台北四十八時間 06/06/29PM03:30
2006年06月29日
いやな嗅覚だわ。
かくして、うれしい意味で孔廟に長居してしまった。すでに日は西日の陽射しに近づいていて、外の通りは相も変わらず強烈に暑い。だが気力が回復していたので、ホテルに戻る前に、ついでに近くの大龍峒保安宮(ダーロンドンバオアンゴン)を回っておくことにした。
ところでこの大龍峒保安宮や孔廟がある近辺の通りには、哈密街(ハミ。東トルキスタンの都市)、酒泉街(甘粛省の都市)、庫倫街(クーロン。モンゴルの首都ウランバートルの旧名)とこれまたずいぶんロマンチックな名前が付けられている。どうも地図を見て思うのだが、この台北市街西北にある大同区の通りには、単純に中国の西北方面の都市名が付けられているのではないだろうか。そうやって改めて考えてみると、市街西南にある萬華区の通りの名前は桂林、広州、昆明と中国西南地方の地名になっている。市街東北の中山区には吉林、長春、撫順の名があるし、市街東南の中正区には紹興、抗州、徐州、福州、済南と、中国東部~東南部の名前をつけた通りがある。国民党は、この臨時首都の台北を名前だけでもミニ中国にしたかったのであろうか。
台北四十八時間 06/06/29PM05:00
台湾名物、機車(単車)二人乗り – 体験篇
西門町・西寧南路のホテル「一楽園」に帰る。シャワーを浴びて着替えたら、すぐに出る。旅行でゴロゴロするのは、私の趣味ではない。生フルーツジュースを飲んだら、何だか元気も回復していた。
台北四十八時間 06/06/29PM07:00
土地の人々、土地の神さん
桃源街の牛肉麺の店を出て、さて次はどこに行こうか。そろそろ夜で今日は晴れているし、台北で一番高いビルにでも行ってみるか。そう考えて、地下鉄西門駅へ。
台北四十八時間 06/06/29PM08:00
肉がそんなに好きなん?
恩主公さんは、交通のアクセスがあまりよろしくない。最寄のMRT(地下鉄)の駅がなくて、西の民権西路駅までずいぶん長距離を歩いた。もともと恩主公さんは原野の中の敷地に建てられたというから、中山区の北のあたりはごく最近の台北市の膨張によって開けたのだろう。
台北四十八時間 06/06/29PM10:00
Orz….的節目(プログラム)
Orz….的節目(プログラム)
昨日の晩と同じように台湾ビールを二缶コンビニで買って、西門町のホテルに戻った。途中でインターネット喫茶に入ってみようかとのぞいて見たが、料金がべらぼうに高いのでやめにした。
台北四十八時間 06/06/30AM08:00
2006年06月30日
牯嶺街(1)
二日目も早々に起きる。昨日と同じく、ホテルの地下でバイキング形式の朝食。この一日も、市内と郊外中心に回ろうと思った。故宮博物院は、しっかり内容を見る気力があれば行くことにしよう。
台北四十八時間 06/06/30AM09:00
牯嶺街(2)
ふつうの中国的な赤レンガの塀の向こうに、入母屋(いりもや)の屋根瓦が見える。おそらく最近になって模倣して作られたものではない、戦前の本物の日本式住宅だ。
台北四十八時間 06/06/30AM10:00
芝山岩の上で(1)
MRT(地下鉄)淡水線は、途中から地上に出て高架を走っていく。郊外の淡水まで走る相当に長い線だ。途中の車窓から、超高級ホテルの圓山大飯店(ユァンシャンダーファンディエン、英名”The Grand Hotel”)が見える。中華宮殿風の大建築で、とにかく目立つ。蒋介石が外国の賓客を迎えるホテルが台北にないことを憂慮したので、宋美齢(ソンメイリン)夫人の提案によって建てられた。明治日本の鹿鳴館と同じで、しょせんは外の目に向けて作られた、浮世離れした建築物である。
台北四十八時間 06/06/30AM10:30
芝山岩の上で(2)
山の頂上に着いた。遠景にうっすら見えるのっぽのビルは、台北で二番目の高さの新光摩天大楼である。ここからTAIPEI101は、山の後ろに隠れて見えない。
だが「かなりきつい山道」という情報を聞いていたから少々身構えて登ったが、正直私の感想は、「これしきの山で大変だなどと言っていては、京都の伏見稲荷の参拝などとてもできないぞ?」と言っておこう。だいたいここはお宮さんなのだから、地元のオジイやオバアも参拝しているはずなのだし(実際していた)、何ほどの山道でもないはずだが?
台北四十八時間 06/06/30AM12:00
芝山岩の上で(3)
「學務官僚遭難者之碑」の前に置かれていた、台北市政府の説明プレートである。このように書いてある。