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	<title>韓国・中国・台湾・日本を調べ、旅行し、味わうサイト。それが、アジアのとうふです。 &#187; 韓国旅行記</title>
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		<title>Korea!2009/02/22～エピローグその二</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Feb 2009 15:33:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[以下のテンプレートを、作った。

前略。
私は、海外旅行の帰途で、貴社の鉄道に乗った者です。
詳細は、私のブログに、書いてあります。以下が、そうです。
http://suzumoto.s217.xrea.com/2009/02/korea20020222.html
痛感したことを、申し上げます。
なぜ、貴社の路線図や券売機には、外国語がこんなにも、少ないのですか。
外国人が来日したとき、こんな表記では貴社に悪印象を持って帰国することが、どうして分からないのですか。
今すぐ、改めなさい。
上の記事の中で指摘した、路線図ないし券売機の表示に、せめて英語を加えなさい。余力があるならば、漢語（中国語）と韓国語も、加えなさい。
2009年4月、すなわち今年の、美しい桜の季節が、来るまでに。
できるはずです。少しだけ汗をかけば、何てことはないはずです。予算も、ほとんど要らないはずです。
異文化の人を、気持ちよく本国に返して、貴社の評判を高める努力を、行ないなさい。
もし貴社から私に返答が来れば、それを全て上のブログで公開致します。貴社に、公共心があるかどうか、そして関西を、日本国を、愛する心があるのかどうか、万人に見て頂くために。
頑張ってください。とにかく、頑張ってください。貴方がたが頑張れば、私が愛する関西が、そして愛する日本国が、立ち直るきっかけとなるのです。
草々。
月が変わった、三月一日の、深夜。
まず、阪急電鉄のサイトに、意見した。
次は、JR西日本。
だが、意見を投書する、項目が見当たらない。
その時は怒り心頭に達したが、もう一度読み返してみると、「2月27日（金）13：00頃～3月2日（月）9：00頃まで、システムメンテナンスのため『メールでのお問い合わせ』のサービスを停止させていただきます。」とあった。ゆえに、明日送る。
それから、大阪市交通局のサイトにも、同一の意見を出した。
帰国した日の夜、私は憂憤を共に飲んだ夕映舎氏に、ぶっつけた。
彼は、私の同士だ。私の主張を、分かってくれた。
私は、彼に薦めた。
「お前も、一句詠め。」
日本の詩の魂を、曇りなき心で吐露してほしい。
全ての日本人に、してほしい。
そうすれば、外国人は分かってくれる。
英語混じりのチャラチャラした歌の歌詞よりも、分かってくれるはずだ。
夕映舎氏は、一考して、私が持ち帰ったノートの末尾近くに、書いた。

冬の雨
酒を朋にと
問うたそがれ
飲みに飲み
いつ晴れるのか
冬の朝
柔らかな、響きである。
泥酔であったが、だからこそ、彼の心の底の詩心が、伝わって来る。
私は、今回の旅行で得たものを、生涯心から忘れまいと、思った。
- いちおう、完 -
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>以下のテンプレートを、作った。</p>
<blockquote><p>
前略。<br />
私は、海外旅行の帰途で、貴社の鉄道に乗った者です。<br />
詳細は、私のブログに、書いてあります。以下が、そうです。<br />
http://suzumoto.s217.xrea.com/2009/02/korea20020222.html<br />
痛感したことを、申し上げます。<br />
なぜ、貴社の路線図や券売機には、外国語がこんなにも、少ないのですか。<br />
外国人が来日したとき、こんな表記では貴社に悪印象を持って帰国することが、どうして分からないのですか。<br />
今すぐ、改めなさい。<br />
上の記事の中で指摘した、路線図ないし券売機の表示に、せめて英語を加えなさい。余力があるならば、漢語（中国語）と韓国語も、加えなさい。<br />
2009年4月、すなわち今年の、美しい桜の季節が、来るまでに。<br />
できるはずです。少しだけ汗をかけば、何てことはないはずです。予算も、ほとんど要らないはずです。<br />
異文化の人を、気持ちよく本国に返して、貴社の評判を高める努力を、行ないなさい。<br />
もし貴社から私に返答が来れば、それを全て上のブログで公開致します。貴社に、公共心があるかどうか、そして関西を、日本国を、愛する心があるのかどうか、万人に見て頂くために。<br />
頑張ってください。とにかく、頑張ってください。貴方がたが頑張れば、私が愛する関西が、そして愛する日本国が、立ち直るきっかけとなるのです。<br />
草々。</p></blockquote>
<p>月が変わった、三月一日の、深夜。<br />
まず、阪急電鉄のサイトに、意見した。<br />
次は、JR西日本。<br />
だが、意見を投書する、項目が見当たらない。<br />
その時は怒り心頭に達したが、もう一度読み返してみると、「2月27日（金）13：00頃～3月2日（月）9：00頃まで、システムメンテナンスのため『メールでのお問い合わせ』のサービスを停止させていただきます。」とあった。ゆえに、明日送る。<br />
それから、大阪市交通局のサイトにも、同一の意見を出した。<br />
帰国した日の夜、私は憂憤を共に飲んだ夕映舎氏に、ぶっつけた。<br />
彼は、私の同士だ。私の主張を、分かってくれた。<br />
私は、彼に薦めた。<br />
「お前も、一句詠め。」<br />
日本の詩の魂を、曇りなき心で吐露してほしい。<br />
全ての日本人に、してほしい。<br />
そうすれば、外国人は分かってくれる。<br />
英語混じりのチャラチャラした歌の歌詞よりも、分かってくれるはずだ。<br />
夕映舎氏は、一考して、私が持ち帰ったノートの末尾近くに、書いた。</p>
<blockquote><p>
冬の雨<br />
酒を朋にと<br />
問うたそがれ<br />
飲みに飲み<br />
いつ晴れるのか<br />
冬の朝</p></blockquote>
<p>柔らかな、響きである。<br />
泥酔であったが、だからこそ、彼の心の底の詩心が、伝わって来る。<br />
私は、今回の旅行で得たものを、生涯心から忘れまいと、思った。<br />
- いちおう、完 -</p>
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		<title>Korea!2002/02/22～エピローグその一</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 12:58:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[雨の振る、朝。
ホテルのキムさんに挨拶をして、空港に向かう。
翌週の韓国は、天気が悪かった。私に韓国をしっかり見て来い、と何ものかが一週間の好天を、特別に用意してくれたかのようであった。
空港まで行くのには、地下鉄「亀浦」駅で降りてから市内バスを使ったが、この市内バスにも金海空港国際線ゲート前に到着した時の、英語アナウンスがなかった。他にスーツケースの乗客がいっぱい降りたから迷いはしなかったものの、これではだめだぞ。今回の旅行の最終日に、この国に言い残したい言葉が、心の中に浮かんだ。
飛行機は、あっという間に、関西空港まで飛んでいく。
KTXで釜山からソウルに行くよりも、ずっと時間が短い。
昼に、関西空港に着いた。
わが祖国の現状は、どうであろうか。

－どうして、

－これが、異常であることが、わからないのか！
国際空港の駅に、どうして英語表記がこんなにも、こんなにも、少ないのか！
外国人は、決まったターミナルにだけ行けばよいと、言いたいのか！
じゃあターミナルで待つ日本のバスやタクシーは、英語や漢語や韓国語が、どれだけ通じるというのか！
同じ、病気だ。
韓国と、全く同じ病気に、日本はかかっていた。深く、深く。
私は、現在の日本の停滞の原因を、今はっきりと理解した。
南海電車に、乗る。
駅名案内図は、さきほどのクソJR西日本のものよりは、まだ不十分ながらも、英語表記が揃っていた。
急行電車に、乗る。
車内では、車掌が乗り換え、先発待ちの説明を、微に入り細をうがつように、伝える。
日本語、だけで。
日本人に対して、日本人に対してだけ、シャワーのようなサービスを浴びせ掛ける。それが、日本の会社だ。
車掌はいい気になって（悪いが、今日は仕事にがんばっていると、彼を評価してやらない）、名調子でアナウンスを行なう。英語は、どうせ一言もしゃべれないに、違いない。英語のアナウンスは、国際空港から帰る急行であるにも関わらず、ない。
－本日も、南海電車をご利用いただきまして、ありがとうございました、、、
金を払って、サービスを受けているのだ。
今さらあいさつなど、いらん。
－扉が閉まります。ご注意ください、、、
大きな、お世話だ。
どこの世界に、扉を開けっ放しにして発車する、電車があるか。人をなめるにも、大概にしろ。
こんな車掌のアナウンス、要らない。
おせっかいな注意は論外としても、乗り換えの指示なんぞ、乗客が事前に調べておけばよいのだ。もし急行に乗り損ねたところで、一日も遅れるわけではなかろう。せいぜい、１０分程度遅れるだけだ。それは、不注意による自業自得の範囲内だ。
そんなことよりも、自動放送で、次に停まる駅のアナウンスを、各国語で流せ。
どうせ各国語ができない車掌は、黙ってろ。マイクを、持つな。
しかし、そんなことをしたならば、どこかから必ず「サービスが足りない」だの、「温かさが消えた」だのといった、情緒的な批判が飛び出して来る。
そんな、日本人たちよ。
君たちは、世界に向けて、非常識であるというメッセージを、発しているのだぞ。

大阪の街は、釜山よりもずっと煤けて見えた。
徳川時代初期から昭和戦前まで、三百余年間も繁栄を謳歌し続けて来たこの街は、現在衰退の途上にある。
かつては文化の香り高い都市であったが、今や吉本ぐらいしかない。その吉本も、事実上の拠点は、東京に移ってしまっている。
この街には、私の好きな食い物屋も多いだけに、街の疲れた姿が、痛々しい。
市営地下鉄に、乗る。
車内の、路線図。

－なぜローマ字でなくて、ひらがななのか！
日本の識字率は、もう１００％ではないか。
漢字が読めない日本人が、いまだにいるとでも、思っているのであろうか。
昔、まだ識字率が高くなかった時代に、サービスのためにこんな標記を作ったのであろうが、いまだに、いまだに、続けている。
何も、考えていない証拠だ。
真に漢字が読めず、ひらがなすら読めない、日本以外の民族のことが、頭から見事に抜け落ちている。
腐っている。
ここまで、腐っているのか。
梅田駅で降りて、自らの身を怒りに包みながら、阪急電車に乗り換える。
この電車は、関西で最もファッショナブルな電車であると、思っていた。
だが！
私は、梅田駅の、自動券売機の液晶画面を見た。
英語が、ない。
あの銀行と、同じであった。
その隣にも、隣にも、そのまた隣にも、英語で操作できるボタンが、なかった。
私は、改札横のインフォメーションセンターに、つかつかと歩み寄った。
私は、わざとカタコトの日本語で、駅員に言った。
「券売機、English、ないの？」
私は、券売機の方向を指差して、聞いた。
応対した駅員は、善良そうだ。
その彼が、言った。
「申し訳ございません。ございません。」
私は実は日本人だから、彼の丁寧さを、許さない。
私は、叫んだ。
「ないの！ハッ！」
私は、肩をすくめて言葉を吐き捨て、怒る足で立ち去った。
この会社は、ファッションだけで洋風に見せかけている、会社であった。
ファッションで見せる洋風は、日本人にしか通じない、にせ国際化である。
日本人は、韓国人よりも、ずっとずっと薄情者だ。
もし外国人が日本で迷ったならば、きっと悪い印象を持って、帰るであろう。それが積もり積もって、日本は通り過ぎられる列島となるに、違いない。
私は、このままでは十年のうちに、日本は「かつて」と歴史書で呼ばれる国となる、と確信した。
かつて、一時代を築いた国。
今や、見るべきものは、変な文化と、ヲタクとかいう変態だけがうじゃうじゃいるだけの、変な国。
もう、そう評価され始めている。
戻った春の京都は梅の花の盛りであったが、花の美しさは私を喜ばせてくれなかった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>雨の振る、朝。<br />
ホテルのキムさんに挨拶をして、空港に向かう。<br />
翌週の韓国は、天気が悪かった。私に韓国をしっかり見て来い、と何ものかが一週間の好天を、特別に用意してくれたかのようであった。<br />
空港まで行くのには、地下鉄「亀浦」駅で降りてから市内バスを使ったが、この市内バスにも金海空港国際線ゲート前に到着した時の、英語アナウンスがなかった。他にスーツケースの乗客がいっぱい降りたから迷いはしなかったものの、これではだめだぞ。今回の旅行の最終日に、この国に言い残したい言葉が、心の中に浮かんだ。<br />
飛行機は、あっという間に、関西空港まで飛んでいく。<br />
KTXで釜山からソウルに行くよりも、ずっと時間が短い。<br />
昼に、関西空港に着いた。<br />
わが祖国の現状は、どうであろうか。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/060.jpg"><img alt="060.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/060-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
<b>－どうして、</b><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/061.jpg"><img alt="061.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/061-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
<b>－これが、異常であることが、わからないのか！</b><br />
国際空港の駅に、どうして英語表記がこんなにも、こんなにも、少ないのか！<br />
外国人は、決まったターミナルにだけ行けばよいと、言いたいのか！<br />
じゃあターミナルで待つ日本のバスやタクシーは、英語や漢語や韓国語が、どれだけ通じるというのか！<br />
同じ、病気だ。<br />
韓国と、全く同じ病気に、日本はかかっていた。深く、深く。<br />
私は、現在の日本の停滞の原因を、今はっきりと理解した。<br />
南海電車に、乗る。<br />
駅名案内図は、さきほどのクソJR西日本のものよりは、まだ不十分ながらも、英語表記が揃っていた。<br />
急行電車に、乗る。<br />
車内では、車掌が乗り換え、先発待ちの説明を、微に入り細をうがつように、伝える。<br />
日本語、だけで。<br />
日本人に対して、日本人に対してだけ、シャワーのようなサービスを浴びせ掛ける。それが、日本の会社だ。<br />
車掌はいい気になって（悪いが、今日は仕事にがんばっていると、彼を評価してやらない）、名調子でアナウンスを行なう。英語は、どうせ一言もしゃべれないに、違いない。英語のアナウンスは、国際空港から帰る急行であるにも関わらず、ない。<br />
－本日も、南海電車をご利用いただきまして、ありがとうございました、、、<br />
金を払って、サービスを受けているのだ。<br />
今さらあいさつなど、いらん。<br />
－扉が閉まります。ご注意ください、、、<br />
大きな、お世話だ。<br />
どこの世界に、扉を開けっ放しにして発車する、電車があるか。人をなめるにも、大概にしろ。<br />
こんな車掌のアナウンス、要らない。<br />
おせっかいな注意は論外としても、乗り換えの指示なんぞ、乗客が事前に調べておけばよいのだ。もし急行に乗り損ねたところで、一日も遅れるわけではなかろう。せいぜい、１０分程度遅れるだけだ。それは、不注意による自業自得の範囲内だ。<br />
そんなことよりも、自動放送で、次に停まる駅のアナウンスを、各国語で流せ。<br />
どうせ各国語ができない車掌は、黙ってろ。マイクを、持つな。<br />
しかし、そんなことをしたならば、どこかから必ず「サービスが足りない」だの、「温かさが消えた」だのといった、情緒的な批判が飛び出して来る。<br />
そんな、日本人たちよ。<br />
君たちは、世界に向けて、非常識であるというメッセージを、発しているのだぞ。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/062.jpg"><img alt="062.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/062-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
大阪の街は、釜山よりもずっと煤けて見えた。<br />
徳川時代初期から昭和戦前まで、三百余年間も繁栄を謳歌し続けて来たこの街は、現在衰退の途上にある。<br />
かつては文化の香り高い都市であったが、今や吉本ぐらいしかない。その吉本も、事実上の拠点は、東京に移ってしまっている。<br />
この街には、私の好きな食い物屋も多いだけに、街の疲れた姿が、痛々しい。<br />
市営地下鉄に、乗る。<br />
車内の、路線図。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/065.jpg"><img alt="065.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/065-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
<b>－なぜローマ字でなくて、ひらがななのか！</b><br />
日本の識字率は、もう１００％ではないか。<br />
漢字が読めない日本人が、いまだにいるとでも、思っているのであろうか。<br />
昔、まだ識字率が高くなかった時代に、サービスのためにこんな標記を作ったのであろうが、いまだに、いまだに、続けている。<br />
何も、考えていない証拠だ。<br />
真に漢字が読めず、ひらがなすら読めない、日本以外の民族のことが、頭から見事に抜け落ちている。<br />
腐っている。<br />
ここまで、腐っているのか。<br />
梅田駅で降りて、自らの身を怒りに包みながら、阪急電車に乗り換える。<br />
この電車は、関西で最もファッショナブルな電車であると、思っていた。<br />
だが！<br />
私は、梅田駅の、自動券売機の液晶画面を見た。<br />
英語が、ない。<br />
あの銀行と、同じであった。<br />
その隣にも、隣にも、そのまた隣にも、英語で操作できるボタンが、なかった。<br />
私は、改札横のインフォメーションセンターに、つかつかと歩み寄った。<br />
私は、わざとカタコトの日本語で、駅員に言った。<br />
「券売機、English、ないの？」<br />
私は、券売機の方向を指差して、聞いた。<br />
応対した駅員は、善良そうだ。<br />
その彼が、言った。<br />
「申し訳ございません。ございません。」<br />
私は実は日本人だから、彼の丁寧さを、許さない。<br />
私は、叫んだ。<br />
「ないの！ハッ！」<br />
私は、肩をすくめて言葉を吐き捨て、怒る足で立ち去った。<br />
この会社は、ファッションだけで洋風に見せかけている、会社であった。<br />
ファッションで見せる洋風は、日本人にしか通じない、にせ国際化である。<br />
日本人は、韓国人よりも、ずっとずっと薄情者だ。<br />
もし外国人が日本で迷ったならば、きっと悪い印象を持って、帰るであろう。それが積もり積もって、日本は通り過ぎられる列島となるに、違いない。<br />
私は、このままでは十年のうちに、日本は「かつて」と歴史書で呼ばれる国となる、と確信した。<br />
かつて、一時代を築いた国。<br />
今や、見るべきものは、変な文化と、ヲタクとかいう変態だけがうじゃうじゃいるだけの、変な国。<br />
もう、そう評価され始めている。<br />
戻った春の京都は梅の花の盛りであったが、花の美しさは私を喜ばせてくれなかった。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十五</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 11:24:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[私も、何かお返しをしなければ、ならない。
私は、本日二度目に、俳句を詠むことにした。
ノートを開いて、一考。
夜の道を、バスが真っ直ぐに通る。外は、真っ暗であった。

椿恋し
韓日（ハニル）の道に
花を敷け
親愛なるPark君へ　2009.2.21
わざと、難しい漢字を多用した。
漢字は、日本の言葉だからだ。読めなければ、日本が分からない。
パク君ならば、きっとこの句の漢字を読むことを、試みてくれるであろう。
私はそう思って、影島で見た椿の花を思い出して、句を読んだ。
パク君からも、別れのあいさつ文をもらった。
今、訳している最中だが、まだ十分に解読できないでいる。
お金で買ったものではなく、ただ一本のペンで書いたちょっとした文章が、心のこもった交流となるものだ。
パク君は、ご両親の住まう馬山で、バスを降りていった。

釜山に着いたのは、午後十時。
いやー、よく帰ってこれたなあ。
夜の沙上のバスターミナルが、愛しく思えた。

このコンビニのATMで、クレジットカードを使い、明日までの資金を引き出した。
この店が一番数が多くて、そして信用できる。

チャガルチに戻ったのはもう夜遅かったが、店はまだ開いている。
高さんの言葉を確かめるために、目に着いた店に飛び込んだ。
店のおばさんの対応は、ぶっきらぼうなものであった。
メニューの間に、料理の写真が飾られていた。
「イゴスン？」
単に日本的に「これは？」と直訳で聞いただけであるが、完全に通じる。韓国語は、日本語の直訳が通じる言葉なのだ。英語と漢語では、直訳が通じない。
おばさんは、私の問いに、一言だけ答えた。
「カルクッス。」
カルクッスを、頼んだ。
今回の旅行のとどめに、うまかった。
カルクッスとは、要するに細うどんのこと。
エビとアサリの入った、海鮮スープが絶妙の味わいを、出していた。
疲れ切った空きっ腹に、一気に流し込んだ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私も、何かお返しをしなければ、ならない。<br />
私は、本日二度目に、俳句を詠むことにした。<br />
ノートを開いて、一考。<br />
夜の道を、バスが真っ直ぐに通る。外は、真っ暗であった。</p>
<blockquote><p>
椿恋し<br />
韓日（ハニル）の道に<br />
花を敷け<br />
親愛なるPark君へ　2009.2.21</p></blockquote>
<p>わざと、難しい漢字を多用した。<br />
漢字は、日本の言葉だからだ。読めなければ、日本が分からない。<br />
パク君ならば、きっとこの句の漢字を読むことを、試みてくれるであろう。<br />
私はそう思って、影島で見た椿の花を思い出して、句を読んだ。<br />
パク君からも、別れのあいさつ文をもらった。<br />
今、訳している最中だが、まだ十分に解読できないでいる。<br />
お金で買ったものではなく、ただ一本のペンで書いたちょっとした文章が、心のこもった交流となるものだ。<br />
パク君は、ご両親の住まう馬山で、バスを降りていった。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/050.jpg"><img alt="050.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/050-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
釜山に着いたのは、午後十時。<br />
いやー、よく帰ってこれたなあ。<br />
夜の沙上のバスターミナルが、愛しく思えた。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/051.jpg"><img alt="051.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/051-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
このコンビニのATMで、クレジットカードを使い、明日までの資金を引き出した。<br />
この店が一番数が多くて、そして信用できる。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/052.jpg"><img alt="052.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/052-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
チャガルチに戻ったのはもう夜遅かったが、店はまだ開いている。<br />
高さんの言葉を確かめるために、目に着いた店に飛び込んだ。<br />
店のおばさんの対応は、ぶっきらぼうなものであった。<br />
メニューの間に、料理の写真が飾られていた。<br />
「イゴスン？」<br />
単に日本的に「これは？」と直訳で聞いただけであるが、完全に通じる。韓国語は、日本語の直訳が通じる言葉なのだ。英語と漢語では、直訳が通じない。<br />
おばさんは、私の問いに、一言だけ答えた。<br />
「カルクッス。」<br />
カルクッスを、頼んだ。<br />
今回の旅行のとどめに、うまかった。<br />
カルクッスとは、要するに細うどんのこと。<br />
エビとアサリの入った、海鮮スープが絶妙の味わいを、出していた。<br />
疲れ切った空きっ腹に、一気に流し込んだ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十四</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 09:47:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[パク君の横に座って、私は事情を説明しようとした。
私は、書いた。
&#8220;I got 2,000W from you,so I&#8217;ll give 1,000yen to you.Go to exchange store and get wong equivalent to what you gave me. Thank you!&#8221;
本当は、ウォンの英語表記は&#8221;won&#8221;なのであるが、私がこのとき書いた文字をそのまま記す。日本語の感覚では、韓国語で「ン」で終わる単語の末尾が&#8221;n&#8221;なのか&#8221;ng&#8221;なのかが、とっさに判断できない。
パク君は、「ちょっと待って。」と言いながら、携帯を出す。
携帯で、英語ができる友だちを、呼び出す。
私と、その友だちとで、長々と会話した。
電話のこちらと向こうの二人とも、英語は話せるとはいっても、大したことはない。
なんとか互いの理解に、到達することができた。
私の出した千円札を、両替してほしいと私が思っていると、パク君は思っていたようだ。
だから、両替は難しい、と彼は何度も言っていた。
パク君は、途中で降りるのだから両替所に行って返すことができない、と言いたかったのであろう。
私は、この千円札一枚が今の相場でだいたい一万五千ウォンに相当することを説明して、残余の分がもし出たとしたら、それは助けてくれたお礼だ、と何とか伝えた。
私は、トラブルの経緯を、彼に説明しようとした。
&#8220;convenience store&#8221;と書いたが、読んでくれなかった。
「だったら、、、」
私は、この言葉を、漢語で書いた。韓国のたいていのコンビニには、英語と共に漢語が看板に書かれている。
－便利店。
漢字（ハンジャ）では、便宜店（ピョニジョム）。漢語と、ほとんど同じ意味だ。
だが、パク君は、この字を読めなかった。
パク君は若いが、私への対応は極めて丁寧であった。その上、教養があると見て取った。だからしかるべき教育を受けているはずだと私は思ったのであるが、その彼が我ら日本人にとっては簡単に思える漢字を、読めない。
以前慶州で会った白皙の青年は、最近の若者は昔よりも漢字が読めると、言っていた。しかし、現状は残念ながら、漢字で筆談ができる状態にはないことが、彼を通じてわかった。本にも、TVにも、漢字は決して出てこないのだ。新聞には固有名詞にだけ部分的にあるものの、たぶん誰も読んでいないのであろう。
結局、「ファミリーマート、セブンイレブンのことだよ」と私が言って、理解してくれた。この二店は、韓国にもいっぱいある。
パク君は、大宇（デウ）に勤めている。大宇の造船所が、巨済島の玉浦（オッポ）にある。
今日の彼は、ご両親のところに帰省する、途上であった。彼のご両親の家は、釜山の手前の、馬山（マサン）にある。
私は、ガイドブックを開いて、馬山の名所を見ようとした。
だが、馬山の項目が、なかった。
「残念！ないね。」
「なんにも、ない街ですよ。」
パク君は、笑った。
私は彼に、日本に来たことがあるかどうか、聞いた。
「ありません。」
彼は、まだ海外旅行の経験が、なかった。
私は、京都近辺の地図を書いて、説明した。
「ここが、京都だ。今、私が住んでいる。これが、琵琶湖。日本で一番大きな、湖だ。これが、大阪。私の、出身地だ。」
私は、京都のことについて、説明した。
「京都でよいのは、春と秋。春ならば、サクラ。秋ならば、紅葉。この季節が、最も美しい。君も機会があれば、来ておくれよ。私が、案内してあげるよ。」
サクラは韓国語で、「벚꽃」という。
チェさんは発音できるが、私にはまだできない。
「韓国語の発音は、難しいよ。」
私はガイドブックをめくって、韓国の餅を指差した。
「떡、ですね。」
パク君は、声をかすれさせて口を大きく開き、発音してみせた。
「これが、日本語で表すと、トックだ。ぜんぜん、違う。日本語は、発音が単純すぎるんだよ。」
韓国語は、やはり難しい。
発音もそうなのだが、語彙の圧倒的多数を占める漢字に対応する読みを、いちいち覚えていかなくてはならない。
もし、彼らが今でも漢字を使っていたならば、彼らの書き記す言葉は、日本人にとって八割方、わかるはすだ。
－私は、貴方の会社を、訪問します。
－저는 當身의 會社를 訪問합니다．
なるたけ漢字を使うように注意すれば、こんなにも似ている。「當身」が「あなた」であることさえ知っていれば、文法はそっくりなほどに、似ているのだ。惜しい。
だが、もうここまで漢字を捨ててしまった以上、彼らが漢字を学び直すことは、残念ながら不可能であろう。北朝鮮では、もう漢字が一切学ばれていないのだ。
パク君の携帯には翻訳マシーンが付いていて、彼が操作して選択した韓国語の文を、日本語に翻訳できる。私とパク君は、それを用いて簡単なやりとりをした。ちなみに私の携帯は1円携帯で、翻訳機能がない。今回の旅行、翻訳機能のある携帯を持参していたら、もうすこし楽だったであろう。しかし、私は、この時パク君と何度かやり取りしたような、携帯のしゃべるアナウンサー言葉で応対するようなコミュニーケションのやり方に、正直言って嫌悪感を持つ。人間と人間とは、自分の口から発する言葉で語り合わなければならない。
この携帯をもう少し進化させて、携帯のカメラを例えば看板などにかざすと読み取って訳文を表示できる、機能を開発すればよい。そうすれば韓国語の文法と日本語の文法は酷似しているから、同音異義語を修正していけば、かなり近い翻訳に到達できるはずだ。今よりも格段に、街が歩きやすくなる。電車やバス停、銀行や店で、迷うことがなくなる。日本のメーカーさん、あるいは韓国のメーカーさん。開発して、ください。
私は、ガイドブックの料理のページを開いて、言った。
「韓国の料理は、うまいよ。一人旅行だから、プルコギは食べなかったけれどね。スンドゥブチゲ、テンジャンチゲ、ヘジャングッ、ソルロンタン、ナッチポックム、ポリパプ、、、」
パク君は、「ポリパプは、まずいですよ。」と、首を振って否定した。
それから、彼は言った。
「日本料理は、うまい。スシが、うまい。」
彼は親指を立てた。
私は、紙に「寿司」の字を書いた。
私は、つけ加えた。
「それから、ラーメン。」
「あ。ラミョンですね。」
パク君は、うなずいた。
私は「拉麺」という、この込み入った文字を、紙の上に書いた。
私は、この国の人たちが漢字を使ってくれないことの淋しさを、このとき字を書いてまぎらわしていたのかもしれない。
バスの道中は、長い。
パク君が、手元で何か、作っていた。
「どうぞ。」
彼は、私に渡してくれた。

千ウォンを畳んで作ってくれた、ハート。
これを見ただけで、この馬山の一青年が、いかに心の温かい人間であるかが、わかるだろう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>パク君の横に座って、私は事情を説明しようとした。<br />
私は、書いた。<br />
&#8220;I got 2,000W from you,so I&#8217;ll give 1,000yen to you.Go to exchange store and get wong equivalent to what you gave me. Thank you!&#8221;<br />
本当は、ウォンの英語表記は&#8221;won&#8221;なのであるが、私がこのとき書いた文字をそのまま記す。日本語の感覚では、韓国語で「ン」で終わる単語の末尾が&#8221;n&#8221;なのか&#8221;ng&#8221;なのかが、とっさに判断できない。<br />
パク君は、「ちょっと待って。」と言いながら、携帯を出す。<br />
携帯で、英語ができる友だちを、呼び出す。<br />
私と、その友だちとで、長々と会話した。<br />
電話のこちらと向こうの二人とも、英語は話せるとはいっても、大したことはない。<br />
なんとか互いの理解に、到達することができた。<br />
私の出した千円札を、両替してほしいと私が思っていると、パク君は思っていたようだ。<br />
だから、両替は難しい、と彼は何度も言っていた。<br />
パク君は、途中で降りるのだから両替所に行って返すことができない、と言いたかったのであろう。<br />
私は、この千円札一枚が今の相場でだいたい一万五千ウォンに相当することを説明して、残余の分がもし出たとしたら、それは助けてくれたお礼だ、と何とか伝えた。<br />
私は、トラブルの経緯を、彼に説明しようとした。<br />
&#8220;convenience store&#8221;と書いたが、読んでくれなかった。<br />
「だったら、、、」<br />
私は、この言葉を、漢語で書いた。韓国のたいていのコンビニには、英語と共に漢語が看板に書かれている。<br />
－便利店。<br />
漢字（ハンジャ）では、便宜店（ピョニジョム）。漢語と、ほとんど同じ意味だ。<br />
だが、パク君は、この字を読めなかった。<br />
パク君は若いが、私への対応は極めて丁寧であった。その上、教養があると見て取った。だからしかるべき教育を受けているはずだと私は思ったのであるが、その彼が我ら日本人にとっては簡単に思える漢字を、読めない。<br />
以前慶州で会った白皙の青年は、最近の若者は昔よりも漢字が読めると、言っていた。しかし、現状は残念ながら、漢字で筆談ができる状態にはないことが、彼を通じてわかった。本にも、TVにも、漢字は決して出てこないのだ。新聞には固有名詞にだけ部分的にあるものの、たぶん誰も読んでいないのであろう。<br />
結局、「ファミリーマート、セブンイレブンのことだよ」と私が言って、理解してくれた。この二店は、韓国にもいっぱいある。<br />
パク君は、大宇（デウ）に勤めている。大宇の造船所が、巨済島の玉浦（オッポ）にある。<br />
今日の彼は、ご両親のところに帰省する、途上であった。彼のご両親の家は、釜山の手前の、馬山（マサン）にある。<br />
私は、ガイドブックを開いて、馬山の名所を見ようとした。<br />
だが、馬山の項目が、なかった。<br />
「残念！ないね。」<br />
「なんにも、ない街ですよ。」<br />
パク君は、笑った。<br />
私は彼に、日本に来たことがあるかどうか、聞いた。<br />
「ありません。」<br />
彼は、まだ海外旅行の経験が、なかった。<br />
私は、京都近辺の地図を書いて、説明した。<br />
「ここが、京都だ。今、私が住んでいる。これが、琵琶湖。日本で一番大きな、湖だ。これが、大阪。私の、出身地だ。」<br />
私は、京都のことについて、説明した。<br />
「京都でよいのは、春と秋。春ならば、サクラ。秋ならば、紅葉。この季節が、最も美しい。君も機会があれば、来ておくれよ。私が、案内してあげるよ。」<br />
サクラは韓国語で、「벚꽃」という。<br />
チェさんは発音できるが、私にはまだできない。<br />
「韓国語の発音は、難しいよ。」<br />
私はガイドブックをめくって、韓国の餅を指差した。<br />
「떡、ですね。」<br />
パク君は、声をかすれさせて口を大きく開き、発音してみせた。<br />
「これが、日本語で表すと、トックだ。ぜんぜん、違う。日本語は、発音が単純すぎるんだよ。」<br />
韓国語は、やはり難しい。<br />
発音もそうなのだが、語彙の圧倒的多数を占める漢字に対応する読みを、いちいち覚えていかなくてはならない。<br />
もし、彼らが今でも漢字を使っていたならば、彼らの書き記す言葉は、日本人にとって八割方、わかるはすだ。</p>
<blockquote><p>－私は、貴方の会社を、訪問します。</p></blockquote>
<blockquote><p>－저는 當身의 會社를 訪問합니다．</p></blockquote>
<p>なるたけ漢字を使うように注意すれば、こんなにも似ている。「當身」が「あなた」であることさえ知っていれば、文法はそっくりなほどに、似ているのだ。惜しい。<br />
だが、もうここまで漢字を捨ててしまった以上、彼らが漢字を学び直すことは、残念ながら不可能であろう。北朝鮮では、もう漢字が一切学ばれていないのだ。<br />
パク君の携帯には翻訳マシーンが付いていて、彼が操作して選択した韓国語の文を、日本語に翻訳できる。私とパク君は、それを用いて簡単なやりとりをした。ちなみに私の携帯は1円携帯で、翻訳機能がない。今回の旅行、翻訳機能のある携帯を持参していたら、もうすこし楽だったであろう。しかし、私は、この時パク君と何度かやり取りしたような、携帯のしゃべるアナウンサー言葉で応対するようなコミュニーケションのやり方に、正直言って嫌悪感を持つ。人間と人間とは、自分の口から発する言葉で語り合わなければならない。<br />
この携帯をもう少し進化させて、携帯のカメラを例えば看板などにかざすと読み取って訳文を表示できる、機能を開発すればよい。そうすれば韓国語の文法と日本語の文法は酷似しているから、同音異義語を修正していけば、かなり近い翻訳に到達できるはずだ。今よりも格段に、街が歩きやすくなる。電車やバス停、銀行や店で、迷うことがなくなる。日本のメーカーさん、あるいは韓国のメーカーさん。開発して、ください。<br />
私は、ガイドブックの料理のページを開いて、言った。<br />
「韓国の料理は、うまいよ。一人旅行だから、プルコギは食べなかったけれどね。スンドゥブチゲ、テンジャンチゲ、ヘジャングッ、ソルロンタン、ナッチポックム、ポリパプ、、、」<br />
パク君は、「ポリパプは、まずいですよ。」と、首を振って否定した。<br />
それから、彼は言った。<br />
「日本料理は、うまい。スシが、うまい。」<br />
彼は親指を立てた。<br />
私は、紙に「寿司」の字を書いた。<br />
私は、つけ加えた。<br />
「それから、ラーメン。」<br />
「あ。ラミョンですね。」<br />
パク君は、うなずいた。<br />
私は「拉麺」という、この込み入った文字を、紙の上に書いた。<br />
私は、この国の人たちが漢字を使ってくれないことの淋しさを、このとき字を書いてまぎらわしていたのかもしれない。<br />
バスの道中は、長い。<br />
パク君が、手元で何か、作っていた。<br />
「どうぞ。」<br />
彼は、私に渡してくれた。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/067.jpg"><img alt="067.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/067-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
千ウォンを畳んで作ってくれた、ハート。<br />
これを見ただけで、この馬山の一青年が、いかに心の温かい人間であるかが、わかるだろう。</p>
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		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十三</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 08:47:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[もう、最後の手段を、使うことにした。
－借りよう。
バスに同乗する誰かから借りて、釜山で返す。釜山ならば、コンビニはいっぱいある。
乗ろうとする人を、捕まえる。
「タンシヌン　プサンヘ　カムニッカ？」
その人は、首を横に振った。
だめだ。この人は、途中で降りる。
もう一人、若い男性が、来た。
二十九歳の大宇（デウ）社員、Park（パク）君だ。
彼にも、聞く。
彼は、首を横に振った。
バスの運転手は、気が荒い。
「なにしとるか！はよ乗らんかい！もう、出発時刻やっちゅーねん。」
言っていることはわからないが、きっとこんなことを私に言っているに、違いない。
「一万五千ウォン、出せ！」
運転手は、私に強要する。
私は、財布の中に一万三千ウォンしかないことを、示した。
「金、ないやとぉ？帰れ！帰れ！」
言っていることはさっぱり分からないが、間違いなくこう言っているに違いないことが、表情から分かった。
パク君に、急いで英語で、告げる。
「頼みます！二千ウォン、これと交換してください！」
私は、日本円の千円札を一枚、取り出した。
ついに、出発時刻だ。
パク君は、英語があまりうまくない。
押し問答しながらも、二千ウォンを、出してくれた。
運転手は、パク君の二千ウォンと私の一万三千ウォンを、引っ掴むように取り上げた。
プリプリしながらも、運転手はバスを発車させた。
最終便に乗ることに、成功した。
冷や汗が、出たぜ。こんな僻地では、カードで泊まることすら、難しかっただろう。
あの高級ホテルならば泊まることができたろうが、高いだろうし、その上明日の飛行機は朝の便だから、たぶん乗れなかったに違いない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もう、最後の手段を、使うことにした。<br />
－借りよう。<br />
バスに同乗する誰かから借りて、釜山で返す。釜山ならば、コンビニはいっぱいある。<br />
乗ろうとする人を、捕まえる。<br />
「タンシヌン　プサンヘ　カムニッカ？」<br />
その人は、首を横に振った。<br />
だめだ。この人は、途中で降りる。<br />
もう一人、若い男性が、来た。<br />
二十九歳の大宇（デウ）社員、Park（パク）君だ。<br />
彼にも、聞く。<br />
彼は、首を横に振った。<br />
バスの運転手は、気が荒い。<br />
「なにしとるか！はよ乗らんかい！もう、出発時刻やっちゅーねん。」<br />
言っていることはわからないが、きっとこんなことを私に言っているに、違いない。<br />
「一万五千ウォン、出せ！」<br />
運転手は、私に強要する。<br />
私は、財布の中に一万三千ウォンしかないことを、示した。<br />
「金、ないやとぉ？帰れ！帰れ！」<br />
言っていることはさっぱり分からないが、間違いなくこう言っているに違いないことが、表情から分かった。<br />
パク君に、急いで英語で、告げる。<br />
「頼みます！二千ウォン、これと交換してください！」<br />
私は、日本円の千円札を一枚、取り出した。<br />
ついに、出発時刻だ。<br />
パク君は、英語があまりうまくない。<br />
押し問答しながらも、二千ウォンを、出してくれた。<br />
運転手は、パク君の二千ウォンと私の一万三千ウォンを、引っ掴むように取り上げた。<br />
プリプリしながらも、運転手はバスを発車させた。<br />
最終便に乗ることに、成功した。<br />
冷や汗が、出たぜ。こんな僻地では、カードで泊まることすら、難しかっただろう。<br />
あの高級ホテルならば泊まることができたろうが、高いだろうし、その上明日の飛行機は朝の便だから、たぶん乗れなかったに違いない。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十二</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 08:14:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[
降ろしてくれたは、いいものの、、、
ここ、どこだ？
チェさんは運転手に、バスターミナルで降ろしてくれるように、言ってくれたはずなのだが。

げっ！
ここは、フェリーターミナルだ。
長承浦、フェリーターミナル。
あわてて、ガイドブックを出す。
今、もう時間は午後六時。
最終便が、すでに出てしまっていた。
ターミナルの中は、誰もいない。
チェさんが、乗っていたバスの運転手のことを能なし呼ばわりして、「この運転手、まるで○○人だ。」とクサしていたが。
私は、彼のブラックユーモアに苦笑していたものだが、、、
バスターミナルで、降ろしてくれなかった。
バスの、最終便時間を調べる。
七時前で、最終便が尽きてしまう。
巨済島は、統営よりさらに先にある、僻地だ。バスで、釜山まで三時間かかる。
見回しても、コンビニ一つ、ありはしない。
、、、急げ！バスターミナルに。
酔いが、全てふっとんだ。
ガイドブックの地図が、あてにならない。
歩けども、歩けども、手掛かりが掴めない。
しようがないから、途上にあった高級そうなホテルのフロントさんに、英語でバスターミナルまでの道を聞く。
「バスターミナルまでなら、歩けば50分かかりますよ。」
だめだ！着かない。
「タクシーを、使いなさい。掴まえて、あげましょう。」
フロントさんは、私をホテルの入り口まで連れて行ってくれて、タクシーを呼び止めて行き先を運転手に指示してくれた。
またも、人情に救われた。ありがとう。
タクシーに、乗る。
着く。
バスターミナルは、おんぼろだ。カードなんか使えないという空気が、流れている。
だが、釜山行きのバスは、きれいなものだ。
バスの運転手に、料金を聞く。
「マノチョノォン。」
一万、五千、ウォン。
手元の、財布の中。
さっきタクシーに乗ったため、一万三千ウォンしかない。
足りない！
コンビニ、、、コンビニ、、、
このバスターミナルも、思いっきり僻地だ。
コンビニが、一つしかない。
見慣れたデザインの、ファミマが一つだけ。
入る。
ATMを、操作する。
英語は、あったが―
使えるカードは、アメックスだけ。
手に握り締めているのは、VISAカードだった。
私はがっくりと、うなだれた。
私は店員を捉まえて、「他にコンビニ、ないか？」と英語で聞いたが、店員は英語を全く理解してくれない。
コンビニの韓国語は「편의점」（ピョニジョム、便宜店）なのであるが、こんな単語、この時の私の頭の中には入っていない。
聞くのを、あきらめた。
走り出して、銀行を探す。
あったのは、恨み重なる、私のカードを二度にわたって門前払いを食らわせたあの銀行が、ただ一つ。
道が、閉ざされた。
もう、明日の便には、乗れないのか、、、
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/045.jpg"><img alt="045.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/045-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
降ろしてくれたは、いいものの、、、<br />
ここ、どこだ？<br />
チェさんは運転手に、バスターミナルで降ろしてくれるように、言ってくれたはずなのだが。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/044.jpg"><img alt="044.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/044-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
げっ！<br />
ここは、フェリーターミナルだ。<br />
長承浦、フェリーターミナル。<br />
あわてて、ガイドブックを出す。<br />
今、もう時間は午後六時。<br />
最終便が、すでに出てしまっていた。<br />
ターミナルの中は、誰もいない。<br />
チェさんが、乗っていたバスの運転手のことを能なし呼ばわりして、「この運転手、まるで○○人だ。」とクサしていたが。<br />
私は、彼のブラックユーモアに苦笑していたものだが、、、<br />
バスターミナルで、降ろしてくれなかった。<br />
バスの、最終便時間を調べる。<br />
七時前で、最終便が尽きてしまう。<br />
巨済島は、統営よりさらに先にある、僻地だ。バスで、釜山まで三時間かかる。<br />
見回しても、コンビニ一つ、ありはしない。<br />
、、、急げ！バスターミナルに。<br />
酔いが、全てふっとんだ。<br />
ガイドブックの地図が、あてにならない。<br />
歩けども、歩けども、手掛かりが掴めない。<br />
しようがないから、途上にあった高級そうなホテルのフロントさんに、英語でバスターミナルまでの道を聞く。<br />
「バスターミナルまでなら、歩けば50分かかりますよ。」<br />
だめだ！着かない。<br />
「タクシーを、使いなさい。掴まえて、あげましょう。」<br />
フロントさんは、私をホテルの入り口まで連れて行ってくれて、タクシーを呼び止めて行き先を運転手に指示してくれた。<br />
またも、人情に救われた。ありがとう。<br />
タクシーに、乗る。<br />
着く。<br />
バスターミナルは、おんぼろだ。カードなんか使えないという空気が、流れている。<br />
だが、釜山行きのバスは、きれいなものだ。<br />
バスの運転手に、料金を聞く。<br />
「マノチョノォン。」<br />
一万、五千、ウォン。<br />
手元の、財布の中。<br />
さっきタクシーに乗ったため、一万三千ウォンしかない。<br />
足りない！<br />
コンビニ、、、コンビニ、、、<br />
このバスターミナルも、思いっきり僻地だ。<br />
コンビニが、一つしかない。<br />
見慣れたデザインの、ファミマが一つだけ。<br />
入る。<br />
ATMを、操作する。<br />
英語は、あったが―<br />
使えるカードは、アメックスだけ。<br />
手に握り締めているのは、VISAカードだった。<br />
私はがっくりと、うなだれた。<br />
私は店員を捉まえて、「他にコンビニ、ないか？」と英語で聞いたが、店員は英語を全く理解してくれない。<br />
コンビニの韓国語は「편의점」（ピョニジョム、便宜店）なのであるが、こんな単語、この時の私の頭の中には入っていない。<br />
聞くのを、あきらめた。<br />
走り出して、銀行を探す。<br />
あったのは、恨み重なる、私のカードを二度にわたって門前払いを食らわせたあの銀行が、ただ一つ。<br />
道が、閉ざされた。<br />
もう、明日の便には、乗れないのか、、、</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十一</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 03:13:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[青馬紀念館を、バスは出た。
私は、バスの車中で、チェさんに言った。
「韓国と日本は、EUのように通貨統合するべきだと、思います。それは、できるはずです。そして、しなければならないと、思います。」
チェさんは、答えた。
「私は、韓国の詩と日本の詩を、繋げたいと思っている。私は、日本語を学びたい。君も、韓国語を学んでほしい。私には、詩で両国を繋ぐ、夢がある。君には、政治で両国を繋ぐ、夢がある。必ず、できるよ。だがお金だけでは、だめだ。ハートが、伴わなくてはならない。日本の石原都知事だって、文学者じゃないか。」
私は、言った。
「本当は、台湾も加えたい。だが、今の台湾に手を差し伸べると、中国が怒る。だから、現状では残念ながら、できない。」
チェさんは、答えた。
「台湾は、忘れな。むしろ、仲間とするべきは、オーストラリアとニュージーランドだ。」
帰国して、この構想を夕映舎氏に話したら、彼は批評した。
「しかし―」
もう、泥酔に近い雨の夜に、彼は言った。
「いずれ、中国と台湾までも、仲間に入れなければならん。それは、分かり切ったことや。すぐに急いては、できんよ。できることから、順々にやっていけば、ええんや。構想を、持つ。戦略を、持たんといかん。日本なんか、北方四島の問題だけで、なんであんなにワーワーいうとるねん。国の面子が、そんなに大事なんかい。択捉をあきらめて、それでロシアと仲良くなれる利益が、なんで分からんのかい。」
二人の意見を、並列しておいた。
しかし、二人が共に、「ひとが大事」だと思っていることだけは確かであることが、私には分かった。
チェさんは、言った。
「そして、私の夢 &#8211; 南北の、統一。」
彼は、拳を握り締めて、力を込めた。
私は、この旅行をする前には、現実問題として南北の統一はとても無理なのではないか、と思っていた。
ヨーロッパの最富裕国であるドイツですら、東の建て直しのために、予想を越える巨額の資金と、長い年月を必要とした。統一から19年経った現在でも、いまだに旧東ドイツは経済が停滞し、失業率が西よりうんと高い。
現在の北朝鮮は、統一直前の東ドイツとは比較にならないほどに、貧しい。
その上、旧東ドイツの統一直前には、ある程度西側の情報を入手できる環境があった。現在の北朝鮮は、全く閉ざされている。住民は、おそらく第二次大戦直後の常識を現在まで引きずったまま、生きている。ビジネスに、全く慣れていない。
それらの状況を考えたとき、韓国の国力では、とても北朝鮮と統一することは、夢物語ではないかと、思っていた。
だが、私は分かった。
チェさんの言葉で、分かった。帰国後、韓国の文学に親しんで、理解した。
南北の統一は、彼らにとって捨てることができない。
あきらめろ、などと、今の私には、とても彼らに言うことができない。
長い時間が、かかるであろう。
この国の人たちは、ガッツがある。そして、根が非常に勤勉である。だから、時間をかければ、北を建て直すことも、できるだろう。
しかし、かつての西ドイツに比べて大きく国力の劣る韓国が、かつての東ドイツに比べて絶望的なまでに遅れている北朝鮮を建て直すためには、残念ながら一国では力が足りない。もし急いてやろうとすれば、この国は大混乱に陥るに、違いない。
日本が、乗り出すべきなのだ。
南北合わせれば、おおよそ七千万人の国民である。日本にとって、大きく市場が広がる。いま衰退している西日本が、間違いなく活性化する。九州は、日本の他の大都市に行くよりも、ずっと韓国に近い。山陰からは、船を使えばあっという間に釜山に行くことができる。四国は日本で孤立しているが、韓国を視野に入れれば、水路でも空路でも近くにある。済州島を愛する韓国人にとって、四国は済州島をちょうど十倍にしたような、光と緑が豊かな島ではないか。私の郷里の大阪には、在日の方々がたくさんいる。大きなコリアン・タウンが、生野にある。そして、関西空港から釜山金海空港までは、たった1時間30分しかかからない。機内食すら、簡単なサンドウィッチでおしまいなほどに、旅程が短い。
韓国にとっては、もっとよい。一億二千七百万人の市場に、アクセスできるのだ。一世代もしないうちに、日本に等しい所得水準に、跳ね上がることであろう。そうして金の余裕ができれば、統一もやりやすくなる。
韓国人は日本料理を好んでいるから、言葉の問題さえ乗り越えることができれば、彼らにとって日本はまことに旅行しやすい国となるのだ。日本人も、しかり。日本人がもっと韓国で目立つようになれば、食堂は日本人向けに辛くないメニューを用意してくれるように、必ずなる。韓国料理は、辛さだけを取ってしまえば、日本料理と完全に合い通じる。日本料理は、魚料理が優れている。韓国料理は、肉料理と野菜が、優れている。
だが、パスポートの撤廃までは、南北の統一まで無理かもしれない。日本には、北朝鮮の体制を支持する団体に属する方々が、住んでいる。彼ら、彼女らが支持しているとされる体制は、現在の韓国にとって、敵国である。日韓同盟は、日本に住む彼ら、彼女らを追い詰めることに、なるかもしれない。しかし、あの体制は、もう二十一世紀にまで続けてはならない。いにしえの高句麗（コグリョ）の土地に住まう二千万人の人間たちのために、ならない。私は、大慈悲の心をもって、あの体制を追い詰めるために、日韓同盟を進めるべきだと、主張したい。
現在のところ、日韓の両国民は、外国人と付き合う道を知らない。危険なほどに、知らない。この両国の「内向き症候群」を治癒するために、実は最も近い文明を持っている両国民は、通貨を統合し、領土問題を解決して、将来の半島統一のために、政治同盟を結ぶのだ。
通貨単位は、私は「両」が、よいと思う。
「両」は中国から日韓が共通に受け取った、重量と貨幣の単位である。かつては、両国共に、「両」が貨幣単位であった。日本の「両（りょう）」は、徳川時代東日本の、金貨単位としてであった。韓国の「両（ヤン、数字の後ではニャン）」は、短期間であったものの、李朝において1892年から1902年までの間の、最高通貨単位であった。
この新通貨のシンボルは、現行の円が使っている&#8221;￥&#8221;を流用したほうが、よいであろう。
その方が、すでに国際通貨である円の表記を、世界中で修正せずに使うことができて、パソコンとインターネットに優しい。外国に対して、信が立つ。そうしてこのシンボルの英語表記を、&#8221;Yen&#8221;から&#8221;Yan&#8221;に代えるのだ。シンボルは、日本のものを使う。読み方は、韓国のものを使う。両成敗で、ちょうどよい。
もちろん、統一通貨を自国では「エン」と呼んだり、「ウォン」と呼び続けたりしても、一向にかまわない。しかし、紙幣には日本語と韓国語を並べて、「一万両」「일만냥」を併記する。普段使う通貨から、親しみ合うのだ。そうやって、隣の島に行く感覚で外国に通うようにして、外国知らずの両国の精神を、鍛え直すのだ。
こうして交流をEU諸国なみに深めれば、両国民はまず外国人と付き合う方法のイロハを、学ぶことができる。そしてその段階を乗り越えることができたならば、さらに異質の文明である中国やロシア、西洋諸国とも付き合える感覚が、一世代もすれば育てられるであろう。
私は、帰国してから夕映舎氏に、一つの構想を述べた。
「釜山から対馬、壱岐、博多にかけて、トンネルを掘るのだ。そうして、JRとKorailが合同開発した新・新幹線を、ソウルまで伸ばす。東京とソウルを、一本の電車で繋ぐのだ。ゆくゆくは、ピョンヤンまで伸ばす。」
夕映舎氏は、付け加えた。
「その先には、北京や。東京から、北京まで、新幹線。」
私は、その説にうなずいた後に、言った。
「しかし、どうせトンネルを掘るのならば、電車と車道だけでは、もったいない。自転車と、歩いて渡れる道まで、作るのだよ。韓国の人々は、歩くのが大好きだ。地下のトンネルに、10kmごとに休憩所を作って、歩いて九州旅行ができるように、設備を作る。その途上の対馬と壱岐には、歓待する施設を作るのだ。控え目で、なおかつ清潔なやつがよい。韓国人は、日本人と美意識が非常に似通っているから、日本流の美意識をもってリゾート地を作れば、彼らはきっと喜んでくれる。」
夕映舎氏は、言った。
「そやな。かつては、青函トンネルも、夢物語やった。それをやり遂げた日本の技術やから、やると決めたら、日韓トンネルを必ず作ることが、できるやろ。」
そして、私は言った。
「そうして、ゆくゆくは今の北朝鮮の清津（チョンジン）から始まって、日本の青森まで渡る、日韓自転車レースを、開催するのだ。それを中継すれば、いかに自分たちの文明圏が、雄大な山河を持っているかを、心で分かることができるだろう。日本も韓国も、小国ではない。しかし、分かれているから、両方共に、中途半端なのだ。両方が同盟すれば、これはもう大文明圏なのだ。」
両国の間の海は、韓国詩で必ず「東海（トンへ）」と呼ばれている。
だから、彼らにこの海を「日本海（イルボネ）」と呼べと、言ってはならない。
しかし、我々は、この海を&#8221;East Sea&#8221;などと、呼ぶ必要は全くない。日本の、西にあるからだ。この海は、我らにとって&#8221;Sea of Japan&#8221;である。英名でどちらの呼称を使うかは、世界が決めればよい。
チェさんは、私に「君は、政治を目指すだろう。」と、言ってくれた。
残念ながら、今の私には、そこまでの勇気がない。
しかし、彼は日本について、言った。
「これから、十年だ。十年の間に、日本はrevolutionを起こさないと、ならない。もしそれがなければ、日本は沈没するよ。」
バスは、巨済島を、進んで行った。
というか、この時の私は話に夢中で、今自分がどこに連れられていくのか、分かっていなかった。
「この出会いのことを、ブログに書いてもいいですか？」
私の問いに、チェさんはOKを出してくれた。
私は、さらに聞いた。
「私は、この旅行のことを、あなたの国に対して99％の&#8221;love&#8221;をもって、書くつもりです。しかし、私は1%だけ、&#8221;critisism&#8221;を入れるでしょう。お嫌ならば、どうか読まないでください。」
チェさんは、そういう私を、遮った。
「いや。50％と、50％だ。この国の、良いと思ったところを、50％。悪いと思ったところを、50％。そうでなくては、ならない。」
私は、彼に感謝した。
チェさんはもっと同行するように、私に勧めてくれた。
しかし、残念ながら、私は明日の朝、日本に戻らなければならない。
「残念ながら、お別れだ。」
バスが、止まった。
私は、チェさんとその一行に、別れの挨拶をして、降りた。
降りた場所のことは、知らなかった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>青馬紀念館を、バスは出た。<br />
私は、バスの車中で、チェさんに言った。<br />
「韓国と日本は、EUのように通貨統合するべきだと、思います。それは、できるはずです。そして、しなければならないと、思います。」<br />
チェさんは、答えた。<br />
「私は、韓国の詩と日本の詩を、繋げたいと思っている。私は、日本語を学びたい。君も、韓国語を学んでほしい。私には、詩で両国を繋ぐ、夢がある。君には、政治で両国を繋ぐ、夢がある。必ず、できるよ。だがお金だけでは、だめだ。ハートが、伴わなくてはならない。日本の石原都知事だって、文学者じゃないか。」<br />
私は、言った。<br />
「本当は、台湾も加えたい。だが、今の台湾に手を差し伸べると、中国が怒る。だから、現状では残念ながら、できない。」<br />
チェさんは、答えた。<br />
「台湾は、忘れな。むしろ、仲間とするべきは、オーストラリアとニュージーランドだ。」<br />
帰国して、この構想を夕映舎氏に話したら、彼は批評した。<br />
「しかし―」<br />
もう、泥酔に近い雨の夜に、彼は言った。<br />
「いずれ、中国と台湾までも、仲間に入れなければならん。それは、分かり切ったことや。すぐに急いては、できんよ。できることから、順々にやっていけば、ええんや。構想を、持つ。戦略を、持たんといかん。日本なんか、北方四島の問題だけで、なんであんなにワーワーいうとるねん。国の面子が、そんなに大事なんかい。択捉をあきらめて、それでロシアと仲良くなれる利益が、なんで分からんのかい。」<br />
二人の意見を、並列しておいた。<br />
しかし、二人が共に、「ひとが大事」だと思っていることだけは確かであることが、私には分かった。<br />
チェさんは、言った。<br />
「そして、私の夢 &#8211; 南北の、統一。」<br />
彼は、拳を握り締めて、力を込めた。<br />
私は、この旅行をする前には、現実問題として南北の統一はとても無理なのではないか、と思っていた。<br />
ヨーロッパの最富裕国であるドイツですら、東の建て直しのために、予想を越える巨額の資金と、長い年月を必要とした。統一から19年経った現在でも、いまだに旧東ドイツは経済が停滞し、失業率が西よりうんと高い。<br />
現在の北朝鮮は、統一直前の東ドイツとは比較にならないほどに、貧しい。<br />
その上、旧東ドイツの統一直前には、ある程度西側の情報を入手できる環境があった。現在の北朝鮮は、全く閉ざされている。住民は、おそらく第二次大戦直後の常識を現在まで引きずったまま、生きている。ビジネスに、全く慣れていない。<br />
それらの状況を考えたとき、韓国の国力では、とても北朝鮮と統一することは、夢物語ではないかと、思っていた。<br />
だが、私は分かった。<br />
チェさんの言葉で、分かった。帰国後、韓国の文学に親しんで、理解した。<br />
南北の統一は、彼らにとって捨てることができない。<br />
あきらめろ、などと、今の私には、とても彼らに言うことができない。<br />
長い時間が、かかるであろう。<br />
この国の人たちは、ガッツがある。そして、根が非常に勤勉である。だから、時間をかければ、北を建て直すことも、できるだろう。<br />
しかし、かつての西ドイツに比べて大きく国力の劣る韓国が、かつての東ドイツに比べて絶望的なまでに遅れている北朝鮮を建て直すためには、残念ながら一国では力が足りない。もし急いてやろうとすれば、この国は大混乱に陥るに、違いない。<br />
日本が、乗り出すべきなのだ。<br />
南北合わせれば、おおよそ七千万人の国民である。日本にとって、大きく市場が広がる。いま衰退している西日本が、間違いなく活性化する。九州は、日本の他の大都市に行くよりも、ずっと韓国に近い。山陰からは、船を使えばあっという間に釜山に行くことができる。四国は日本で孤立しているが、韓国を視野に入れれば、水路でも空路でも近くにある。済州島を愛する韓国人にとって、四国は済州島をちょうど十倍にしたような、光と緑が豊かな島ではないか。私の郷里の大阪には、在日の方々がたくさんいる。大きなコリアン・タウンが、生野にある。そして、関西空港から釜山金海空港までは、たった1時間30分しかかからない。機内食すら、簡単なサンドウィッチでおしまいなほどに、旅程が短い。<br />
韓国にとっては、もっとよい。一億二千七百万人の市場に、アクセスできるのだ。一世代もしないうちに、日本に等しい所得水準に、跳ね上がることであろう。そうして金の余裕ができれば、統一もやりやすくなる。<br />
韓国人は日本料理を好んでいるから、言葉の問題さえ乗り越えることができれば、彼らにとって日本はまことに旅行しやすい国となるのだ。日本人も、しかり。日本人がもっと韓国で目立つようになれば、食堂は日本人向けに辛くないメニューを用意してくれるように、必ずなる。韓国料理は、辛さだけを取ってしまえば、日本料理と完全に合い通じる。日本料理は、魚料理が優れている。韓国料理は、肉料理と野菜が、優れている。<br />
だが、パスポートの撤廃までは、南北の統一まで無理かもしれない。日本には、北朝鮮の体制を支持する団体に属する方々が、住んでいる。彼ら、彼女らが支持しているとされる体制は、現在の韓国にとって、敵国である。日韓同盟は、日本に住む彼ら、彼女らを追い詰めることに、なるかもしれない。しかし、あの体制は、もう二十一世紀にまで続けてはならない。いにしえの高句麗（コグリョ）の土地に住まう二千万人の人間たちのために、ならない。私は、大慈悲の心をもって、あの体制を追い詰めるために、日韓同盟を進めるべきだと、主張したい。<br />
現在のところ、日韓の両国民は、外国人と付き合う道を知らない。危険なほどに、知らない。この両国の「内向き症候群」を治癒するために、実は最も近い文明を持っている両国民は、通貨を統合し、領土問題を解決して、将来の半島統一のために、政治同盟を結ぶのだ。<br />
通貨単位は、私は「両」が、よいと思う。<br />
「両」は中国から日韓が共通に受け取った、重量と貨幣の単位である。かつては、両国共に、「両」が貨幣単位であった。日本の「両（りょう）」は、徳川時代東日本の、金貨単位としてであった。韓国の「両（ヤン、数字の後ではニャン）」は、短期間であったものの、李朝において1892年から1902年までの間の、最高通貨単位であった。<br />
この新通貨のシンボルは、現行の円が使っている&#8221;￥&#8221;を流用したほうが、よいであろう。<br />
その方が、すでに国際通貨である円の表記を、世界中で修正せずに使うことができて、パソコンとインターネットに優しい。外国に対して、信が立つ。そうしてこのシンボルの英語表記を、&#8221;Yen&#8221;から&#8221;Yan&#8221;に代えるのだ。シンボルは、日本のものを使う。読み方は、韓国のものを使う。両成敗で、ちょうどよい。<br />
もちろん、統一通貨を自国では「エン」と呼んだり、「ウォン」と呼び続けたりしても、一向にかまわない。しかし、紙幣には日本語と韓国語を並べて、「一万両」「일만냥」を併記する。普段使う通貨から、親しみ合うのだ。そうやって、隣の島に行く感覚で外国に通うようにして、外国知らずの両国の精神を、鍛え直すのだ。<br />
こうして交流をEU諸国なみに深めれば、両国民はまず外国人と付き合う方法のイロハを、学ぶことができる。そしてその段階を乗り越えることができたならば、さらに異質の文明である中国やロシア、西洋諸国とも付き合える感覚が、一世代もすれば育てられるであろう。<br />
私は、帰国してから夕映舎氏に、一つの構想を述べた。<br />
「釜山から対馬、壱岐、博多にかけて、トンネルを掘るのだ。そうして、JRとKorailが合同開発した新・新幹線を、ソウルまで伸ばす。東京とソウルを、一本の電車で繋ぐのだ。ゆくゆくは、ピョンヤンまで伸ばす。」<br />
夕映舎氏は、付け加えた。<br />
「その先には、北京や。東京から、北京まで、新幹線。」<br />
私は、その説にうなずいた後に、言った。<br />
「しかし、どうせトンネルを掘るのならば、電車と車道だけでは、もったいない。自転車と、歩いて渡れる道まで、作るのだよ。韓国の人々は、歩くのが大好きだ。地下のトンネルに、10kmごとに休憩所を作って、歩いて九州旅行ができるように、設備を作る。その途上の対馬と壱岐には、歓待する施設を作るのだ。控え目で、なおかつ清潔なやつがよい。韓国人は、日本人と美意識が非常に似通っているから、日本流の美意識をもってリゾート地を作れば、彼らはきっと喜んでくれる。」<br />
夕映舎氏は、言った。<br />
「そやな。かつては、青函トンネルも、夢物語やった。それをやり遂げた日本の技術やから、やると決めたら、日韓トンネルを必ず作ることが、できるやろ。」<br />
そして、私は言った。<br />
「そうして、ゆくゆくは今の北朝鮮の清津（チョンジン）から始まって、日本の青森まで渡る、日韓自転車レースを、開催するのだ。それを中継すれば、いかに自分たちの文明圏が、雄大な山河を持っているかを、心で分かることができるだろう。日本も韓国も、小国ではない。しかし、分かれているから、両方共に、中途半端なのだ。両方が同盟すれば、これはもう大文明圏なのだ。」<br />
両国の間の海は、韓国詩で必ず「東海（トンへ）」と呼ばれている。<br />
だから、彼らにこの海を「日本海（イルボネ）」と呼べと、言ってはならない。<br />
しかし、我々は、この海を&#8221;East Sea&#8221;などと、呼ぶ必要は全くない。日本の、西にあるからだ。この海は、我らにとって&#8221;Sea of Japan&#8221;である。英名でどちらの呼称を使うかは、世界が決めればよい。<br />
チェさんは、私に「君は、政治を目指すだろう。」と、言ってくれた。<br />
残念ながら、今の私には、そこまでの勇気がない。<br />
しかし、彼は日本について、言った。<br />
「これから、十年だ。十年の間に、日本はrevolutionを起こさないと、ならない。もしそれがなければ、日本は沈没するよ。」<br />
バスは、巨済島を、進んで行った。<br />
というか、この時の私は話に夢中で、今自分がどこに連れられていくのか、分かっていなかった。<br />
「この出会いのことを、ブログに書いてもいいですか？」<br />
私の問いに、チェさんはOKを出してくれた。<br />
私は、さらに聞いた。<br />
「私は、この旅行のことを、あなたの国に対して99％の&#8221;love&#8221;をもって、書くつもりです。しかし、私は1%だけ、&#8221;critisism&#8221;を入れるでしょう。お嫌ならば、どうか読まないでください。」<br />
チェさんは、そういう私を、遮った。<br />
「いや。50％と、50％だ。この国の、良いと思ったところを、50％。悪いと思ったところを、50％。そうでなくては、ならない。」<br />
私は、彼に感謝した。<br />
チェさんはもっと同行するように、私に勧めてくれた。<br />
しかし、残念ながら、私は明日の朝、日本に戻らなければならない。<br />
「残念ながら、お別れだ。」<br />
バスが、止まった。<br />
私は、チェさんとその一行に、別れの挨拶をして、降りた。<br />
降りた場所のことは、知らなかった。</p>
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		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 13:05:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[今、図書館から『現代韓国文学選集』（冬樹社）を借りて、韓国の現代詩を読んでいる。
どういうわけか、訳者の名前が書いておらず、編集委員の連名があるだけである。末尾の作家ノートに、高名な金素雲（キム・ソウン、1907-81）氏が訳を行なったと書いているので、少なくとも編集委員の一人である金氏の訳は、選集に入っているはずだ。
「青馬紀念館」から、柳致環を導き出すのには、大変苦労した。
韓国でだけしか知られていない人物、と言っても、過言ではない。「青馬祈念館」を「청마 기념관」とハングルに直して、韓国語のホームページを用いて、検索するより他はない。四苦八苦しながら巨済市のホームページを開いては、エキサイトで翻訳する。そうして、ようやく「青馬祈念館」が巨済市屯徳面にあり、「유치환」という詩人の記念館であることを、知る。「유치환」を、韓国語Wikipediaで、検索する。項目が、あった。他国語では、英語と日本語の項目だけがあった。そうして日本語Wikipediaで、彼の全貌を知ることができた。英語版の説明は簡単すぎて、参考にならない。たぶん日本語の項目は、誰か研究者の方が、書かれたのであろう。
柳致環（ユ・チファン、1908‐67）。
日帝時代を生き、戦後にまで生き通した。詩人であった。教育者であった。
慶尚南道忠武市、太平洞の生まれ。忠武市とは、私が今さっきまでいた、統営市の旧名である。彼と巨済島との関係は、この稿の時点で私がいる、巨済島屯徳面が父親の柳煖秀の出身地であったことに、由来する。
彼の生家は、裕福であった。
それで、父親が、八人の兄弟のうち三人を日本の旧制中学校に留学させた。
柳家の次男である致環は、その一人であった。
東京の、豊山中学校で学んだ。現在とは違って旧制中学校であるので、現在の中学一年生から高校二年生までの期間に当たる、五年の課程である。さらに言えば、旧制中学校は義務教育でなく、その後の旧制高校、そして帝国大学へと進む進路を前提とした、特権的教育機関であった。
しかし彼は、日本の学校を中途の四年で帰国した。父親が事業に失敗して、学資が困難となったためであった。その後は、韓国の学校で学んだ。以降、ごく短期間日本に滞在したことはあったが、韓国や満州ハルビンなどでいろいろな事業に挑戦しながら、戦前を過ごした。
金素雲の援助を受けて、1939年に詩集『青馬詩抄』を出版した。金素雲は釜山出身で、渡日して活躍していた詩人であった。彼は日本文壇に自ら採取した半島の口伝民謡・童謡を紹介して発表、半島の文化を知らぬ日本人たちに衝撃を与えた、詩人にして研究者であった。
戦後はKorean Warに従軍し、随筆や詩を発表すると共に、多くの学校で校長となった。赴任した各学校では、生徒たちに非常に慕われたらしい。1967年、自動車事故により、死去。
私は、手元にある『現代韓国文学選集』に訳された七葉の彼の詩を、読んだ。
残念ながら、私はその訳詩に、感心しなかった。これはもう、私の心が言っているのだから、どうしようもない。
彼の作った多くの詩のうちたった七葉であるし、原語の響きはまた違ったものであるに違いないから、今は彼の作品を批評することは、私にはできない。
Googleで、検索してみる。
「柳致環」で、2060件。
「柳致環 詩集」で、734件。
つまり、日本では、知名度がほとんどゼロだということが、わかる。チェさんには申し訳ないが、私がこの詩人を知らなかったことは、日本人の常識の範囲内なのだ。
帰国して調べると、微妙な問題を、感じ取る。
彼は、「親日派（チニルパ）」の疑惑が、掛けられている。
「親日派」とは、現在の韓国で、最も憤慨を起こさせる対象の一つである。
日帝時代に日本に協力したとみなされる人物は、「親日派」である。
私が見た祈念館の内容と、日本で調べた限りのこの詩人の戦前での活動内容は、食い違っている。
だから、韓国で「親日派」の疑惑がかけられているのであり、あの祈念館の中でだけは、彼は反日の闘士とされていた。
私は、今の時点で、この問題についてここから先に踏み込むことが、できない。
彼らを突き放すのは、簡単だ。
だが、それは必ず、両国の将来のために、ならない。両国を現在の行き詰まりから突破させるのは、両国の政治と経済の同盟しか、ありえない。今の私は、そう信じている。それはできるはずのことだと、私はこの旅行で強く感じた。そして、それを為さなければ、将来あの北朝鮮の建て直しは、きっとできないだろう。現在の韓国の国力では、北朝鮮はあまりに重荷に過ぎる。
だから、重大な問題である。ブログごときで、「親日派」問題を簡単に批評したくない。
その代わり、『現代韓国文学選集』より、戦後韓国の現代詩人たちのうたを、引用しよう。

ここは日本列島九州
東支那海の波打ち寄せる
指宿海岸
黒い砂浜
湧き出る温泉。
訪ねる友はおらず
真っ暗がり
静まり返った宇宙、
ひりつく思いに
雲が流れる
・・・（中略）・・・
ぼくと
ぼく
人間、所詮は独り行く旅。
（趙炳華『指宿』より）
韓国の詩は、内情の吐露である。
日本人ならば、指宿温泉の情緒を称えて、人間と自然を一体化させたい欲望を放ち、うたにするだろう。
しかし、韓国詩は、人間の心の叫びを、よしとする。
もとより、私の読んでいるのは、訳である。
詩は原語から別の言語に翻訳されると、別の詩になる。
韓国語の原語で趙炳華の詩を読んだときには、必ず日本語訳とは別の響きが、あるはずだ。
だが、訳だけでも、彼らが自分という存在の叫びに最大の詩心を置いていることは、わかる。

おお、ここに列なして横たわる魂魄たちには
目をつぶる安らぎもなかったに違いない。
きのうまできみたちの命を狙い
引き金引いたそのぼくたちの手で
崩れ爛れた肉片と骨を拾い
ここにこうして　日向を選んで
墓も建て、芝もどうやら着せた。
まこと死は、憎しみよりも　愛よりも
いやさらに神秘なもの。
（具常『敵軍墓地』より）
日本の歴史は、1945年8月15日で、時計が止まった。
それ以降の日本の戦後には、歴史が存在しない。
ただ、GDPとインフレーションが線的に伸びて、それと共に風景がめまぐるしく移ろって行った、それだけのことだ。1990年代以降には、GDPとインフレすら、平らかになってしまった。
しかし、韓国では、歴史はいまだに、終わっていない。
1945年8月15日の光復は、歴史の終わりではなくて、新しい不条理と悲惨の始まりであった。
1950年6月25日、半島では不条理な戦争が始まり、人が死に、村が焼かれて、その犠牲の結末は、それから59年経ったにも関わらず、いまだに精算されていない。いまだに、民族分断という不条理が、続いている。世界では冷戦が一応終結したにも関わらず、よりによって彼らだけが、まだ。
彼ら韓国人の心象風景の痛みは、叫びによってしか、満たされない。現実が、水に流してくれないのだ。現在の不条理の源に日本の占領があった以上は、これだけを切り離して笑って忘れるわけには、彼らとしてはいかないのであろう。

八月の江（かわ）が手を打ち鳴らす。八月の江が身もだえする。
八月の江が憂い悩む
八月の江が沈潜する。
江はきのうの溜息を、泪を、血のしたたりを
そして　死をすらも記憶する。
（朴斗鎮『八月の江 &#8211; 8/15に寄せて -』より）
上の詩、おそらく原語は、「八月江（봘월강）」であろう。パルウォルガン。いや、むしろ、パウォッガーンと表記した方が、日本人によりよく伝わるのかも、しれない。韓国語の響きは、我らがアイウエオの柔らかな母音を愛するのとは違って、子音の硬質な響きを愛する。

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音（あしおと）空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳（かげ）りなきみ寺の春をすぎゆくなり
（三好達治『甃のうへ』より）

日本の詩は、流れて移ろう。上の三好達治の詩が、それを表している。それは、母音の響きがそうさせるのだ。一方、韓国詩は、留まり考える。私が読んだ訳詩からだけでも、それがわかる。

どこかで受信する秋の人は
仕事の手を休めて
いっときボンヤリと想いに耽る。
こおろぎの送信がハタと止めば
天（そら）はぜひなく
青瓷の深淵だ。
（申瞳集『送信』より）
彼らは、夏に憂い、秋に悩み、冬に苦しみ、そして春に逢っては、季節の美とこの世の不条理を対比させて、怒る。
それが、彼らの詩情なのだ。どんな季節においても意味もなく泣きたがる詩心の日本人と、不思議さとしてはそう変わりはしない。彼らの怒りには悪気がないのだから、怒りたければ怒るに任せれば、よいさ。こちらは、泣きたくてしようがないんだから、泣いていればよいんだ。

からたちは
棘の身ながら
からたちの実をつけ
私は
詩を病むゆえに
詩をつくる。
歳々　年々
年々　歳々
行けども　行けども
人は
そのままの人。
きょうも明日も
われは　われ
いつもの　そのままの　われ。
むかしも　いまも
時計は
時計の音、
めしは
めしの匂い。
（柳玲『枳殻は』より）
彼ら韓国人の詩心と、われら日本人の詩心は、異質である。
しかし、両者ともに、詩心があることだけは、確かである。
互いに違うことを分かっていれば、互いを尊重しあうことだって、きっとできるはずなのだ。
韓国の、石と。
日本の、花は。
ともに、美しい。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今、図書館から『現代韓国文学選集』（冬樹社）を借りて、韓国の現代詩を読んでいる。<br />
どういうわけか、訳者の名前が書いておらず、編集委員の連名があるだけである。末尾の作家ノートに、高名な<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%B4%A0%E9%9B%B2">金素雲</a>（キム・ソウン、1907-81）氏が訳を行なったと書いているので、少なくとも編集委員の一人である金氏の訳は、選集に入っているはずだ。<br />
「青馬紀念館」から、柳致環を導き出すのには、大変苦労した。<br />
韓国でだけしか知られていない人物、と言っても、過言ではない。「青馬祈念館」を「청마 기념관」とハングルに直して、韓国語のホームページを用いて、検索するより他はない。四苦八苦しながら巨済市のホームページを開いては、エキサイトで翻訳する。そうして、ようやく「青馬祈念館」が巨済市屯徳面にあり、「유치환」という詩人の記念館であることを、知る。「유치환」を、韓国語Wikipediaで、検索する。項目が、あった。他国語では、英語と日本語の項目だけがあった。そうして日本語Wikipediaで、彼の全貌を知ることができた。英語版の説明は簡単すぎて、参考にならない。たぶん日本語の項目は、誰か研究者の方が、書かれたのであろう。<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E8%87%B4%E7%92%B0">柳致環</a>（ユ・チファン、1908‐67）。<br />
日帝時代を生き、戦後にまで生き通した。詩人であった。教育者であった。<br />
慶尚南道忠武市、太平洞の生まれ。忠武市とは、私が今さっきまでいた、統営市の旧名である。彼と巨済島との関係は、この稿の時点で私がいる、巨済島屯徳面が父親の柳煖秀の出身地であったことに、由来する。<br />
彼の生家は、裕福であった。<br />
それで、父親が、八人の兄弟のうち三人を日本の旧制中学校に留学させた。<br />
柳家の次男である致環は、その一人であった。<br />
東京の、<a href="http://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/">豊山中学校</a>で学んだ。現在とは違って旧制中学校であるので、現在の中学一年生から高校二年生までの期間に当たる、五年の課程である。さらに言えば、旧制中学校は義務教育でなく、その後の旧制高校、そして帝国大学へと進む進路を前提とした、特権的教育機関であった。<br />
しかし彼は、日本の学校を中途の四年で帰国した。父親が事業に失敗して、学資が困難となったためであった。その後は、韓国の学校で学んだ。以降、ごく短期間日本に滞在したことはあったが、韓国や満州ハルビンなどでいろいろな事業に挑戦しながら、戦前を過ごした。<br />
金素雲の援助を受けて、1939年に詩集『青馬詩抄』を出版した。金素雲は釜山出身で、渡日して活躍していた詩人であった。彼は日本文壇に自ら採取した半島の口伝民謡・童謡を紹介して発表、半島の文化を知らぬ日本人たちに衝撃を与えた、詩人にして研究者であった。<br />
戦後はKorean Warに従軍し、随筆や詩を発表すると共に、多くの学校で校長となった。赴任した各学校では、生徒たちに非常に慕われたらしい。1967年、自動車事故により、死去。<br />
私は、手元にある『現代韓国文学選集』に訳された七葉の彼の詩を、読んだ。<br />
残念ながら、私はその訳詩に、感心しなかった。これはもう、私の心が言っているのだから、どうしようもない。<br />
彼の作った多くの詩のうちたった七葉であるし、原語の響きはまた違ったものであるに違いないから、今は彼の作品を批評することは、私にはできない。<br />
Googleで、検索してみる。<br />
「柳致環」で、2060件。<br />
「柳致環 詩集」で、734件。<br />
つまり、日本では、知名度がほとんどゼロだということが、わかる。チェさんには申し訳ないが、私がこの詩人を知らなかったことは、日本人の常識の範囲内なのだ。<br />
帰国して調べると、微妙な問題を、感じ取る。<br />
彼は、「親日派（チニルパ）」の疑惑が、掛けられている。<br />
「親日派」とは、現在の韓国で、最も憤慨を起こさせる対象の一つである。<br />
日帝時代に日本に協力したとみなされる人物は、「親日派」である。<br />
私が見た祈念館の内容と、日本で調べた限りのこの詩人の戦前での活動内容は、食い違っている。<br />
だから、韓国で「親日派」の疑惑がかけられているのであり、あの祈念館の中でだけは、彼は反日の闘士とされていた。<br />
私は、今の時点で、この問題についてここから先に踏み込むことが、できない。<br />
彼らを突き放すのは、簡単だ。<br />
だが、それは必ず、両国の将来のために、ならない。両国を現在の行き詰まりから突破させるのは、両国の政治と経済の同盟しか、ありえない。今の私は、そう信じている。それはできるはずのことだと、私はこの旅行で強く感じた。そして、それを為さなければ、将来あの北朝鮮の建て直しは、きっとできないだろう。現在の韓国の国力では、北朝鮮はあまりに重荷に過ぎる。<br />
だから、重大な問題である。ブログごときで、「親日派」問題を簡単に批評したくない。<br />
その代わり、『現代韓国文学選集』より、戦後韓国の現代詩人たちのうたを、引用しよう。</p>
<blockquote><p>
ここは日本列島九州<br />
東支那海の波打ち寄せる<br />
指宿海岸<br />
黒い砂浜<br />
湧き出る温泉。<br />
訪ねる友はおらず<br />
真っ暗がり<br />
静まり返った宇宙、<br />
ひりつく思いに<br />
雲が流れる<br />
・・・（中略）・・・<br />
ぼくと<br />
ぼく<br />
人間、所詮は独り行く旅。<br />
（趙炳華『指宿』より）</p></blockquote>
<p>韓国の詩は、内情の吐露である。<br />
日本人ならば、指宿温泉の情緒を称えて、人間と自然を一体化させたい欲望を放ち、うたにするだろう。<br />
しかし、韓国詩は、人間の心の叫びを、よしとする。<br />
もとより、私の読んでいるのは、訳である。<br />
詩は原語から別の言語に翻訳されると、別の詩になる。<br />
韓国語の原語で趙炳華の詩を読んだときには、必ず日本語訳とは別の響きが、あるはずだ。<br />
だが、訳だけでも、彼らが自分という存在の叫びに最大の詩心を置いていることは、わかる。</p>
<blockquote><p>
おお、ここに列なして横たわる魂魄たちには<br />
目をつぶる安らぎもなかったに違いない。<br />
きのうまできみたちの命を狙い<br />
引き金引いたそのぼくたちの手で<br />
崩れ爛れた肉片と骨を拾い<br />
ここにこうして　日向を選んで<br />
墓も建て、芝もどうやら着せた。<br />
まこと死は、憎しみよりも　愛よりも<br />
いやさらに神秘なもの。<br />
（具常『敵軍墓地』より）</p></blockquote>
<p>日本の歴史は、1945年8月15日で、時計が止まった。<br />
それ以降の日本の戦後には、歴史が存在しない。<br />
ただ、GDPとインフレーションが線的に伸びて、それと共に風景がめまぐるしく移ろって行った、それだけのことだ。1990年代以降には、GDPとインフレすら、平らかになってしまった。<br />
しかし、韓国では、歴史はいまだに、終わっていない。<br />
1945年8月15日の光復は、歴史の終わりではなくて、新しい不条理と悲惨の始まりであった。<br />
1950年6月25日、半島では不条理な戦争が始まり、人が死に、村が焼かれて、その犠牲の結末は、それから59年経ったにも関わらず、いまだに精算されていない。いまだに、民族分断という不条理が、続いている。世界では冷戦が一応終結したにも関わらず、よりによって彼らだけが、まだ。<br />
彼ら韓国人の心象風景の痛みは、叫びによってしか、満たされない。現実が、水に流してくれないのだ。現在の不条理の源に日本の占領があった以上は、これだけを切り離して笑って忘れるわけには、彼らとしてはいかないのであろう。</p>
<blockquote><p>
八月の江（かわ）が手を打ち鳴らす。八月の江が身もだえする。<br />
八月の江が憂い悩む<br />
八月の江が沈潜する。<br />
江はきのうの溜息を、泪を、血のしたたりを<br />
そして　死をすらも記憶する。<br />
（朴斗鎮『八月の江 &#8211; 8/15に寄せて -』より）</p></blockquote>
<p>上の詩、おそらく原語は、「八月江（봘월강）」であろう。パルウォルガン。いや、むしろ、パウォッガーンと表記した方が、日本人によりよく伝わるのかも、しれない。韓国語の響きは、我らがアイウエオの柔らかな母音を愛するのとは違って、子音の硬質な響きを愛する。</p>
<blockquote><p>
あはれ花びらながれ<br />
をみなごに花びらながれ<br />
をみなごしめやかに語らひあゆみ<br />
うららかの跫音（あしおと）空にながれ<br />
をりふしに瞳をあげて<br />
翳（かげ）りなきみ寺の春をすぎゆくなり<br />
（三好達治『甃のうへ』より）
</p></blockquote>
<p>日本の詩は、流れて移ろう。上の三好達治の詩が、それを表している。それは、母音の響きがそうさせるのだ。一方、韓国詩は、留まり考える。私が読んだ訳詩からだけでも、それがわかる。</p>
<blockquote><p>
どこかで受信する秋の人は<br />
仕事の手を休めて<br />
いっときボンヤリと想いに耽る。<br />
こおろぎの送信がハタと止めば<br />
天（そら）はぜひなく<br />
青瓷の深淵だ。<br />
（申瞳集『送信』より）</p></blockquote>
<p>彼らは、夏に憂い、秋に悩み、冬に苦しみ、そして春に逢っては、季節の美とこの世の不条理を対比させて、怒る。<br />
それが、彼らの詩情なのだ。どんな季節においても意味もなく泣きたがる詩心の日本人と、不思議さとしてはそう変わりはしない。彼らの怒りには悪気がないのだから、怒りたければ怒るに任せれば、よいさ。こちらは、泣きたくてしようがないんだから、泣いていればよいんだ。</p>
<blockquote><p>
からたちは<br />
棘の身ながら<br />
からたちの実をつけ<br />
私は<br />
詩を病むゆえに<br />
詩をつくる。<br />
歳々　年々<br />
年々　歳々<br />
行けども　行けども<br />
人は<br />
そのままの人。<br />
きょうも明日も<br />
われは　われ<br />
いつもの　そのままの　われ。<br />
むかしも　いまも<br />
時計は<br />
時計の音、<br />
めしは<br />
めしの匂い。<br />
（柳玲『枳殻は』より）</p></blockquote>
<p>彼ら韓国人の詩心と、われら日本人の詩心は、異質である。<br />
しかし、両者ともに、詩心があることだけは、確かである。<br />
互いに違うことを分かっていれば、互いを尊重しあうことだって、きっとできるはずなのだ。<br />
韓国の、石と。<br />
日本の、花は。<br />
ともに、美しい。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その九</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 11:32:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[
で、ここは、どこなんだ。
写真に写っている背景が、前の稿に出てきた、サドルね。
ここは、青馬紀念館（チョンマギニョングァン）、という。
青馬の号を名乗った詩人、柳致環（ユ・チファン、1908‐67）を、記念した施設だ。次の稿で詳しく述べるが、ここ巨済市屯徳面は、詩人の父の郷里であった。詩人そのものは、海峡を渡った隣の統営市に、生まれ育った。
これは、帰国してから調べて判明したことだ。この時は、唯一目に入った漢字（ハンジャ）の「青馬紀念館」という施設名を、とりあえず走り書きしておいただけであった。展示には日本語も英語もないし、ガイドブックにも英語の観光サイトにも、載っていない。
館内は、青馬が生まれた村の模型に、彼が恋人たちと交わした手紙、それから青馬の生家を復元した家屋が、作りこまれていた。
「彼は、植民地時代、抵抗の闘士だった。そして、多くの恋をした。この手紙は、みんな女性たちと、交したものだよ。」
チェさんは、漢字で書かれた封筒を示して、私に言った。
チェさんと今日バスでやって来た仲間たちは、文学愛好者たちであったのだ。韓国では、日本よりずっと詩が愛されている。
私は、「サーティー・シックス・イヤーズ。」と、口走った。
チェさんは、「イエス。」と答えた。
私は、彼らに深い憤りの元を与えた時代について、第一印象として、謝罪の心を持っている。それは、帰国した今でも、変わらない。
私は、チェさんに頭を下げて、謝罪した。
チェさんは、私に言った。
「国と、君とは違う。君は、仲間だ。」
チェさんは、私を青馬が生まれた村の模型に、連れて行った。
青馬の生家は、裕福な家であった。おかげで、青馬は他の二人の兄弟と共に、日本の旧制中学校に留学している。
模型の瓦屋根は、地主の家。周囲を、わらぶき屋根の家が、取り囲んでいる。この旅行で前に行った良洞民俗マウルと、そっくり同じ風景だ。
チェさんは、わらぶき屋根の群れを指して、言った。
「こういった家は、美しくない。」
民俗マウルで私が見たわらぶき屋根の群れは、住みにくそうだなとは思ったが、一種の枯れた美があるように、私には思えた。だが、彼らの目にとっては、ただのあばら家なのかもしれない。日本人にとってはじめて見る韓国のわらぶき屋根の農家であっても、彼らにとっては日常嫌というほど見せられているものだからであろう。

室内展示の外に、伝統的韓国家屋の復元模型が、あった。
写真は、牛に曳かせる犂（すき）。
「韓国人は、日本人と同じく、わび・さびが分かる。ウマミが、分かる。それが、同じところなんだ。」
チェさんは、私に言った。
私と、全く同意見だ。

洗濯石。
「石鹸なんか、なかったからね。この石で、ゴシゴシこするのさ。」

甕。
「日本のミソ、だよ。これに、入れて保存するのさ。」
「つまり、テンジャン。」
「そう。」
私は、残念ながらこのとき、この詩人のことを知らなかったので、チェさんの説明を聞くばかりであった。
ここに連れてもらったことは、私としてはよいことであったと、帰国した現在、思っている。人を、知ることができた。そして、柳致環を調べることを通じて、韓国の詩とは何かを知ろうと試みている、現在の私がある。
しかし―
圧倒的多数の日本人は、ここに連れられたとき、怒ると思う。
それは、現実だ。
柳致環は、日本でほとんど全くといってよいほどに、知られていない。もっと言えば、日本人は韓国文学を、皆目知らない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/040.jpg"><img alt="040.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/040-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
で、ここは、どこなんだ。<br />
写真に写っている背景が、前の稿に出てきた、サドルね。<br />
ここは、青馬紀念館（チョンマギニョングァン）、という。<br />
青馬の号を名乗った詩人、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E8%87%B4%E7%92%B0">柳致環</a>（ユ・チファン、1908‐67）を、記念した施設だ。次の稿で詳しく述べるが、ここ巨済市屯徳面は、詩人の父の郷里であった。詩人そのものは、海峡を渡った隣の統営市に、生まれ育った。<br />
これは、帰国してから調べて判明したことだ。この時は、唯一目に入った漢字（ハンジャ）の「青馬紀念館」という施設名を、とりあえず走り書きしておいただけであった。展示には日本語も英語もないし、ガイドブックにも英語の観光サイトにも、載っていない。<br />
館内は、青馬が生まれた村の模型に、彼が恋人たちと交わした手紙、それから青馬の生家を復元した家屋が、作りこまれていた。<br />
「彼は、植民地時代、抵抗の闘士だった。そして、多くの恋をした。この手紙は、みんな女性たちと、交したものだよ。」<br />
チェさんは、漢字で書かれた封筒を示して、私に言った。<br />
チェさんと今日バスでやって来た仲間たちは、文学愛好者たちであったのだ。韓国では、日本よりずっと詩が愛されている。<br />
私は、「サーティー・シックス・イヤーズ。」と、口走った。<br />
チェさんは、「イエス。」と答えた。<br />
私は、彼らに深い憤りの元を与えた時代について、第一印象として、謝罪の心を持っている。それは、帰国した今でも、変わらない。<br />
私は、チェさんに頭を下げて、謝罪した。<br />
チェさんは、私に言った。<br />
「国と、君とは違う。君は、仲間だ。」<br />
チェさんは、私を青馬が生まれた村の模型に、連れて行った。<br />
青馬の生家は、裕福な家であった。おかげで、青馬は他の二人の兄弟と共に、日本の旧制中学校に留学している。<br />
模型の瓦屋根は、地主の家。周囲を、わらぶき屋根の家が、取り囲んでいる。この旅行で前に行った良洞民俗マウルと、そっくり同じ風景だ。<br />
チェさんは、わらぶき屋根の群れを指して、言った。<br />
「こういった家は、美しくない。」<br />
民俗マウルで私が見たわらぶき屋根の群れは、住みにくそうだなとは思ったが、一種の枯れた美があるように、私には思えた。だが、彼らの目にとっては、ただのあばら家なのかもしれない。日本人にとってはじめて見る韓国のわらぶき屋根の農家であっても、彼らにとっては日常嫌というほど見せられているものだからであろう。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/041.jpg"><img alt="041.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/041-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
室内展示の外に、伝統的韓国家屋の復元模型が、あった。<br />
写真は、牛に曳かせる犂（すき）。<br />
「韓国人は、日本人と同じく、わび・さびが分かる。ウマミが、分かる。それが、同じところなんだ。」<br />
チェさんは、私に言った。<br />
私と、全く同意見だ。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/042.jpg"><img alt="042.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/042-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
洗濯石。<br />
「石鹸なんか、なかったからね。この石で、ゴシゴシこするのさ。」<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/043.jpg"><img alt="043.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/043-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
甕。<br />
「日本のミソ、だよ。これに、入れて保存するのさ。」<br />
「つまり、テンジャン。」<br />
「そう。」<br />
私は、残念ながらこのとき、この詩人のことを知らなかったので、チェさんの説明を聞くばかりであった。<br />
ここに連れてもらったことは、私としてはよいことであったと、帰国した現在、思っている。人を、知ることができた。そして、柳致環を調べることを通じて、韓国の詩とは何かを知ろうと試みている、現在の私がある。<br />
しかし―<br />
圧倒的多数の日本人は、ここに連れられたとき、怒ると思う。<br />
それは、現実だ。<br />
柳致環は、日本でほとんど全くといってよいほどに、知られていない。もっと言えば、日本人は韓国文学を、皆目知らない。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その八</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 00:42:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[
バスが、着いた。
アッハハハハハ。
巨済島（コジェド）に、来ちった。
もともと、行こうと思っていたところだ。こりゃ、いいや。
李舜臣将軍とは、今回縁がなかったと思って、あきらめよう。
酒が入って、いちじるしく判断力が鈍っている、この時の私であった。
低い山並み。風が強い。海は、見えない。巨済島は、非常に大きな島だ。
釜山でも慶州でも見かけた、白黒の鳥が山に向けて飛んでいった。
チェさんが、鳥の名前を教えてくれた。
－カチ。
かささぎ。別名、カチガラス。韓国の、国鳥であった。
「あの山、馬のサドルのようだな。」
二つのきれいな双対を為した低い山の間が、峠となっていた。植生は、韓国の山にしては、豊かであった。
「馬を走らせるとき、韓国語では『イリャ（이랴）！』というんだ。日本語では、何だい？』
私は、ちょっと迷ってから、
「『ハイヨー！』ですな。」
と、答えた。
「はは、ハイヨー！ハイヨー！イリャ！イリャ！」
チェさんは、馬に鞭を食らわすポーズをする。愉快な人だ。
「しかし、、、あのサドルの、豊饒さ。」
チェさんは、話題をずらして、山の峠の部分を指差した。
「両側が、足で。そしてあそこには、あれがある。分かるか、、、こっちに、こっちに。」
彼は、私に耳を近づけて、囁いた。
「――――！」
このブログは、成人指定でないので、書きません。
だいたい、わかるだろ。
「アッハハハハ！」
私は、チェさんの背中を、ばんばんと叩いた。
チェさんは、私に囁き続けた。
「女はな、secretでない。何も、secretでない。君も、トライするんだ。女は、待っているのさ。君に、今日の言葉を授けよう―」
彼は、私に囁いた。
「ウェット。」
私は、酒が残っていて、笑いながら聞いていた。
「女は、雨が好きだ。なぜか？濡れるのを、待っているのさ。君も、トライするんだ、、、ウェットだ。」
チェさんは、私をはげまして（？）くれた。
晴れ男の、私だ。
正直言って、自信がない。
だが、そのお言葉、今日は愉快に、受け取ります。
そう言えば、チェさんの姓をどう書くのか、聞いていなかった。
聞けば、
「こうだ。」
と、書いてくれた。
私は、首をかしげた。
「はじめて、見る字です。」
「やまかんむり」の下に、左に「にんべん」を置いて、右に「主」の字にもう一本横線を加える。
「崔」の字であるようで、あるようでない。
韓国の姓に、このような字があるのだろうか。
「韓国の五大姓は、キム、イ（リ）、パク、チェ、チョンだ。書けるか？」
私は、金、李、朴、崔までは、すぐに書けた。
だが、チョンがわからなかった。
しばらく考えた後で、「鄭」の字を、思い出した。
「そうだ！」
チェさんが、破顔した。
後で調べてみたのであるが、やはりチェさんが書いてくれた字は、韓国の姓にない。韓国人の姓は、中国人以上に少ない。
もしかしたら、異体字なのであろうか。
「君の俳句を、くれないか。君が、作ったやつだ。」
チェさんは、私にペンを渡す。
私は、これまで歌を、作ったことがない。
だが、試してみた。
午後遅くの風が、ようやく冷たかった。
冬の日に
巨済（コジェ）を風切る
二人連れ
最初、巨済を日本の地名の「巨勢」と、間違って書いてしまった。七の句に固い響きを連ねて、今日のこの島での出会った空気を表そうとした。ま、駄作だね。
チェさんは、私の発音に応じて、ひらがなにハングルを打った。
「ありがとう。大事にするよ。」
チェさんは、私の書いたノートの一枚を、大事に折りたたんでカバンに入れた。
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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/039.jpg"><img alt="039.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/039-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
バスが、着いた。<br />
アッハハハハハ。<br />
巨済島（コジェド）に、来ちった。<br />
もともと、行こうと思っていたところだ。こりゃ、いいや。<br />
李舜臣将軍とは、今回縁がなかったと思って、あきらめよう。<br />
酒が入って、いちじるしく判断力が鈍っている、この時の私であった。<br />
低い山並み。風が強い。海は、見えない。巨済島は、非常に大きな島だ。<br />
釜山でも慶州でも見かけた、白黒の鳥が山に向けて飛んでいった。<br />
チェさんが、鳥の名前を教えてくれた。<br />
－カチ。<br />
かささぎ。別名、カチガラス。韓国の、国鳥であった。<br />
「あの山、馬のサドルのようだな。」<br />
二つのきれいな双対を為した低い山の間が、峠となっていた。植生は、韓国の山にしては、豊かであった。<br />
「馬を走らせるとき、韓国語では『イリャ（이랴）！』というんだ。日本語では、何だい？』<br />
私は、ちょっと迷ってから、<br />
「『ハイヨー！』ですな。」<br />
と、答えた。<br />
「はは、ハイヨー！ハイヨー！イリャ！イリャ！」<br />
チェさんは、馬に鞭を食らわすポーズをする。愉快な人だ。<br />
「しかし、、、あのサドルの、豊饒さ。」<br />
チェさんは、話題をずらして、山の峠の部分を指差した。<br />
「両側が、足で。そしてあそこには、あれがある。分かるか、、、こっちに、こっちに。」<br />
彼は、私に耳を近づけて、囁いた。<br />
「――――！」<br />
このブログは、成人指定でないので、書きません。<br />
だいたい、わかるだろ。<br />
「アッハハハハ！」<br />
私は、チェさんの背中を、ばんばんと叩いた。<br />
チェさんは、私に囁き続けた。<br />
「女はな、secretでない。何も、secretでない。君も、トライするんだ。女は、待っているのさ。君に、今日の言葉を授けよう―」<br />
彼は、私に囁いた。<br />
「ウェット。」<br />
私は、酒が残っていて、笑いながら聞いていた。<br />
「女は、雨が好きだ。なぜか？濡れるのを、待っているのさ。君も、トライするんだ、、、ウェットだ。」<br />
チェさんは、私をはげまして（？）くれた。<br />
晴れ男の、私だ。<br />
正直言って、自信がない。<br />
だが、そのお言葉、今日は愉快に、受け取ります。<br />
そう言えば、チェさんの姓をどう書くのか、聞いていなかった。<br />
聞けば、<br />
「こうだ。」<br />
と、書いてくれた。<br />
私は、首をかしげた。<br />
「はじめて、見る字です。」<br />
「やまかんむり」の下に、左に「にんべん」を置いて、右に「主」の字にもう一本横線を加える。<br />
「崔」の字であるようで、あるようでない。<br />
韓国の姓に、このような字があるのだろうか。<br />
「韓国の五大姓は、キム、イ（リ）、パク、チェ、チョンだ。書けるか？」<br />
私は、金、李、朴、崔までは、すぐに書けた。<br />
だが、チョンがわからなかった。<br />
しばらく考えた後で、「鄭」の字を、思い出した。<br />
「そうだ！」<br />
チェさんが、破顔した。<br />
後で調べてみたのであるが、やはりチェさんが書いてくれた字は、韓国の姓にない。韓国人の姓は、中国人以上に少ない。<br />
もしかしたら、異体字なのであろうか。<br />
「君の俳句を、くれないか。君が、作ったやつだ。」<br />
チェさんは、私にペンを渡す。<br />
私は、これまで歌を、作ったことがない。<br />
だが、試してみた。<br />
午後遅くの風が、ようやく冷たかった。</p>
<blockquote><p>冬の日に<br />
巨済（コジェ）を風切る<br />
二人連れ</p></blockquote>
<p>最初、巨済を日本の地名の「巨勢」と、間違って書いてしまった。七の句に固い響きを連ねて、今日のこの島での出会った空気を表そうとした。ま、駄作だね。<br />
チェさんは、私の発音に応じて、ひらがなにハングルを打った。<br />
「ありがとう。大事にするよ。」<br />
チェさんは、私の書いたノートの一枚を、大事に折りたたんでカバンに入れた。</p>
]]></content:encoded>
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