚さんから、「その場合はむしろ、『ケックタダ』（清い、清潔だ）のほうがいいですね。」と教えられた。<br />
私が「ケックタダ」のハングルを書けないでいると、彼女はすらすらと「깨끗하다」とカードに書いてくれた。<br />
「『アルムダプタ』は、『わあ、素敵できれい！』といった感じの、言葉です。」<br />
「あと、『コップタ（곱다）』っていう言葉もありますよね。その違いは？」<br />
「たとえば、年配の方が綺麗なチマチョゴリを着ていたりしたとき、『コップタ』ですね。」<br />
日本語ならば「清楚だ」って、感じだろうか。<br />
さすが、上手に指摘なさる。<br />
韓国語で「趣（おもむき）」は、モッ（멋）といいます。<br />
멋이 있어요.　モシ　イッソヨ。<br />
と言えば、「趣があります」＝「すばらしい」と言う意味になります。<br />
今晩は、まことに、モシ　イッソッソヨ。（すばらしかったです）</p>
<table>
<tr>
<td width="230"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200026.JPG"><img alt="P6200026.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200026-thumb.JPG" width="150" height="112" /></a>
</td>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200025.JPG"><img alt="P6200026.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200025-thumb.JPG" width="150" height="112" /></a><br />
</a></td>
</tr>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>文京沫『済州島四・三事件』</title>
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		<pubDate>Wed, 17 Jun 2009 08:56:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[東北アジア研究]]></category>
		<category><![CDATA[韓国文学・歴史]]></category>

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		<description><![CDATA[2008年4月、平凡社より発行。
四・三は、（光州事件などの）韓国の過去清算の先行的なモデルとしてあるだけではなく、その歴史的な性格からして、過去清算をめぐるアポリアとも言うべき難題を抱え込んでいることも忘れてはならない。このアポリアは、四・三事件が一九四八年の「単選・単政（単独選挙・単独政府）反対」をスローガンにした武装蜂起であり、現在の韓国が、まさにその「単選」による「単政」として生まれた国家であるという紛れもない歴史的事実に発している。（pp.213）
2003年3月の金大中政権末期に完成した『四・三事件真相調査報告書』は、済州島での事件の犠牲者の数を「二万五〇〇〇～三万人」と推定している。この報告書の確定を受けて、後を承けた盧武鉉大統領は、同年10月31日に済州島を訪れて、政府として正式に謝罪を行った。
本書は1948年から翌年にかけて済州島で執拗に続けられた、48年8月13日に成立したばかりの大韓民国当局（大統領・李承晩）による反共討伐作戦についての、概略を示した書物である。著者の文氏は東京出身の在日二世であり、「あとがき」に書かれているとおり、両親は済州島のご出身である。
「おわりに」によると、文氏の父は、戦前に大阪で働いていた、活字拾いの職工であった。
かつて植民地朝鮮から日本にやって来た在日朝鮮人の最も太いルートの一つが、済州島→大阪の航路であった。
大正十二年（1923）、尼崎汽船会社により、「君が代丸」が大阪・済州島間に就航する。その後、他社も航路に新規参入して、1933年のピーク時には「年に三万人近い済州島人を大阪へと運んだ」（pp36）。
本書内に引用されている1934年（昭和九年）の報告によれば、当時「第二君が代丸」は毎月一と六の日の月六回、大阪から済州島に向けて出航していたという。
1930年当時大阪は人口245万人で東京を上回る日本最大都市であったが、本書引用の統計によると、そのうち内地以外の出身者は八万三千人、総人口の3.4％で、神戸や横浜よりも高い比率であった。その大多数が、当時絶頂を極めていた大阪の町工場の雇用に引き寄せられた在日朝鮮人であり、そしてその大きな割合が済州島出身であったはずである。
文氏の父も、こうして大阪にやって来た一人であったに違いない。その父は、戦後いったん解放と共に郷里の済州島に帰ったらしい。しかし、はやくも1946年には日本に戻ってしまう。文氏は、「おわりに」ではっきりと「密航」と呼んでいる。大日本帝国の解体とともに、朝鮮半島の民がいったん帰国した以上、許可なく戻って来るのは「密航」であった。そして、「この父から、、、私は四・三については全く聞かされていない。」（「おわりに」より）
文氏の父の帰国に象徴されるように、解放直後の済州島は、左右の対立が日増しに先鋭化していく、不穏な土地となっていた。そこに、陸地（済州島人にとって、半島）から乗り込んできた統治者や右翼集団たちが島民をまるごと敵視するに及び、虐殺への道が開けていった。政府によって送り込まれた右翼集団には、「西北青年団」といった北から逃亡してきた上層階級の子弟たちもまた、編入されていたという。彼らは、歴史的に差別視されて来た島民の、しかも「アカ」（実態は、「単選・単政」に反対する島出身の知識人たちと言うべきであったようだが）に対して、シンパシーが少しもなかったであろう。
「四・三」という名称は、誤解を招く。
1948年4月3日は、島で左派による蜂起が勃発した年月日であった。
だが、犠牲者が積みあがったのは、それから翌年にかけて、秋から冬を越して、49年4月の李大統領の済州島訪問の前後に至る、長い時期であった。報告された虐殺の非情さは、まるでナチスのユダヤ人狩りさながらである。そして、続いた期間は沖縄戦よりも長い。住民の恐怖は、想像を絶するものであっただろう。
いったいどうして、三万人にも至る犠牲者を出す虐殺が、行われなければならなかったのだろうか。
これは、本書を読んだ私にとっても、オープンクエスチョンである。
・1948～49年時点の、トルーマン政権の極東戦略。アメリカは48年8月13日に南半分だけで成立した大韓民国政府を支持しながら、在韓米軍を撤退させる政策に出ていた。反共の軍事前線を日本列島・沖縄に設定して、その外にある韓国については代理の現地政権を早々と安定させたいという意図が、あったのであろうか。そのために、李政権の反共強行姿勢を、抑制しようとしなかった面があったか。しかし半島を反共防衛の前線と位置づけなかったトルーマン政権の方針は、翌年の金日成の侵攻計略に、賭けへの自信を与えたという、大失敗に終わることとなった。
・影響力が広がっていた、左派勢力。日本ではついに空振りに終わった左派勢力のゼネストや農民蜂起が、半島では見られた（1946年秋の「１０月人民抗争」）。済州島での蜂起が始まっていた1948年10月には、「麗順（ヨスン）事件」が起こった。全羅南道の麗水（ヨス）で勃発した韓国軍将兵の反乱は、「民間左翼や学生が合流して」（pp121）、順天（スンチョン）を始めとする近隣各地に広がっていた。日本よりも、左派との対立は、韓国でより存亡を賭けた脅威であった。何よりもすぐ北に、着々と体制を整備しつつあった金日成政権があった。
・自治の経験がない、成立したばかりの政府。日本植民地当局の朝鮮統治は、法の支配とインフラの整備を半島にもたらしたが、自治を認めるまでにとうとう至らなかった。日本が半島人の国政参加への展望として導入したのは、結局半島人を「日本人」に解消してしまうべき、「皇民化政策」であった。そして、その試みは大した成果も挙げないままに、自治も参政権も空手形のまま、大日本帝国は崩壊した。後に残ったのは、いまだ国家のシステムとして政治を運営した経験のない、半島の国民であった。国政における妥協のノウハウがなく、地方政治と中央とを調整するパイプも、はっきり見えなかった。米ソ軍政の下で集まった政治家の群像は、海外の亡命者あり、ソ連・満州でのパルチザン派あり、国内での地下独立運動派あり、キリスト教勢力ありと、まるで呉越同舟の中でいきなり建国問題に直面しなければならなかった。その中で力を得た李政権は、いきおい力による政治を解決手段として、選んだのではなかったろうか。
四・三事件は、忌まわしい国家の犯罪であった。この事件を反省し、国民と政府のあり方を改めて問い直す作業は、民主国家として当然の動きであっただろう。
しかし、私によく分からないのは、冒頭の引用が言うごとく、四・三事件の清算が「過去清算をめぐるアポリア（=難問）」に、どうしてなるのであろうか。外国人の私から見れば、過去には確かに強権独裁であって、銃剣のもとに成立した国家であったとしても、今や韓国は民主化を経た民主国家である。その成立の基盤に今さら疑問を持つ必要が、どこにあるのであろうか。
四・三の過ちを認めることは、共産主義側の主張を、認めるからであろうか。それが、北の存在を認めることに、つながるからであろうか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2008年4月、平凡社より発行。</p>
<blockquote><p>四・三は、（光州事件などの）韓国の過去清算の先行的なモデルとしてあるだけではなく、その歴史的な性格からして、過去清算をめぐるアポリアとも言うべき難題を抱え込んでいることも忘れてはならない。このアポリアは、四・三事件が一九四八年の「単選・単政（単独選挙・単独政府）反対」をスローガンにした武装蜂起であり、現在の韓国が、まさにその「単選」による「単政」として生まれた国家であるという紛れもない歴史的事実に発している。（pp.213）</p></blockquote>
<p>2003年3月の金大中政権末期に完成した『四・三事件真相調査報告書』は、済州島での事件の犠牲者の数を「二万五〇〇〇～三万人」と推定している。この報告書の確定を受けて、後を承けた盧武鉉大統領は、同年10月31日に済州島を訪れて、政府として正式に謝罪を行った。<br />
本書は1948年から翌年にかけて済州島で執拗に続けられた、48年8月13日に成立したばかりの大韓民国当局（大統領・李承晩）による反共討伐作戦についての、概略を示した書物である。著者の文氏は東京出身の在日二世であり、「あとがき」に書かれているとおり、両親は済州島のご出身である。<br />
「おわりに」によると、文氏の父は、戦前に大阪で働いていた、活字拾いの職工であった。<br />
かつて植民地朝鮮から日本にやって来た在日朝鮮人の最も太いルートの一つが、済州島→大阪の航路であった。<br />
大正十二年（1923）、尼崎汽船会社により、「君が代丸」が大阪・済州島間に就航する。その後、他社も航路に新規参入して、1933年のピーク時には「年に三万人近い済州島人を大阪へと運んだ」（pp36）。<br />
本書内に引用されている1934年（昭和九年）の報告によれば、当時「第二君が代丸」は毎月一と六の日の月六回、大阪から済州島に向けて出航していたという。<br />
1930年当時大阪は人口245万人で東京を上回る日本最大都市であったが、本書引用の統計によると、そのうち内地以外の出身者は八万三千人、総人口の3.4％で、神戸や横浜よりも高い比率であった。その大多数が、当時絶頂を極めていた大阪の町工場の雇用に引き寄せられた在日朝鮮人であり、そしてその大きな割合が済州島出身であったはずである。<br />
文氏の父も、こうして大阪にやって来た一人であったに違いない。その父は、戦後いったん解放と共に郷里の済州島に帰ったらしい。しかし、はやくも1946年には日本に戻ってしまう。文氏は、「おわりに」ではっきりと「密航」と呼んでいる。大日本帝国の解体とともに、朝鮮半島の民がいったん帰国した以上、許可なく戻って来るのは「密航」であった。そして、「この父から、、、私は四・三については全く聞かされていない。」（「おわりに」より）<br />
文氏の父の帰国に象徴されるように、解放直後の済州島は、左右の対立が日増しに先鋭化していく、不穏な土地となっていた。そこに、陸地（済州島人にとって、半島）から乗り込んできた統治者や右翼集団たちが島民をまるごと敵視するに及び、虐殺への道が開けていった。政府によって送り込まれた右翼集団には、「西北青年団」といった北から逃亡してきた上層階級の子弟たちもまた、編入されていたという。彼らは、歴史的に差別視されて来た島民の、しかも「アカ」（実態は、「単選・単政」に反対する島出身の知識人たちと言うべきであったようだが）に対して、シンパシーが少しもなかったであろう。<br />
「四・三」という名称は、誤解を招く。<br />
1948年4月3日は、島で左派による蜂起が勃発した年月日であった。<br />
だが、犠牲者が積みあがったのは、それから翌年にかけて、秋から冬を越して、49年4月の李大統領の済州島訪問の前後に至る、長い時期であった。報告された虐殺の非情さは、まるでナチスのユダヤ人狩りさながらである。そして、続いた期間は沖縄戦よりも長い。住民の恐怖は、想像を絶するものであっただろう。<br />
いったいどうして、三万人にも至る犠牲者を出す虐殺が、行われなければならなかったのだろうか。<br />
これは、本書を読んだ私にとっても、オープンクエスチョンである。<br />
・1948～49年時点の、トルーマン政権の極東戦略。アメリカは48年8月13日に南半分だけで成立した大韓民国政府を支持しながら、在韓米軍を撤退させる政策に出ていた。反共の軍事前線を日本列島・沖縄に設定して、その外にある韓国については代理の現地政権を早々と安定させたいという意図が、あったのであろうか。そのために、李政権の反共強行姿勢を、抑制しようとしなかった面があったか。しかし半島を反共防衛の前線と位置づけなかったトルーマン政権の方針は、翌年の金日成の侵攻計略に、賭けへの自信を与えたという、大失敗に終わることとなった。<br />
・影響力が広がっていた、左派勢力。日本ではついに空振りに終わった左派勢力のゼネストや農民蜂起が、半島では見られた（1946年秋の「１０月人民抗争」）。済州島での蜂起が始まっていた1948年10月には、「麗順（ヨスン）事件」が起こった。全羅南道の麗水（ヨス）で勃発した韓国軍将兵の反乱は、「民間左翼や学生が合流して」（pp121）、順天（スンチョン）を始めとする近隣各地に広がっていた。日本よりも、左派との対立は、韓国でより存亡を賭けた脅威であった。何よりもすぐ北に、着々と体制を整備しつつあった金日成政権があった。<br />
・自治の経験がない、成立したばかりの政府。日本植民地当局の朝鮮統治は、法の支配とインフラの整備を半島にもたらしたが、自治を認めるまでにとうとう至らなかった。日本が半島人の国政参加への展望として導入したのは、結局半島人を「日本人」に解消してしまうべき、「皇民化政策」であった。そして、その試みは大した成果も挙げないままに、自治も参政権も空手形のまま、大日本帝国は崩壊した。後に残ったのは、いまだ国家のシステムとして政治を運営した経験のない、半島の国民であった。国政における妥協のノウハウがなく、地方政治と中央とを調整するパイプも、はっきり見えなかった。米ソ軍政の下で集まった政治家の群像は、海外の亡命者あり、ソ連・満州でのパルチザン派あり、国内での地下独立運動派あり、キリスト教勢力ありと、まるで呉越同舟の中でいきなり建国問題に直面しなければならなかった。その中で力を得た李政権は、いきおい力による政治を解決手段として、選んだのではなかったろうか。<br />
四・三事件は、忌まわしい国家の犯罪であった。この事件を反省し、国民と政府のあり方を改めて問い直す作業は、民主国家として当然の動きであっただろう。<br />
しかし、私によく分からないのは、冒頭の引用が言うごとく、四・三事件の清算が「過去清算をめぐるアポリア（=難問）」に、どうしてなるのであろうか。外国人の私から見れば、過去には確かに強権独裁であって、銃剣のもとに成立した国家であったとしても、今や韓国は民主化を経た民主国家である。その成立の基盤に今さら疑問を持つ必要が、どこにあるのであろうか。<br />
四・三の過ちを認めることは、共産主義側の主張を、認めるからであろうか。それが、北の存在を認めることに、つながるからであろうか。</p>
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		<title>李榮薫『大韓民国の物語　韓国の「国史」教科書を書き換えよ』</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 23:48:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[東北アジア研究]]></category>
		<category><![CDATA[韓国文学・歴史]]></category>

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		<description><![CDATA[本書は、2009年3月に日本語訳が、文芸春秋社から発行された。訳者は、永島広紀氏。
だが、原書の発行年と、原書の題が書かれていない。（末尾に英語の題だけが、書かれている。）
著者の李榮薫（イ・ヨンフン）氏は、末尾に置かれている略歴によれば、1951年生まれで、現在ソウル大学経済学部教授。著作に、『朝鮮後期社会経済史』（1988）、『朝鮮土地調査事業の研究』（共著、1997）、『数量経済史で捉え直す朝鮮後期』（2005）など。
著者の情報を得ようと、韓国語版Wikipediaを開く。
「이 영훈」で検索する。
ない。
今度は、ポータルサイトのDaumで、検索する。
教授の写真付きで、出てきた。
教授について書かれたカフェ文（카페글）の表題を、見る。
「ニューライトのアン・ビョンジク、イ・ヨンフン教授、日本の金を受け取って研究！」
「イ・ヨンフンは、学生をだめにする教育を、即刻やめろ！」
「イ・ヨンフン教授、挺身隊は自発的参加と妄言」
えげつない言葉が、並んでいる。
カフェ文の表題では李教授を「ニューライト」と称しているが、本書の訳者永島氏の言葉をここで引用すれば、「李榮薫氏は韓国近代経済史研究におけるトップランナーの一人であり、また『ニューライト』の名で呼ばれるかつての民族至上主義的な右派とは明確に一線を画す保守論客であり」、「しばしばいわれのない『親日派』の称号（？）を冠せられようとも、その学風は常に是々非々の追求であり、しかも決して日本に阿諛迎合することも」ない。永島氏は李教授のことを「熱き憂国の士」と呼び、「実証を伴わない観念的な思考を極度に拝する態度を崩すことなく、それでいてかつての『日帝』の所業に対する筆致は厳しくも透徹して」いると、評価する。その意味で、日本にとって最も手強い相手の一人であるかもしれない、と訳者は評しているのである。
本書は、三部に分かれている。
第一部　歴史への視線
第二部　文明史の大転換
第三部　くに作り
第一部は、本書の前置きとして、本書の問題認識を明らかにする。その批判の標的は、『解放前後史の認識』（ハンギル社、1979-1989）という書物である。
第二部は、解放前史を描く。焦点は、李朝が滅んだ原因、日本植民地時代の評価、そして「挺身隊」と「従軍慰安婦」の実相分析に、当てられている。いずれの内容も、きわめて論争的である。
第三部は、李承晩（イ・スンマン）政権までの、解放後史を描く。こちらの内容もまた、きわめて論争的である。
本日読み終えたばかりであって、検討をするのは今後でなくてはならない。
とりあえず読後の感想として、本書の視点は、以前に読んだ韓洪九氏の『韓国現代史』の歴史評価と、鋭く対立している。
あえて申すならば、戦後の大韓民国を、「親日派」の清算がなされずに「親日派」が国の中枢に陣取って作られたいかがわしい歴史であったと評価する韓洪九氏の視点は、金大中氏・故盧武鉉氏の両政権時代に見られた「民族ナショナリズム」（本書の序言を書いた鄭大均氏の言葉）に近づいている。
それに比べれば、李承晩時代を「『くに作り』の政治」と呼び、自由主義も民主主義もなかった国におけるやむないプロセスであったとしてプラス面の評価を下し、自由主義国家である大韓民国の建国を正統なものであるとみなす李教授の視点は、批判者からニューライトだと呼ばれる側面を、持っていないとは言えない。
李教授の日本支配時代に対する分析は、永島氏も評価しているように、是々非々である。通説を検討して、誤りを排したその後に、日本支配を批判しようと試みる立場である。韓国国内で上記のように一部から罵声を浴びている論客であることをわきまえた上で、本書の内容をよく検討していきたい。
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			<content:encoded><![CDATA[<p>本書は、2009年3月に日本語訳が、文芸春秋社から発行された。訳者は、永島広紀氏。<br />
だが、原書の発行年と、原書の題が書かれていない。（末尾に英語の題だけが、書かれている。）<br />
著者の李榮薫（イ・ヨンフン）氏は、末尾に置かれている略歴によれば、1951年生まれで、現在ソウル大学経済学部教授。著作に、『朝鮮後期社会経済史』（1988）、『朝鮮土地調査事業の研究』（共著、1997）、『数量経済史で捉え直す朝鮮後期』（2005）など。<br />
著者の情報を得ようと、韓国語版Wikipediaを開く。<br />
「이 영훈」で検索する。<br />
ない。<br />
今度は、ポータルサイトのDaumで、検索する。<br />
教授の写真付きで、出てきた。<br />
教授について書かれたカフェ文（카페글）の表題を、見る。<br />
「ニューライトのアン・ビョンジク、イ・ヨンフン教授、日本の金を受け取って研究！」<br />
「イ・ヨンフンは、学生をだめにする教育を、即刻やめろ！」<br />
「イ・ヨンフン教授、挺身隊は自発的参加と妄言」<br />
えげつない言葉が、並んでいる。<br />
カフェ文の表題では李教授を「ニューライト」と称しているが、本書の訳者永島氏の言葉をここで引用すれば、「李榮薫氏は韓国近代経済史研究におけるトップランナーの一人であり、また『ニューライト』の名で呼ばれるかつての民族至上主義的な右派とは明確に一線を画す保守論客であり」、「しばしばいわれのない『親日派』の称号（？）を冠せられようとも、その学風は常に是々非々の追求であり、しかも決して日本に阿諛迎合することも」ない。永島氏は李教授のことを「熱き憂国の士」と呼び、「実証を伴わない観念的な思考を極度に拝する態度を崩すことなく、それでいてかつての『日帝』の所業に対する筆致は厳しくも透徹して」いると、評価する。その意味で、日本にとって最も手強い相手の一人であるかもしれない、と訳者は評しているのである。<br />
本書は、三部に分かれている。<br />
第一部　歴史への視線<br />
第二部　文明史の大転換<br />
第三部　くに作り<br />
第一部は、本書の前置きとして、本書の問題認識を明らかにする。その批判の標的は、『解放前後史の認識』（ハンギル社、1979-1989）という書物である。<br />
第二部は、解放前史を描く。焦点は、李朝が滅んだ原因、日本植民地時代の評価、そして「挺身隊」と「従軍慰安婦」の実相分析に、当てられている。いずれの内容も、きわめて論争的である。<br />
第三部は、李承晩（イ・スンマン）政権までの、解放後史を描く。こちらの内容もまた、きわめて論争的である。<br />
本日読み終えたばかりであって、検討をするのは今後でなくてはならない。<br />
とりあえず読後の感想として、本書の視点は、以前に読んだ韓洪九氏の『韓国現代史』の歴史評価と、鋭く対立している。<br />
あえて申すならば、戦後の大韓民国を、「親日派」の清算がなされずに「親日派」が国の中枢に陣取って作られたいかがわしい歴史であったと評価する韓洪九氏の視点は、金大中氏・故盧武鉉氏の両政権時代に見られた「民族ナショナリズム」（本書の序言を書いた鄭大均氏の言葉）に近づいている。<br />
それに比べれば、李承晩時代を「『くに作り』の政治」と呼び、自由主義も民主主義もなかった国におけるやむないプロセスであったとしてプラス面の評価を下し、自由主義国家である大韓民国の建国を正統なものであるとみなす李教授の視点は、批判者からニューライトだと呼ばれる側面を、持っていないとは言えない。<br />
李教授の日本支配時代に対する分析は、永島氏も評価しているように、是々非々である。通説を検討して、誤りを排したその後に、日本支配を批判しようと試みる立場である。韓国国内で上記のように一部から罵声を浴びている論客であることをわきまえた上で、本書の内容をよく検討していきたい。</p>
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