韓国文学・歴史

崔貞煕『静寂一瞬』、鮮于煇『テロリスト』

2009年03月08日

崔貞煕『静寂一瞬』と鮮于煇『テロリスト』の二編の短編小説を、読んだ。
いずれも、舞台は1950年代、6.25戦争の最中と直後を描いた、物語である。
読後の感想-
歴史が、ない。
両者ともに二千年の都ソウルが舞台であるにも関わらず、歴史が舞台装置として、使われない。
風景が、ない。
あるのは、空気だけといってもよい。夏の暑さか、ひりつく冬の冷たさか。風景が、描かれない。
モノが、ない。
建築や、家の品物に対する、愛惜を通じた描写が、ない。
両者の小説ともに、戯曲の台本を読んでいるような感がある。あるのは、人物同士の激しい対立。それが、熱い。北と南で民族家族が相別れるという劇的な悲惨をエネルギーとして、人間だけが、描かれている。このまま小説を舞台にすることが、簡単にできる。なるほど、韓国映画にエネルギーがあるわけだ。
唯一、小説らしい描写としては、食い物に関する執着。これだけが、読み物独特の世界として、描かれる。日本人の私としては、食い物の描写に行き当たると、ほっとしてしまう。
韓国小説は、日本小説のような、歴史、風景、建築にたいする愛惜的な描写とは、無縁であった。逆に日本小説には、韓国小説のような対立も会話も、ほとんど存在しない。
読後に、ふと思った。
日本人が物語を思い浮かべるとき、その登場人物たちは、おそらく全て最初から和解しているのではないか。和解しているから、そのままでは物語とならず、ゆえに歴史や風景や建築を描写して、寄り道だらけの文章を書き上げる。
いっぽう韓国人の登場人物は、対立して和解できない。ゆえに、えんえんと人間を描写しなければならない。描写しても、描写しても、対立は終わらない。風景や歴史を楽しむ瞬間は、物語がぶっつ切れるまで、とうとうやってこないのか、、、
できれば韓国人の書き手には、この言葉過剰の国に赴いて、人の対立を抉り出して風穴を開けてほしいものだ。
私は、韓国の山河に赴いて、そこで静かに歴史と風景と建築を愛でる言葉を、紡ぎ出そう。

鄭漢淑『旧家』

2009年03月11日

鄭漢淑『旧家』
現代の訪れを描いた、短編である。
伝統ある両班の宗家が、因習にまみれた家父長制の家が、嫡孫である主人公の成長と共に、崩れ去って行く。しみじみとした悲しい語り方は、日本人にとっても親しみやすい一篇となっている。
それにしても、韓国の書き手にとって、日帝と6.25は、重たい。この二つの事件によって、半島は強姦されるように、現代の市民社会に突入させられた。彼らの市民社会化は、司馬遼太郎が日本について描いたような「明治よいとこ節」(批評家、高橋敏夫氏の表現)の調子によって、明るく描くことができない。現代の韓国人が自らの市民社会化の歴史を冷静に評価することが難しく、かえっていまの現代と前近代の時代を両方とも絶対肯定するような、日本人にとって奇妙な歴史感覚を選ばざるをえないのは、彼らの歴史がそうさせているのである。あたかも現代のロシア人が、忌まわしいながらも間違いなく現代社会を作り上げたソビエト時代を冷静に評価することができず、いまのロシアと帝政時代を両方とも称える歴史感覚の欠如に追い込まれているのと、相同していると思われる。

金達寿『玄界灘』

釜山港!関釜連絡線!そこは朝鮮人にとてどんなところであり、どんなものであっただろうか。
(金達寿『玄界灘』より)

在日朝鮮人作家、金達寿(キム・タルス)氏の代表作、『玄界灘』を読んだ。
前半は、文句なしに面白い。
この作品もまた、人間同士のぶつかり合いである。和解できないバックグラウンドが、ある。日本。朝鮮。征服者。被征服者。和解できない背景を背負わされた登場人物たちが、ギリシャ悲劇のように葛藤し、意識の上ではなかったことにしていた根本的な対立が、意識に上せざるをえない状況に追い込まれて、登場人物を切り裂いて行く。
後半は、つまらない。
作者の思想的立場から言って致し方のない、ことではある。
私は、全篇を義務として読んだ。
だが、読み物としては、残念ながら前半で終わっている。
後半は、コミュニズムに目覚め、反日独立運動に立ち上がるレールに、全ての登場人物が乗せられてしまっている。書かなければならなかったことは、分かる。しかし、それはもう物語ではない。
逸脱する個性があれば、もっと分厚い物語になったであろう。
日帝の人を人とも思わぬ暴虐な抑圧の下で、逸脱など許されない、許したくない心情は、痛いほどに分かる。
だが、最後に種明かしされる特高の「李元」のつぶやきなどは、もっと深刻な問題を、本当は示唆しているはずなのである。
そこを書かなかったのは、思想的制約であったか。
いまだ統一が成されていない悲惨の前に、描く筆先が震えたか。
残念な、小説である。そして、残念な、半島の現状である。

姜在彦『朝鮮の開化思想』

2009年03月17日

ところが八五年四月に日清間の天津条約が成立して日清両軍は完全に朝鮮から撤退したが、守旧派政権が復活して開化アレルギーが政府内部に蔓延し、日清戦争に至るまでの一〇年間は、開化運動のきびしい雌伏期となった。ところが朝鮮をめぐる日清間の対立のほかに、一八八五年四月イギリス極東艦隊が巨文島を不法占領したため(八七年三月に撤退)、朝鮮をめぐる英露の対立が露呈した。この一八八五年にアメリカから帰国して軟禁状態にあった兪吉濬および、ドイツ総領事代理バッドラー(H.Budler)によって中立化論が提起されたことは注目に値する。両者間には「バッドラーは朝鮮中立化のモデルをスイス(蕊斯国)に求めているのにたいし、兪吉濬はそれをベルギー(比利時)とブルガリア(発佳利亜)に求めている」差はあるが、この中立化論はいずれも世論を形成するまでには至らなかった。
(姜在彦『朝鮮の開化思想』pp.229)

兪吉濬(ユ・キリョ)およびバッドラーが提案した半島中立化案は、姜尚中東大教授が現在提唱している半島永世中立化案と、平仄を合わせている。
スイス同様周囲を列強に取り囲まれている中堅国であるコリア半島の地政学的位置付けから、中立化論は論じられている。すなわち非同盟の道であり、どの国とも偏することを行なわないことによって、国家と周辺地域に平和をもたらそうという、アイデアである。
まことに、説得力がある。
コリア半島は、かつての二千年の歴史において、三度日中の軍事衝突の場となった。
七世紀、新羅(シルラ)を巡った、唐と日本の争い。
十六世紀、李氏朝鮮を巡った、豊臣秀吉の侵略軍と明との争い。
十九世紀、再び李氏朝鮮を巡った、明治政府と清との争い。
その上に、二十世紀初頭の日露戦争と、二十世紀中葉のKorean Warがある。半島は、日本、ロシア、中国の三大列強に取り囲まれている、東北アジアの火薬庫なのだ。
これを繰り返してはならないゆえの、永世中立化案である。
この意見は、重く受け止めなければならない。
ただ、永世中立化案は、スタティック static なモデルである。現状は維持されるが、動的な経済と社会の発展は、回避される。
全て、半島の民しだいであろう。
永世中立化して周辺諸国から距離を置き、東方の隠者に戻るか。
それとも、ダイナミック dynamic な東北アジアの同盟を目指して、民族の歴史を揺さぶり動かすか-
ただ、永世中立化案では、日本との和解は残念ながら無理である。日本は国益を賭けてまで、中立国に肩入れすることは、できない。

姜在彦『朝鮮の開化思想』

2009年03月18日

「三、東西の長所を打って一丸とした日本の文化を、そのまま何の労苦もなく、韓国に取り入れるのは極めて有利であるが、それには、日本の言葉を知るのが捷径で、教科書の如きも、日本仮名の所を諺文に改めると、直ぐにそのまま韓国のものとなる。」

一九〇四年、韓国政府の学部参与官として学制改正に着手した幣原坦の「五つの方針」の一、「漸次日本語を普及せしめる」である。姜在彦『朝鮮の開化思想』から引用した(pp.354)。
韓国語を少し学習すれば理解できるように、日本語と韓国語は語彙と文法が、酷似している。
この事実を発見した日本人が、小躍りして幣原のように結論付けることは、最もありえることである。
一九〇四年八月の日韓協約以降の日本人は、幣原のごとき錯覚に反省を加えることなく、日本人≧半島人の図式を頭から信じきった。世界五列強の一に成り上がった日本の勢威が、その錯覚を通らせてしまった。
もとより、日本語と韓国語は、別の言語である。
スペイン語とイタリア語のような、真の兄弟言語ではない。外部からの文化的影響によって結果的に酷似することなった、同窓生といってよい言語である。日本語の母音の響き、花の色を愛でる感性、情に流される情緒性。韓国語の子音の響き、石と水の簡素を愛する感性、主張を凛として保つ固執性。何もかも、違う。
一九〇四年以降四〇年余続けた日本の勝手な思い込みによる暴挙的併合政策は、一〇〇年後の現在においても、日本人の心中で反省されることもなく、保たれている。何という、怠惰な精神であろうか?

姜在彦『朝鮮の開化思想』

内田はつぎのように書いている。「著者が斯くの如く日韓併合を急いだ所以は、支那革命の機運既に熟し、数年を待たずして勃発すべき形勢にあるを以って、支那革命に先立ち合邦せざるに於いては、韓国の人心支那革命の影響を被り、如何なる変化を生ずべきか測るべからざるものあるのみならず、満蒙独立の経綸も行ふ可からざることとなるべき憂ひがあった。」
(姜在彦『朝鮮の開化思想』pp.382)

又引きが続くが、読書ノートなので原典を探らず引用する。
上は、国粋主義団体黒竜会の創設者、内田良平(1874-1937)が、1932年に出した『日本之亜細亜』からの引用である。内田は、韓国の合併促進団体一進会と提携し、日韓併合に奔走した策士であった。
なぜ日露戦争後に日本が日韓「併合」を – 日本が「併合」の言葉を用いた理由は、「韓国ガ全然廃滅ニ帰シテ帝国ノ領土ノ一部」とする本意であるにも関わらず、過激な表現を避けただけであった(上書pp.421) – 急いだのかの理由は、内田の回想の言葉が、最もよくそれを表している。日本は韓国を帝国主義戦争の果実として断固確保するスケベ心を丸出しにしたのみならず、すでに「併合」時点で後の時代の満蒙侵略が、国家のビジョンとして見えていたのである。そのための足がかりとしての、コリア半島領有であった。
司馬遼太郎は昭和戦前の日本を「鬼胎」として日本史からの逸脱であったと見たが、あれが「鬼胎」であったのならば、内田のビジョンを実行に移した伊藤博文や山県有朋といった、明治国家の元勲たちがすでに日本史の「鬼胎」であったということになる。残念ながら、司馬遼氏の明治・昭和史観は、重大な修正を必要とすると、私は評価せざるをえない。日韓併合以降の日本は、まず半島を策源地として工業化し、進んで中華民国を分割占領する国策に、ほぼ一貫していた。満州事変以降の日本は、それまでの日本史からの逸脱でも何でもない。伊藤が、山県が、敷いた路線の上であった。戦前に学生であり一庶民であった司馬遼氏は大日本帝国によって散々な目に合わされたが、彼にのしかかった大日本帝国という存在自体が、明治からの着実な積み上げの結果であった。東北アジアの文明から生まれ出て、にわかに十九世紀の西洋帝国主義の礼儀作法を学んで東洋の猿真似国家となった大日本帝国じたいが、「鬼胎」であった。そう評価しては、いけないのであろうか?

鮮人が最近数年間、所謂国家の岌業(きゅうぎょう。大きな事業)に際会するや、其開化の迅速なること、恐くは明治二十年間に吸収したる文明を、鮮人は僅々数年間に会得せるもの如く、現今の鮮人を六、七年前の鮮人と比するに全然形貌を一変し、京城市街の面目が毫も旧慣を止めざるに至りたる変化よりも、遙かに速かなるものあることは之を公言するに躊躇せず、、、
輓近鮮人思想の急変を見ては、真に寒心に堪えざるものありと存す。蓋し鮮人を統ぶるの方策は、秋霜烈日一毫も仮借する処なく、先ず其初めは討伐にあり、討伐して而して後に威圧あり、威圧して而して後に綏撫あり、綏撫して而して後に鮮土初めて平安なるべし。

朝鮮総督府警視国友尚謙の『不逞事件ニ依ッテ観タル朝鮮人』からの引用である。なお、読みやすいようにカタカナをひらがなに直した。
国友が「寒心に堪えず」と言っているように、半島人は日本人が侮っていたほど、魯鈍な民ではなかった。単に、李朝五百年の積弊が、民衆の力を抑圧していただけであった。焦った国友は、そして日本当局は、ただ討伐、威圧を持って望んだ。日本の半島支配は、その当初から失敗していた。
日本は、十五年前に棚ぼたで台湾を領有して、ここを土匪の住まう土地のように討伐と威圧をもって制圧し、かなりの成功を収めた。日本の韓国支配は、明らかに台湾での経験を半島に当てはめたものであったに、違いない。しかし、半島は台湾とは、全く違った世界であった。台湾の住民に蔓延していた阿片中毒の弊も、アナーキーな村同士の私闘(械闘という)も、韓国には存在しなかった。韓国は、出遅れはしたが日本と潜在的に同水準の文明を、持っていたのであった。

大勢より察するに、今日は既に暴徒蜂起(義兵運動)の時期を経過せり。勿論再び蜂起することなきを保し難しと雖も、予の察する所に於て将来の危険は、人民の文明に進むに随って起るべき無政府主義、社会主義等に類する危険なりとす・・・

一九一〇年七月に警務総長を兼任した韓国駐箚憲兵隊司令官明石元次郎(1864-1919)の、就任早々の訓示であるという。
明石は、いっぱんに日本では、日露戦争時にストックホルムにあって第五列を利用し、ロシア帝国内に騒擾をもたらしてロシアの挫折に手を貸した英雄として、描かれる。
しかし、戦争の後に彼がその辣腕を買われて、韓国併合時点の警務総長として半島人への弾圧を指揮した事実は、日本人のとんと知るところではない。
明石は、安重根(アン・チュンクン)の従弟で独立運動を画策していたという(事実は不明)安明根(アン・ミョンクン)を、カトリック教会の密告をネタにして逮捕・拷問し、それを皮切りとして半島において愛国啓蒙運動の活動家一六〇人余を一網打尽にして、拷問・起訴・徒刑に処した。
この一九一〇年十二月の「安岳事件」は、一年後の一九一一年に、民族振興を目的に結成された秘密結社「新民会」を対象に一大弾圧を加えた、「百五人事件」のさきがけとなる日本武断当局の行動であった。すなわち、一九一〇年末に企画されていたという(事実は不明)寺内朝鮮総督暗殺未遂の嫌疑をもとにして、一九一一年九月の平安北道在住の李範允なる青年を逮捕・拷問した後、翌年三月にかけて六〇〇余名の逮捕が断行された。拷問による死亡者四名、発狂者三名を出した後、一二八名が起訴、うち一〇五名が有罪判決を受けて刑に処された。ゆえに、百五人事件という。明石や、国友は、日本の機能的な警察力を活用して、半島人の地下独立運動に鉄槌を加えたのである。
「新民会」は秘密結社であったが、その活動は(もとより秘密結社だから不明であろうが、)テロリズムというよりは愛国教育事業の振興や、民族産業の育成にあったと想われる。そういった半島人の自律的活動力までを、日本当局は敵視して、窒息させようとした。日本は、併合当初から、半島人の活動力を恐れていたのである。これでも、「半島の植民地化には恩恵があった」などと、日本人は胸を張って言う勇気があるか。
こんな野蛮を隣国にしなければならなかった「明治という国家」は、司馬遼が追慕するようなよいとこずくめの結果を、後世のわが日本民族に残したのであろうか。
日露戦争の英雄、明石元次郎は、戦争後も生きて、仕事に精を出していたのである。そして、彼が忠勤した大日本帝国は、「坂の上の雲」を通り過ぎた後、打ち負かしたロシアに成り変わって、凶暴な民族の牢獄と化していったのであった。

Korea!2009/03/22

2009年03月22日

春のうらゝの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき
見ずや あけぼの露浴びて
われにもの言ふ櫻木を
見ずや 夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき

著名な武島又次郎作詞、滝廉太郎作曲の『花』である。
この歌詞を、英訳してみた。

Sumida River in the right spring,
Boatmen, who come along up and down.
Drops trickling from their rows, scattering like flowers,
How can be explained, this splendid scenery?
Why don’t you look? There’s dawn,
Cherry blossoms talk to us, dressed in dews.
Why don’t you behold? There’s dusk,
Green willows invite us, stretching their hands.
Above a long embankment in the evening dress,
Comes and rises a hazy moon.
Surely are, two hours, worthy of two million pounds!
How can be explained, this splendid scenery?

第三聯の三行目は、直訳しても意味がない。
それで、一刻すなわち二時間を、二百万ポンドに値する、としゃれてみた。
二百万ドルでは、味気ない。金儲けの国アメリカの貨幣単位では、味気ない。
さらに、韓国語に訳しても、みた。

화창한 봄의, 스미다강.
올라 내리는, 뱃사람들의
노의 물방울이, 꽃이 되고, 지다.
이 경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
보지 않았어?새벽의 이슬을 받아
나에게 이야기를 거는 벚꽃나무를.
보지 않았어?황혼에 손을 펴
나를 부르는 푸른 버들을.
비단의 옷을 껴입는 긴
제방 위에 와 오르는, 어슴푸레한 달.
확실히 一刻이 千金인
경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?

だいたい、意味は通っていると思う。
第三聯の三行目は、漢字を残さなければならない。
これは、蘇東坡の詩からの引用なのだ。

蘇東坡『春夜』
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管樓台聲細細
鞦韆院落夜沈沈

かつては、彼ら韓国人だって、(漢字が読める階級の人間であれば、の話であるが)この詩を当たり前に、知っていた。
だが今はもう、捨てかけてしまっている。あまりにも、むざんである。
彼らの祖先たちに語りかけるためにも、『一刻千金』の四字熟語は、漢字として訳に残さなければならない。そう考えて、漢字にした。

朴景利『金薬局の娘たち』

2009年04月02日

朴景利(パク・キョンイ)の中篇小説『金薬局の娘たち』を読了。冬樹社『現代韓国文学選集』の訳で、読んだ。このシリーズにおいては編集委員の名が連名で記されているだけで、訳者の個人名は記載されていない。
読後の、感想。
骨が見える、物語だ。
長編小説といってよい分量の物語であるが、結末を導くための人物配置、事件の絡ませ方に関する筋立てが、はっきりと見える。それは、小説を書くことを試みてみた私の経験から言っても、物書きとしては事前に用意するのは、当たり前だ。そして、それに対するディテールの描写が、長い物語のよしあしを決める決定的要素であることも、小説を中途であるが試みた私には、分かるのだ。
この小説は、だがディテールが残念ながら薄い。読後に、そう思った。
物語はタイトルが示すように、裕福な金薬局の家に生まれた五人の娘の事件を描いている。
だが、この物語は、彼女たちのうちいったい誰を、真に描きたかったのか。
次女の、容斌(ヨンム)なのか。
三女の、容蘭(ヨンラン)なのか。
それとも、長女の容淑(ヨンス)、はたまた四女の容玉(ヨンオク)なのか。
これら全てに焦点を当てようと作者が思うならば、これだけの長さではとても足りない。
『カラマーゾフ』の巨大さが、必要だ。
しかし、金薬局の娘たちには、ドミートリー、イヴァン、アレクセイの三兄弟のような、人間としてのスケールの大きさがない。だから、印象を積み重ねる、中編小説のスタイルで描くより、他はない。キリスト教、仏教、土俗宗教、そして反日独立運動が、ディテール描写の素材として用いられている。しかし、ドストエフスキー小説に見られるような、思想の徹底した掘り下げは、この小説が試みるものではない。時折出てくる思想に対する描写は、生煮えに終わっている。美味しく頂けない。
だから、この分量ならば、モーパッサンやフォースターのように、特定の人間に焦点を絞って、ディテールを積み上げたほうが、小説として成功したのではないか。それを、あっちこっちで不幸な事件を勃発させて、悲劇を作り出そうと試みるものであるから、読後感が消化不良に襲われてならない。たとえは悪いが、まるでサドの『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』を読んだ後の味気なさのようだ。サドの小説の狙いは皮肉な笑いであるが、この『金薬局』は悲劇を目指しているはずだから、味気なさが読後感となっては、困る。
各民族には、得意な物語のジャンルがある。
思想を徹底的に突き詰める深刻さがあるロシアやドイツの小説は、大長編が最も素晴らしい。
生活を愛しながら、ディテールを積み上げて人間の悲喜劇を作りあげることが得意なイギリス人とフランス人は、中篇小説に最大の持ち味がある。
日本人は、思想的深刻さとは無縁であるうえに、あまり人生を楽しんでいない。ゆえに、風の一瞬のそよぎや、石の上に差した一条の光に、あわれなる情緒を感じて描く、俳句が優れている。小説ならば、短編小説だ。日本人の物語は、長くなれば長くなるほど、質が落ちる。
韓国人も、そうなのではないだろうか。
私は、韓国文学の短編は、これまで読んで大変に面白いと思った。
しかし、長編を読むことを試みた現在、日本と同じく何かが足りないと、感じた。
思想的深刻さ、それから人生をまるごと愛するまなざしが、日本人以上に韓国人に、あるのだろうか。
私は、韓国人の物書きもまた、その持ち味は一瞬の情緒を描く、詩あるいは短編にあるのではないだろうかと、現在予感している。

黄順元『日月』

2009年04月15日

人間のジャングル。互に酒を酌み交わすときだけは、いとも睦ましげに振舞っても、一旦自分に不利と見て取ると、いとも無関心な他人になってしまう世界-、仁哲はその魅力にひきずられてここの常連になったのかもしれないと自分で思った。(pp320)

わが早稲田大学英文科出身の作家、黄順元(ファン・スンウォン)の長編、『日月』を読了。例によって、冬樹社『現代韓国文学選集』の訳を読んだ。
本作の基本テーマは、白丁(ペッチョン)と呼ばれる被差別階級を出自に持つ主人公の、周囲に起こるドラマである。
白丁とは、李朝において牛の屠殺解体を生業とした集団であり、わが国の「えた」階級との類似がしばしば指摘される。
韓国人は日本人と違って牛肉を常食する習慣があるために、牛の解体という職業の需要は、日本よりずっと多かったと推測される。しかし、本小説でも結局その出自や分布状況がはっきり示されていないように、歴史的な実態は、今となってはよく分からない。わが「えた」階級に比べて、どれほど社会内での差別が深刻なものであったのかも、外国人である私には、よくわからない。
しかし、この物語において、主人公の仁哲の一族が実は白丁であったというテーマは、物語全体においてあくまでも寿司ネタの一つにすぎない。島崎の『破戒』のごとく、このテーマを中心にどすんと据えて重々しく展開するような、迫力を持たせた書き方ではない。むしろ、作者が英文学専攻であったところからも嗅ぎ取れるように、イギリス小説の淡々とした人情劇の積み重ねが、この小説のメインなる味わいといえよう。
結局、主人公の仁哲が、多恵と美奈のフタマタかけたうらやましい奴で、うらやましい境遇のくせに、知らなくてもいい自分の父親の出自を見つけて悩み、結局美奈が自分の祖先を許して、ハッピーエンドとなる。物語全体として、悲しみは最後に用意されているが、深刻さはない。これが白丁という存在が韓国ですでに忘れ去られた存在となった歴史の反映と見なすべきなのか、それともこの物語の中だけの理想的状況なのかどうかは、外国人である私にはよく分からない。
この物語の登場人物は、じつによく酒を飲む。

「馴染みの店らしいな」
起竜が店の中を見まわすでもなくそう言った。
「そう見えますか?」
「路地に入ったときから体じゅうがここの雰囲気に溶けこんでいたよ」
仁哲は笑った。(pp384)

この書き手は、酒を知っているな、というところがわかるくだりに、ちょっとニヤリとさせられる。
仁哲といとこの起竜がサシで飲むシーンで繰り返し出てくる、やかんの中の酒は、きっとマッコリであろう。そして、仁哲や美奈、それに芸術家仲間たちが集まる居酒屋で饒舌な会話中に飲まれるのは、薬酒(ヤッチュ)だ。美味そうだな、と喉を鳴らしてしまう。

「ところで、あんたの顔色、前より良くないな。無理して酒飲むことないんじゃないかな。酒に頼るってのは一番拙いやり方だよ。もちろん酒の方でもそれを受け付けてくれないしね。」
起竜は近ごろの仁哲の心境を見抜いているような口ぶりだった。(pp383)

この物語も、キリスト教が出てくる。韓国の作家にとって、キリスト教はマッコリか薬酒のように、なくてはならない道具なのだろう。しかし、信仰について、大して掘り下げてはいない。まあ、これで終わらせた方が、アジア人としては無難だろう。取り上げたテーマに比して重さはない小説であるが、結構楽しく読むことができた。

崔吉城『「親日」と「反日」の文化人類学』

2009年04月16日

反日の的は日本ではなく、あくまでも韓国人の親日である。解放後、独立国家として韓国は国造りに尽力し、反日を利用したといえる。、、、国民国家を作るには反日的民族主義が必要であった。(pp.49)

著者は日本で教鞭を取り、1945年8月のサハリン朝鮮人虐殺事件の研究などの仕事を行っている、大学教授である。
さすがに、「文化人類学」を著作の表題として掲げただけの、ことはある(著者の専門は、韓国民俗学)。
上の引用の箇所は、現代韓国の「反日」へのこだわりの、根本的心理要因を、ずばりと突いている。

しかし最近の若者は植民地の体験や経験もないのに反日感情が強いのはなぜであろうか。巨文島のとなり村に住んだ人たちは巨文島の人たちを植民地の手先だといってそこに住んだ韓国人を憎み、反日感情を持つようになったのか。それは特に戦後のナショナリズムが強い学校教育やマスコミなどによって植民地をより悪く認識するようになったからであろう。(pp123)

崔氏が行った、巨文島(コムンド)における植民地時代の経験者たちに対する聞き取り調査を報告した章の中の、一文である。
もちろん、限られた人間に対する聞き取り調査であるから、その内容だけで戦前の韓国人の対日感情の実情を推測することなんぞ、できはしない。
だが、調査者である崔氏の目には、戦前の巨文島(この島は、とりわけ日本人が多く住み着き、戦前には日本式の漁業によって大いに繁栄していた)での日本人と韓国人との関係は、善悪の衝突であるかのような徹底的対立の構図からは程遠いものであったようだと、写ったようである。おそらく、もっとニュアンスに富んだ、複雑な両国民の関係であった。
それが、善悪対決の構図にまで神話化されたのは、戦後の教育宣伝が寄与した面が大きい。
ゆえに、崔氏はむしろ戦後の若者たちのほうが、ずっと反日的であると指摘せざるをえなくなった。
他国を貶めて自国を称揚するナショナリズムは、国民の創生段階においては、致し方のない偏向である。げんに、日本もそうであった。
反日を神話として信奉している戦後生まれの世代がすでにほぼ全人口を占めている現代の韓国において、彼らの信念が変わるのは、結構難しい。韓国もまた、今や少子高齢化なのだ。一番人口が多い中高年世代は、容易に己が親しんだ常識を変えられないだろう。何か従来の外交とは違ったアプローチが、両国間の関係改善には必要なはずだ。それを考えて、実行に移さなければならない。

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