森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』第7章 ただ一つの解決策より
2009年03月21日
戦争中の日本軍の暴虐を考えれば、私は「謝罪する」という言葉を使いたかったが、私は彼らの真情を知りたかったので、できるだけ倫理的な判断から距離を置くために謝るとか、お詫びするという言葉を一回として使わなかった。私の思想も心情も彼らに通じ、彼らによって受け入れられたと私は今でも考えている。というのは、私は翌日の学生の出席者の数は減るのではないかと予想していたが、それは増えこそすれ減ることはなかったからである。最後の二日間は南開大学の元学長も続けて出席してくれたのである。
しかしそれは学生との意志の疎通である。日本軍に苦しめられた一般民衆や、日本軍と戦った軍人たちも代表する江主席は、日本人の歴史理解を曖昧にしたままで両国の関係を先に進ませることができないのは当然である。
(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』(岩波書店)第7章 ただ一つの解決策より。)
今この本を改めて読み返してみると、森嶋氏の構想といま私が抱いている構想は、力点の置きところが少しずれている。
森嶋氏と私が共有している点は、日本・コリア半島・中国文化圏の三者を「東北アジア」と定義して、これを「歴史的文化的にも近く、人種的にも近い隣国だから共同作業が出来る」(pp.155)と考えている点である。森嶋氏は、文化的つながりを共同体の基盤に置いている。ゆえに、宗教が違うベトナム以南の東南アジア諸国は、含まれない。ましてや、インド、ロシア、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドは、少なくとも経済共同体としての「東北アジア共同体」の枠組みの、外に置かれる。森嶋氏のこの域内における最終構想は、EUと同じ域内共通通貨である。この構想に、私は全面的に賛同する。
私と森嶋氏が違う点は、日本にイノベーションをもたらしうる隣国への焦点の当て方であり、ゆえに真っ先にアプローチするべき隣国の選び方である。森嶋氏は戦前に海軍に徴集された戦争経験者であり、あの戦争が中国への日本侵略から始まったことを、骨身にしみて知っていた。だから、彼の構想が、日本の社会経済を復活させるフロンティアを中国に他ならないと位置付けているのは、経験から導かれたものであると批評したい。
しかし私の意見は、真っ先に日本が求めるべきフロンティアは、コリア半島である。それは、私の経験から来る直感であり、そして二十一世紀初頭における両国の経済と民度の発展度合の近さ、それから両国の行き詰まった現状に対する最も効き目のある薬であると判断できる展望から、導かれたものである。いずれ両国は中国に向かって開かなければならないが、日本とコリア半島との差と、両国と中国文化圏との差は、いささか開きがある。
段階的な構想を持った方が、よいと私は考えている。政治的枠組みとしてまず三国共同体を作り、経済のすり合わせが必要な市場統合と通貨統合については、まず日韓で行い、中国は条件が整い次第、拡大するのがよいであろう。もちろん、中国にも大きなメリットがあることを実をもって示さなければ、かの国は乗ってこない。関税及び非関税障壁の撤廃、域内投資活動の自由化、域内雇用の自由化をスケジュールとして示しながら、日韓にとって懸案である食料品他の品質管理、雇用条件の向上、国際的犯罪防止システムの構築を、中国側に求めなければならない。その先には、かの体制に政治プロセスの民主化と、民衆に対する法の支配の貫徹と、広大な国内に住まうマイノリティー民族文化の真摯なる尊重とを、人類のために我々は促していかなくてはならない。
上の引用は、森嶋氏が中国国内の大学で講義した際の、経験である。森嶋氏は、中国学生の真意を聞きたくて、あえて謝罪の意を控えた。むしろ、「民族もまた発狂しうる」(pp.151)という説明を用いて、かの国の文化大革命と類比させ、倫理的判断を避けた。そうして、これからは過去と違って相互協力し合わなければならないことを、学生に向けて語ったのであった。「中国学生を一応納得させることに成功」したと、森嶋氏は講義の結果を判断している。
森嶋氏は、上の引用のとおり、日本が謝罪しなくてもよいと言っているのではない。
日本人の歴史理解を曖昧にしたままで、日中両国の関係を先に進めることはできない。「アジアへの侵略は弁解の余地がない。謝るべきです。それも心から謝れば、将来に向かって話し合えるようになる。」(1998.11.21付東京新聞夕刊における談話の引用。pp.157)
彼もまた私同様に、悪事については謝罪して、その悪事の原因を日本国が二度と起こさないように反省しなければ、将来の共同体建設を進めることができないと、考えていた。コリア半島について言えば、二度と秀吉のような侵略を起こさないことを誓い(私の友人の夕映舎氏は、秀吉の侵略を耄碌ゆえの誇大妄想だったろうと批評していた。だがその点については、私は別の意見を持っている。私見では、秀吉の海外征服事業は、元来信長のプランであったと、推理している。)、大切な隣国を植民地化した過去に痛恨を感じて詫びる必要があるだろう。2002年9月、当時の小泉首相はピョンヤンにおいて、「植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛をあたえたという歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」した。
では、2002年9月以降、日本の隣国に対する姿勢に、何が足りないのか?
答えは一つ。
将来に向けた、具体的なプランである。
日本の持てる力を、地域の繁栄と、民の幸福と、戦争と圧制の恐怖から和らげる救済に向けて、ひたむきに汗をかく努力である。この努力が日本政府と日本社会に何一つ見えないことが、韓国も、中国も、いまだに批判の手を休めない、口実となっているのだ。結局、口だけかよ。そうだ、口だけなのだ。あんたらとは、関わり合いたくないの。私は、米(アメ)さんに恋して、頼って、尽くしてるの。あんたらなんか、嫌い。
小泉首相の日朝宣言後の北朝鮮や韓中に対する強硬姿勢、その後を継いだ安倍首相の輪をかけた強硬姿勢。これは、明らかにアメさんへの色目であり、そして己の選挙基盤の反アジア的意見に、引っ張られたものである。自民党外交のこの方十年は、東北アジア構想を大きく後退させてしまった。インド、ASEANと提携、、、?そんな迂遠な外交が、日本社会を救う特効薬になるとでも、思っているのか。北朝鮮核協議を踏み台にした、六国共同体、、、?それは安全保障であって、安全保障ももちろん大事であるが、経済と社会の行き詰まりは、安全保障では解決されない。日本人をもっと幸福にするプランを、どうして考えないのだろうか。考えない政治家は、政治家とはいえない。政治屋。いやさ、テクニックで顧客の無理難題をゴリ押しして通す、「政治師」とでも呼ぶべきであろう。
雨森芳洲『交隣提醒』試訳
2009年03月22日
雨森芳洲『交隣提醒』試訳、今回でいちおう終結。
末尾の段を、訳す。
「誠信の交」と申す言葉を、人々は口に出しますが、たいていはその字義を明らかにしておりません。
誠信と申すのは、「実意」と申すことでございまして、「互イニ欺カズ争ワズ」、真実をもって交わることを、誠信と申すのです。
朝鮮とまことの誠信の交わりを取り行うべきであるとお思いになられるならば、こちらからの送使もまたご辞退なされて、すこしもかの国の接待ご馳走を受けないようになさる時がなくては、まことの誠信とは申しがたいです。その理由は、かの国の書籍を拝見すれば、かれらの底意がどこにあるかが知れるからです。しかしこういう段階に持っていくことは、容易にかなうことではございませんゆえ、現今まで続けて参ったのでございまして、だからかの国でもまた、容易に改めることができそうにありません。そういうわけなので、何とぞ今後は現状に留め置かれながらも、加えて「実意」を見失わないようにお心がけになられるべきで、ございます。
「日本人ハ其ノ性獷悍(こうかん。無礼にて凶暴)ニテ、義ヲ以ッテ屈シ難シ」と申叔舟の文にも、見えます。かの国の幣竇(へいとう。貨幣と通しひも。つまり、費用)は、相当の負担でございますが、送使接待を初め、今まで別状もなく連続しているのは、獷悍の性を恐れられていることから起こることなので、ございます。以降、余威は今やはなはだ薄くなっております。ゆえに、今後の対馬人が、「従前ノ武義」を失い、惰慢の心を持つようになれば、必ずや最前申し上げた「なんとかの木刀」のごとくになりますので、朝鮮関係の幹事の者どもは、そのことよく心得るのが肝要にございます。とにかく、朝鮮の事情をくわしく知らずにいるならば、事に臨んで何の了見も持つことができなくなります。浮説新語がどれぐらい出て来たところで、何の益にもなりません。」それゆえ、『経国大典』『考事撮要』などの書や、阿比留惣兵衛が編じ申し上げた『善隣通交』、松浦儀右衛門が編じ申し上げた『通交大紀』、および分類記事・紀事・大綱を常に熟覧いたして、前後を考え処置いたすべきかと、存じます。
享保十三戊申年十二月二十日
雨森東五郎
この末尾の文は、慎重に読むべきであると、考える。
芳洲は、あくまでも対馬藩主に対して、言上しているのである。
対馬藩は、釜山草梁倭館を一手に運営し、毎年の八送使による貿易により利益を収め、その上藩の使者の接待馳走など、李朝の持ち出しは大きかった。これを李朝と対馬藩の関係から見れば、一方的に恩恵を受けているとみなされる。だから、対馬藩に仕えていた芳洲は、対馬藩主に対して、この不均衡な相互関係の背景について説明し、こちらが「獷悍」ゆえに相手は今まで費用を持ち出しているが、今後藩士たちの性が惰慢に流れ、相手が慣れる風潮がますます昂じてくると、いつなんどきトラブルがあったときに相手のペースに乗せられかねないか分からない、と警告したのである。現状はしかし容易に変えられないのだから、藩主と藩士たちはよく相手国の事情を学んで精通しておき、事あれば理義をもって毅然と応対しなければならないことを、芳洲は最後に説いたのであった。
徳川時代の藩は、あくまでも独立経営体である。
幕府は、諸侯の盟主として、指揮権を行使しているだけであった。
だからこの末尾における藩主への忠告のような文が、書かれたのである。
しかし、日本国全体から見れば、幕府は朝鮮通信使の形で、不定期とはいうものの、大変な費用をはたいて、李朝の使者を接待しているのである。いっぽう、李朝は日本の使者を、釜山の外から一歩も外へ出させようとしない。日本国全体と李朝との外交関係から見れば、通信使への接待と対馬藩への接待で、帳消しであると言うべきだ。何の、不均衡もない。むしろ、日本国の対馬藩に対して李朝が便宜をはかるのは、当然の義務である。もし李朝の側が対馬藩側に何か無理難題を言ってきたのならば、日本国全体の見地から見れば、それは不当な言いがかりである。対馬藩は、言い返してもよいのである。しかし、対馬藩は李朝外交を幕府から請け負う独立経営体として、李朝の恩恵に言い返すことが、なかなか難しい。この辺りが、幕藩体制の複雑怪奇な側面であった。
そこを頭に入れて読むと、どうして李朝がこの泰平の世においても、幕府の使者を漢陽(ソウル)に迎え入れてくれないのかの真意を、読み取ることができる。
-日本人ハ其ノ性獷悍ニテ、義ヲ以ッテ屈シ難シ。
申叔舟の文の引用であるということであるが、これが彼個人の意見であるということは、できない。この書は、芳洲も読むことができた、公式文書である。つまり、李朝の朝廷では、日本人のことをこのように考えていた、というわけなのだ。
儒教の国際秩序において、「交隣」とは、このようなものであった。日本は、儒教秩序から見れば、「化外」の蛮族である。蛮族とは、儒教を採用した「東方礼儀の邦(くに)」の李朝としては、親しく付き合うことなど、できない。わずかに釜山の港で貿易を許してやるから、せいぜいおとなしくしてくれよ、というのが、李朝朝廷の日本政府に対する、真意なのであった。
まことに、残念なことであった。李朝の政界は、この頃完全にイデオロギーでがんじがらめに、自分を縛り付けていたのだ。雨森芳洲と申維翰とは個人的にもずいぶん親しく付き合い、総じて通信使の面々は日本に対して好意的な印象を持っていたにも関わらず、李朝の公式見解は、日本について「義ヲ以ッテ屈シ難シ」であった。
そんな不幸な大状況の外交関係であったが、末尾の芳洲の言葉は、現代にも訴えかける、外交の要点である。
互イニ欺カズ、争ワズ。
真実をもって交わることを、誠信と申す。
対等の、外交である。
対等の人間同士の交わりと同じく、国と国との交わりは、本当はこうでなければならない。
「誠信」とは、儒教の徳目の一、「信」である。
朋友、信アリ。
「信」とは、親子でも夫婦でも兄弟でもない、他人同士が社会の中で交わるときに発動するべき、徳目である。親子や兄弟の関係のように切っても切れないつながりではなく、したがってこちら側が一方的に屈従したり、あるいは相手側から屈従されることを期待することは、できない。あくまでも、ギブ&テイクの関係である。それが、「信」を作り出す。ゆえに、互いに相手のことを尊重し、相手の過ちに対しては黙っておらずにきちんと反論しなければならない。つまり、よき対等の関係である。芳洲は対馬藩との関係の中で語っているゆえに、国家全体の外交関係とは齟齬がある。しかし、外交の原理については、彼ほど的確に言い表すことができた日本人は、今に至るまでも稀ではなかろうか。
Korea!2009/03/22
春のうらゝの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき
見ずや あけぼの露浴びて
われにもの言ふ櫻木を
見ずや 夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき
著名な武島又次郎作詞、滝廉太郎作曲の『花』である。
この歌詞を、英訳してみた。
Sumida River in the right spring,
Boatmen, who come along up and down.
Drops trickling from their rows, scattering like flowers,
How can be explained, this splendid scenery?
Why don’t you look? There’s dawn,
Cherry blossoms talk to us, dressed in dews.
Why don’t you behold? There’s dusk,
Green willows invite us, stretching their hands.
Above a long embankment in the evening dress,
Comes and rises a hazy moon.
Surely are, two hours, worthy of two million pounds!
How can be explained, this splendid scenery?
第三聯の三行目は、直訳しても意味がない。
それで、一刻すなわち二時間を、二百万ポンドに値する、としゃれてみた。
二百万ドルでは、味気ない。金儲けの国アメリカの貨幣単位では、味気ない。
さらに、韓国語に訳しても、みた。
화창한 봄의, 스미다강.
올라 내리는, 뱃사람들의
노의 물방울이, 꽃이 되고, 지다.
이 경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
보지 않았어?새벽의 이슬을 받아
나에게 이야기를 거는 벚꽃나무를.
보지 않았어?황혼에 손을 펴
나를 부르는 푸른 버들을.
비단의 옷을 껴입는 긴
제방 위에 와 오르는, 어슴푸레한 달.
확실히 一刻이 千金인
경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
だいたい、意味は通っていると思う。
第三聯の三行目は、漢字を残さなければならない。
これは、蘇東坡の詩からの引用なのだ。
蘇東坡『春夜』
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管樓台聲細細
鞦韆院落夜沈沈
かつては、彼ら韓国人だって、(漢字が読める階級の人間であれば、の話であるが)この詩を当たり前に、知っていた。
だが今はもう、捨てかけてしまっている。あまりにも、むざんである。
彼らの祖先たちに語りかけるためにも、『一刻千金』の四字熟語は、漢字として訳に残さなければならない。そう考えて、漢字にした。
Korea!2009/03/24
2009年03月24日
3月23日、JR西日本から、さいぜんに送ったメールに対して、以下の返答があった。
以下に、公開する。
鈴元 仁様
いつもJR西日本をご利用いただきまして、ありがとうございます。
また、ご連絡が遅くなりまして申し訳ございませんでした。
関係部署からの報告に基づき、再度頂戴いたしましたご意見についてご回答させていただきます。
全世界の言語に対応した券売機をご要望とのことですが、多様な国際化に対応するという観点で今後検討してまいりたいと思います。
貴重なご意見をありがとうございました。
今後ともJR西日本をご利用いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
テンプレート、だな。
文面を見るだけで、分かる。
残念ながら、このような慇懃無礼な文書をもらったところで、私は嬉しくもなんともない。
私は、役所時代に、こういうテンプレートの文書を、死ぬほど書かされた。
市民からの苦情に対して、言葉だけ謝るための文書を、送り返すために。
その実態は、何一つ反省していないのだ。それが、大組織というものだ。
JR西日本が、私が知っている大組織と同様でないことを、祈る。たぶん、期待できないだろうが、、、
朴景利『金薬局の娘たち』
2009年04月02日
朴景利(パク・キョンイ)の中篇小説『金薬局の娘たち』を読了。冬樹社『現代韓国文学選集』の訳で、読んだ。このシリーズにおいては編集委員の名が連名で記されているだけで、訳者の個人名は記載されていない。
読後の、感想。
骨が見える、物語だ。
長編小説といってよい分量の物語であるが、結末を導くための人物配置、事件の絡ませ方に関する筋立てが、はっきりと見える。それは、小説を書くことを試みてみた私の経験から言っても、物書きとしては事前に用意するのは、当たり前だ。そして、それに対するディテールの描写が、長い物語のよしあしを決める決定的要素であることも、小説を中途であるが試みた私には、分かるのだ。
この小説は、だがディテールが残念ながら薄い。読後に、そう思った。
物語はタイトルが示すように、裕福な金薬局の家に生まれた五人の娘の事件を描いている。
だが、この物語は、彼女たちのうちいったい誰を、真に描きたかったのか。
次女の、容斌(ヨンム)なのか。
三女の、容蘭(ヨンラン)なのか。
それとも、長女の容淑(ヨンス)、はたまた四女の容玉(ヨンオク)なのか。
これら全てに焦点を当てようと作者が思うならば、これだけの長さではとても足りない。
『カラマーゾフ』の巨大さが、必要だ。
しかし、金薬局の娘たちには、ドミートリー、イヴァン、アレクセイの三兄弟のような、人間としてのスケールの大きさがない。だから、印象を積み重ねる、中編小説のスタイルで描くより、他はない。キリスト教、仏教、土俗宗教、そして反日独立運動が、ディテール描写の素材として用いられている。しかし、ドストエフスキー小説に見られるような、思想の徹底した掘り下げは、この小説が試みるものではない。時折出てくる思想に対する描写は、生煮えに終わっている。美味しく頂けない。
だから、この分量ならば、モーパッサンやフォースターのように、特定の人間に焦点を絞って、ディテールを積み上げたほうが、小説として成功したのではないか。それを、あっちこっちで不幸な事件を勃発させて、悲劇を作り出そうと試みるものであるから、読後感が消化不良に襲われてならない。たとえは悪いが、まるでサドの『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』を読んだ後の味気なさのようだ。サドの小説の狙いは皮肉な笑いであるが、この『金薬局』は悲劇を目指しているはずだから、味気なさが読後感となっては、困る。
各民族には、得意な物語のジャンルがある。
思想を徹底的に突き詰める深刻さがあるロシアやドイツの小説は、大長編が最も素晴らしい。
生活を愛しながら、ディテールを積み上げて人間の悲喜劇を作りあげることが得意なイギリス人とフランス人は、中篇小説に最大の持ち味がある。
日本人は、思想的深刻さとは無縁であるうえに、あまり人生を楽しんでいない。ゆえに、風の一瞬のそよぎや、石の上に差した一条の光に、あわれなる情緒を感じて描く、俳句が優れている。小説ならば、短編小説だ。日本人の物語は、長くなれば長くなるほど、質が落ちる。
韓国人も、そうなのではないだろうか。
私は、韓国文学の短編は、これまで読んで大変に面白いと思った。
しかし、長編を読むことを試みた現在、日本と同じく何かが足りないと、感じた。
思想的深刻さ、それから人生をまるごと愛するまなざしが、日本人以上に韓国人に、あるのだろうか。
私は、韓国人の物書きもまた、その持ち味は一瞬の情緒を描く、詩あるいは短編にあるのではないだろうかと、現在予感している。
黄順元『日月』
2009年04月15日
人間のジャングル。互に酒を酌み交わすときだけは、いとも睦ましげに振舞っても、一旦自分に不利と見て取ると、いとも無関心な他人になってしまう世界-、仁哲はその魅力にひきずられてここの常連になったのかもしれないと自分で思った。(pp320)
わが早稲田大学英文科出身の作家、黄順元(ファン・スンウォン)の長編、『日月』を読了。例によって、冬樹社『現代韓国文学選集』の訳を読んだ。
本作の基本テーマは、白丁(ペッチョン)と呼ばれる被差別階級を出自に持つ主人公の、周囲に起こるドラマである。
白丁とは、李朝において牛の屠殺解体を生業とした集団であり、わが国の「えた」階級との類似がしばしば指摘される。
韓国人は日本人と違って牛肉を常食する習慣があるために、牛の解体という職業の需要は、日本よりずっと多かったと推測される。しかし、本小説でも結局その出自や分布状況がはっきり示されていないように、歴史的な実態は、今となってはよく分からない。わが「えた」階級に比べて、どれほど社会内での差別が深刻なものであったのかも、外国人である私には、よくわからない。
しかし、この物語において、主人公の仁哲の一族が実は白丁であったというテーマは、物語全体においてあくまでも寿司ネタの一つにすぎない。島崎の『破戒』のごとく、このテーマを中心にどすんと据えて重々しく展開するような、迫力を持たせた書き方ではない。むしろ、作者が英文学専攻であったところからも嗅ぎ取れるように、イギリス小説の淡々とした人情劇の積み重ねが、この小説のメインなる味わいといえよう。
結局、主人公の仁哲が、多恵と美奈のフタマタかけたうらやましい奴で、うらやましい境遇のくせに、知らなくてもいい自分の父親の出自を見つけて悩み、結局美奈が自分の祖先を許して、ハッピーエンドとなる。物語全体として、悲しみは最後に用意されているが、深刻さはない。これが白丁という存在が韓国ですでに忘れ去られた存在となった歴史の反映と見なすべきなのか、それともこの物語の中だけの理想的状況なのかどうかは、外国人である私にはよく分からない。
この物語の登場人物は、じつによく酒を飲む。
「馴染みの店らしいな」
起竜が店の中を見まわすでもなくそう言った。
「そう見えますか?」
「路地に入ったときから体じゅうがここの雰囲気に溶けこんでいたよ」
仁哲は笑った。(pp384)
この書き手は、酒を知っているな、というところがわかるくだりに、ちょっとニヤリとさせられる。
仁哲といとこの起竜がサシで飲むシーンで繰り返し出てくる、やかんの中の酒は、きっとマッコリであろう。そして、仁哲や美奈、それに芸術家仲間たちが集まる居酒屋で饒舌な会話中に飲まれるのは、薬酒(ヤッチュ)だ。美味そうだな、と喉を鳴らしてしまう。
「ところで、あんたの顔色、前より良くないな。無理して酒飲むことないんじゃないかな。酒に頼るってのは一番拙いやり方だよ。もちろん酒の方でもそれを受け付けてくれないしね。」
起竜は近ごろの仁哲の心境を見抜いているような口ぶりだった。(pp383)
この物語も、キリスト教が出てくる。韓国の作家にとって、キリスト教はマッコリか薬酒のように、なくてはならない道具なのだろう。しかし、信仰について、大して掘り下げてはいない。まあ、これで終わらせた方が、アジア人としては無難だろう。取り上げたテーマに比して重さはない小説であるが、結構楽しく読むことができた。
崔吉城『「親日」と「反日」の文化人類学』
2009年04月16日
反日の的は日本ではなく、あくまでも韓国人の親日である。解放後、独立国家として韓国は国造りに尽力し、反日を利用したといえる。、、、国民国家を作るには反日的民族主義が必要であった。(pp.49)
著者は日本で教鞭を取り、1945年8月のサハリン朝鮮人虐殺事件の研究などの仕事を行っている、大学教授である。
さすがに、「文化人類学」を著作の表題として掲げただけの、ことはある(著者の専門は、韓国民俗学)。
上の引用の箇所は、現代韓国の「反日」へのこだわりの、根本的心理要因を、ずばりと突いている。
しかし最近の若者は植民地の体験や経験もないのに反日感情が強いのはなぜであろうか。巨文島のとなり村に住んだ人たちは巨文島の人たちを植民地の手先だといってそこに住んだ韓国人を憎み、反日感情を持つようになったのか。それは特に戦後のナショナリズムが強い学校教育やマスコミなどによって植民地をより悪く認識するようになったからであろう。(pp123)
崔氏が行った、巨文島(コムンド)における植民地時代の経験者たちに対する聞き取り調査を報告した章の中の、一文である。
もちろん、限られた人間に対する聞き取り調査であるから、その内容だけで戦前の韓国人の対日感情の実情を推測することなんぞ、できはしない。
だが、調査者である崔氏の目には、戦前の巨文島(この島は、とりわけ日本人が多く住み着き、戦前には日本式の漁業によって大いに繁栄していた)での日本人と韓国人との関係は、善悪の衝突であるかのような徹底的対立の構図からは程遠いものであったようだと、写ったようである。おそらく、もっとニュアンスに富んだ、複雑な両国民の関係であった。
それが、善悪対決の構図にまで神話化されたのは、戦後の教育宣伝が寄与した面が大きい。
ゆえに、崔氏はむしろ戦後の若者たちのほうが、ずっと反日的であると指摘せざるをえなくなった。
他国を貶めて自国を称揚するナショナリズムは、国民の創生段階においては、致し方のない偏向である。げんに、日本もそうであった。
反日を神話として信奉している戦後生まれの世代がすでにほぼ全人口を占めている現代の韓国において、彼らの信念が変わるのは、結構難しい。韓国もまた、今や少子高齢化なのだ。一番人口が多い中高年世代は、容易に己が親しんだ常識を変えられないだろう。何か従来の外交とは違ったアプローチが、両国間の関係改善には必要なはずだ。それを考えて、実行に移さなければならない。
崔吉城『「親日」と「反日」の文化人類学』(2)
2009年04月17日
日本人が風水を積極的に利用したという見方には、日本政府が朝鮮人に、偉い人物が出ないように風水上の龍脈を切ったのであるという言説が常に存在する。(pp146)
本書第4章は、金泳三政権が1995年に行った、旧朝鮮総督府破壊政策についての考究に割かれている。
風水(プンス)は、韓国人からなかなか消えない、しぶとい迷信である。
中国から、輸入された。
韓国では、高麗(コリョ)時代に、大流行した。
李朝は儒教一尊の国是として、儒教とは何の関係もない風水に対して、警戒した。しかし、民間の習俗の間では、衰えもせずに隆盛を続けた。「風水は明堂という所に先祖の墓や住宅を建てるとその地気により幸福になるという信仰であり、、、たとえば甲が風水にある吉地を乙の墓地で探して乙に秘密でその墓地に闇葬したのが乙に発覚し闘争が起こる。これを『山訴』という。」(pp142)
迷信といえども民族文化であるから、外国人が韓国人の風水信仰に対して、とやかく口を出すいわれはない。
しかし、本章で問題とされているのは、金泳三政権下で反日世論を煽るために登場した言説の中に、日本が風水を悪用してわざと龍脈を断つ意図で総督府を建てた、というものがあった点である。
これは、著者も疑問を持っているように、明らかにおかしい。
日本人には、風水思想はない。
この騒動の中で浮かび上がった韓国人の意識を見ると、どうやら彼らは日本という外国のことを、外国として突き放して理解しきれていない、という事情があぶり出されてくる。
彼らは、「韓国人の常識、外国では非常識」の点を、十分に理解できていないようだ。だから、日本人が風水を知って利用したという、見当違いの主張が堂々と現れる。彼らは日本人と同様の、病気にかかっている。
私個人の意見としては、旧総督府破壊などの日帝時代残渣の破壊行為については、賢明な政策であるとは言いたくないが、それで鬱憤が晴れるならば、人が傷つかない限りご随意にどうぞ、と言いたい。戦争よりは、はるかにましではないか。(ただし、今も行われている「親日派」狩りは、関係者を傷つけるものである。私は、これに関しては旧総督府と同じスタンスを取ることができない。)
麗水会は植民地時代に韓国全羅南道麗水市地域に住んでいて引き揚げた人びとの組織団体である。、、、会員は千七百人である。(pp248)
日本には、麗水会のような、旧植民地から引き揚げてきた人々の親睦団体が、いくつか存在している。敗戦から、すでに六十五年。当時尋常小学校卒業時点の年齢ですら、皆さんは今や八十前である。間もなく、戦前の引揚者たちの記憶は、地上から消滅する運命にある。
本書終章の末尾に、「橋渡し役の引揚者たち」という項目で、例として戦前に麗水(ヨス)で暮らしていた人々の集まりが、言及されている。「彼らは朝鮮半島や韓国とは直接的な関係はなくてもよい。懐かしさと自己アイデンティティのために集まるのだといえる」(pp252)と評しながらも、「しかし国際化時代になり、彼らも韓国との関係をより近く感じるようになった、、、引揚者は日韓関係の橋渡し役、日韓関係のよきアドバイザーとして存在しているのではないかと考えられる」(pp252-253)と、しめくくっている。
戦後長らく冷え込んでいた日韓関係の前には、植民地時代があった。
本書にも言及されているように、巨文島への日本人の最初の殖民活動は、日露戦争時に行われた日韓協約に基づいて、連合艦隊の戦艦の後に着いて行ったところから始まった。当初は、現地人の襲撃を恐れて、家が完成するまでは穴ぐらで隠れて寝泊りしていたという。
これからちょうど十年前に、植民地となった台湾に乗り込んでいった日本人教育者たちが、士林(シーリン)の現地村民たちの襲撃を受けて皆殺しに会った状況と、そっくり同じである。これら「六氏先生」は、後に神として祀られ、台湾住民の子弟に参拝が義務付けられた。
韓国でも台湾でも、大状況は日本の植民地化であった。たとえ日本人と現地人との関係が、後世の神話によって宣伝されたものとは裏腹に、それほど対立的ではなかったとしても、日本人が勝者として植民活動を行った点には、変わりがない。その総仕上げが、韓国人や台湾人を日本人に解消してしまおうとした、皇民化政策であった。
皇民化政策は結局敗れ、大日本帝国は清算された。
覆水、盆に返らず。
済んでしまった現在では、いくら皇民化政策が植民地の民を同胞に格上げするための善意から出た政策であったとわが側が強弁しても、始まらない。韓国も台湾も、今は外国である。外国でなかった時代の記憶は、間もなく消えてしまう。今目の前にあるのは、植民地政策に対する後進の者たちが抱く憤りと、戦後に積み上げられた神話が作り上げた、対立のわだかまりだ。
我々の世代は、ノスタルジーから始められない。
結局、引揚者たちはかつて持っていた韓国人とのつながりを、時の流れとともに完全に失ってしまった。
内向き指向の、両国民だ。
こうなるのが、民族性であった。
しかし、これから先の時代は、両国民の「内向き症候群」に立ち向かって、パイプを広げていかなければならない。
それが、後進の者たちの、義務ではないか?
韓洪九『韓国現代史』
2009年04月18日
私が読んでいるのは平凡社から発行された訳書であるが、原著の『大韓民国史-壇君から金斗漢まで』は、2003年2月7日にハンギョレ新聞社から出版されて、ベストセラーとなったということだ。ただし、3万5000部でベストセラーと、監訳者は言っている。日本の常識から言えば、ずいぶんに少ない。この著作が、大衆的にどれだけ評判を獲得したのかは、よくわからない。本書は、韓国で猛威を揮っているネチズンの言動にまで、影響を及ぼしえたのか?そもそも、韓国のネチズンたちは、本書のようなしっかりした歴史書を、どれだけ読んでいるのだろうか?
韓国に来て、あるいは韓国に来る前に移住労働者らが最初に覚える韓国語は、「テリジマセヨ・ヨッカジマセヨ・ウリドサラミエヨ(ぶたないでください。怒鳴らないでください。私たちだって人間なんです)」だといいます。さらに「ウォルグブン・ウェー・アンチュウォヨ(給料は、どうしてもらえないのですか)」のような会話を、実際に彼らの使う韓国語教材に載せざるを得ないことが、単一民族国家韓国の現状なのです。(pp.74)
檀君神話を批判的に書いた一章の中から、引用した。
檀君祖父様(タングンハラボジ)は、紀元前2333年に即位したとされる、韓民族の始祖である。彼らが全て壇君祖父様を始祖としているという神話が、彼らの中に日常レベルで存在している。
その、単一民族であるという自己イメージが強い彼らは、余所者に対してどれだけ寛容であるか?
上の引用が、どれだけ真実を写しているのかは、知らない。
しかし、「때리지마세요、욕하지마세요、우리도 사람이에요」「월급은 왜 안줘요?」という言葉は、ただごとではない。もしこれが実態ならば、彼らは国際社会に生きる資格は、いまだない。韓国人が、ロシアや中東で活躍し、アメリカで大きなコロニーを作っているにも関わらず、国内でこんなありさまでよいのか。
同じである。日本と、全く同じ病気が、かの国をむしばんでいるに、違いない。
解放直後には、日帝残滓の清算が必ずなされるべきだという民族的合意が確かに存在しました。朝鮮民族の歴史が、日帝残滓の清算ができなかったからねじれてしまったのか、それとも民族史の展開過程がねじれてしまったために日帝残滓が生き残って再生産されたのかについては、見方によって意見が分かれるかもしれません。しかし、韓国社会に親日派が生き残ったことは明らかなことです。しかも、単に生き残っただけでなく、自分たちの恥ずべき過去を徹底的に隠蔽できる権力を握って、たくさんの民間人虐殺の墓の上に生き残っています。(pp.104)
韓洪九氏は、現代韓国における、「日帝残滓」「親日残滓」の清算について、「韓国社会で生じたすべての問題を親日派のせいにするのは行きすぎだと言わざるをえません」(pp108)と評しているものの、かといって親日残滓の清算が韓国に不必要であるなどというスタンスでは、全くない。「親日病はしかるべきときに完全な治療ができなかったために重くなり続けました、、、親日派は権力を握り、親日という恥ずべき過去への反省が行われないままに徹底的に隠蔽されました。」(pp107)
韓国では、建国時点で親日残滓が完全清算されず、権力の中枢に居残り、独裁政権を打ち立てて民衆を虐殺した。あまつさえ、李承晩を追放した後に独裁者のイスに座った朴正煕は、かつての通名が高木正雄であり、陸軍士官学校を卒業して陸軍少尉に昇った過去があった。彼は李承晩政権の反日政策を180度転換させ、日本と国交を回復し、日本資本の導入による経済成長時代をスタートさせた。彼の国内政策のモデルは、「池田内閣の所得倍増政策であったともいわれる」(崔吉城『親日と反日の文化人類学』pp68)。
崔吉城氏の指摘と、韓洪九氏のスタンスが、平仄を合わせている。
日帝問題、親日派問題とは、じつは国内問題なのだ。
自らの国の過去と、現在の権力の正当性を問い直すとき、「清算」がなされなかったし、今もなされずに大手を振ってまかり通っている、という筋道の論理が取られる。
だから、韓国では、良心をもって体制を批判しようと試みると、「日帝残滓」「親日残滓」を叩きのめす、というスタンスとなってしまう。
ヨーロッパで、ナチスの亡霊を叩く風潮が、いまだにある。
現ローマ法王がかつてヒトラーユーゲントに加入していた事実が報道されて、いっとき大騒ぎとなったことがあった。結局のところドイツ人の子供であるかぎり、当時を生きていれば強制加入なのであったから、冷静に議論されて落ち着いたのであるが。
そのナチスの亡霊叩きと、親日残滓叩きは、どこに相違点があるか。
違いは、ヨーロッパにおいてはナチス・ドイツと現在のドイツ連邦共和国とは別の存在であるということが共通認識として確立されているのに対して、韓国では過去の日本と現在の日本が、ややもすればはっきりと区別されていない点にある。
彼らは、現在の日本に対してもまた、警戒する。
靖国問題や、在日韓国・朝鮮人に対する迫害など、警戒されてしかるべき点もまた存在することを、私は否定しない。
しかし、現在の日本の文化にまで不信の目を向ける姿勢は、どうしたことであろうか。
韓国マクドナルドのパッケージには、世界各国の言葉で”I’m lovin’ it”のキャッチフレーズが書かれているにも関わらず、いちばん重要な隣国であるはずの日本語が、ない。
国内問題として「親日残滓」を糾弾することは、姿勢としては分かる。(具体的にそれがレッテルを貼られた人々への集団的リンチとなっていないかどうかが、心配である。)
しかし、現在の日本国に目を向けようとしない彼らは、大きな損失をこうむっているのではないか?
日本人にとって韓国・台湾・中国の文化ほど、わかりやすい文化はない。
同じように、韓国人にとって、日本文化ほど、わかりやすい文化はないはずなのだ。
もっと互いの国が、隣国をよく見てほしいものだ。私は、それを願う。
韓洪九『韓国現代史』(2)
2009年04月19日
民間人虐殺の事実と同じくらい酷いのは、全国津々浦々で一〇〇万人余りの犠牲者が発生したにもかかわらず、われわれがこの虐殺に対して知らないふりをするか、本当に知らないまま半世紀をすごしてきた点です。同じ空のもと、このような酷い出来事が埋もれたままになっている事実に背を向け、あるいはまったく知らずに、われわれは食べて飲んで寝るという日常生活をしてきました。数十万人の死に五〇年間も背を向けてきた韓国社会の構成員全員が、虐殺それ自体ではなくとも虐殺隠蔽の協力者になったことで、人間としての道理をはたすことはできなかったのです。虐殺の嵐が広く全土を覆ったこの地で、被害者も加害者も、遺族はもちろんのこと、韓国社会のすべての構成員は皆まともな人間ではあり得なかったのです。虐殺とはまさにこのような問題であり、われわれが再びこの地で虐殺が起きないように努力しなければならない理由もそこにあるのです。(pp129)
済州島(チェジュド)の四・三事件、麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件、保導連盟員や獄中左翼の当局による虐殺、KoreanWar勃発直後に起こった米軍による老斤里(ノグンリ)虐殺事件、、、
戦後の韓国史を、著者は「熱いフライパンから出たら、火のなかだった」(pp140)という言葉で表す。熱いフライパンとは、日本による支配。火の中とは、その後に起こった虐殺、戦争、独裁の連続の歴史である。
「義を見てせざるは、勇なきなり」(論語・為政篇)という、言葉がある。
これまでの歴史で隠蔽という悲惨を受けて来た残虐な過去を、あえて明るみに出して戦後史を問い直す。
それは、人間の権利を愛し、多くの遺族に同情の意を持つ者ならば、当然湧き上がる正義感であろう。著者もまた、そうである。だから、韓国人と韓国政府に対して、過去を隠蔽するな、問い直せと、本書は呼びかけているのである。
日本では、戦前からうやむやのままに引き継がれた戦後体制への問い直しの運動は、六十年安保の敗北とともに、国民レベルでは消滅した。その後の学生による反体制運動もまた、七十年代にはほとんど鎮火してしまった。忘却によって日本人が得られたものは、高度成長の結果としての日本史上未曾有の物質的繁栄であった。
韓国もまた、高度成長を経験した。今や、先進国レベルの生活水準に、近づいている。
それとともに、80年代まではいまだ盛んであった市民・学生の異議申し立ての運動もまた、沈静化しているのであろうか。現在の韓国では自分の口に入る牛肉輸入問題については狂熱的となるものの、韓国史の問い直しについて燃え上がるような気運があるようには、どうも見えない。
韓国人も、日本人同様に、過去を忘れ去る時代が来るのだろうか。
それとも、身を切るような作業となるに違いない自国の恥ずべき歴史への斬り込みに躊躇した結果、批判しやすい対象として親日派や日本社会への批判の動きを、ますます強めていくのであろうか。
後者よりは、前者の方が日本人にとってまだしも憂鬱でないことは、明らかだ。
本書の著者の訴えはまことにもっともであるが、現実の韓国社会に呼びかけが通じるかどうかは、私にはわからない。
ところで、ささいなこと。
本書の中で、「弱者や少数者の人権を尊重しなければならないというのは、孔子の言葉でもあります」(pp145)と書かれてある。
いったい、これは孔子の何の言葉について、言及しているのであろうか。
確かに孔子や、それを受け継いだ孟子の思想には、社会的弱者を為政者はまっさきに保護しなければならない、という仁政思想がある。「鰥寡孤独」、すなわち男女のやもめと身よりなき老人と親なき孤児は、仁政者がまず政治により保護する対象なのである(『孟子』梁恵王章句下)。
しかし、「少数者の人権を尊重する」と著者が言及するとき、いったい孔子・孟子のどこの思想のことを、言っているのであろうか?
孔子は、「異端を攻(おさ)むるは、これ害あるのみ」(『論語』為政篇)と言っている。また、「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」(同、泰伯篇)と言っている。
孔子の後継者である孟子は、絶対自由至上主義というべき思想家である楊朱、四民平等主義である農家、兼愛思想による社会改造を標榜する墨家などの論客を、儒教のドグマに対立する異端として、片っ端から叩きのめした。そこには、異なった思想であっても尊重するなどといった姿勢は、ほんのかけらすらも見られない。
もし、著者が「少数者の人権を尊重する」と言うときに、近代社会的な各人の自由を尊重すべしという人権思想のことを想定しているのであれば、孔子や孟子の思想が、自由主義的な要素があるはずがない。儒教とは、決まったドグマが存在していて、それからの逸脱を厳しく排斥する思想なのだ。たとえそのドグマが、主観的には善意に満ち溢れた仁政思想であっても。
孔子や孟子を自由主義的人権思想家などと、考えることは私にはできない。筆者は歴史学者であるのに、少し疑問に思う、本書における孔子評価である。