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	<title>韓国・中国・台湾・日本を調べ、旅行し、味わうサイト。それが、アジアのとうふです。 &#187; アジア旅行記</title>
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		<title>【アジアの名店】韓国料理「大邱」（京都市南区九条）</title>
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		<pubDate>Thu, 23 Jul 2009 01:41:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[アジアの名店]]></category>
		<category><![CDATA[アジア旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[mixiのワンコイン韓国語講座に私は参加しておりまして、毎週日曜日の夕方に、京都駅ビル九階の京都国際交流センターで、講師のあおぞらさんと、閔（ミン）さんとに、みっちり韓国語を仕込まれています。なのに私は、なかなか上達できません。不勉強な、奴。
それはともかく、その講座の後に、しばしば近くの韓国料理店に行って、オフ会を楽しんだりしています。
京都駅から東南に歩いていくと、九条コリアンタウンがあります。
大阪鶴橋ほどに目立つ街構えではありませんが、街を歩くと、確かに韓国料理の店とか、キムチを売っている店とかが、ちらほらと見えます。
今回ご紹介するのは、そんな韓国料理店のひとつ、「大邱」（テグ）。
京都駅からずいぶんと離れたところにあって、少々交通の便が悪い。
しかし、そんな労苦は何するものぞ、と言わせるほどの、本格的な韓国料理店です。
店を経営しているイモ（이모、おばさん）は、慶尚道大邱の出身。店の名前の、由来です。












いっぱいの種類のパンチャン（付き出しのおかず）、定番のサムギョプサル、ごはんといっしょに食べると美味いスンドゥブ（おぼろ豆腐鍋）など、全てが本式の韓国流です。店に流れるテレビもまた、韓国の放送。サムギョプサルといっしょに食べるプルコチュ（青とうがらし）の辛さもまた、真正の韓国の辛さです。



/td>

なかでも一オシは、ヘムルパジョン。
つまり、海鮮ネギチジミです。
これを、ヤンニョムで頂いたときには、感激もの。
値段もリーズナブルな範囲で、韓流パーティーにはもってこいの店ですよ、ヨロブン！
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>mixiのワンコイン韓国語講座に私は参加しておりまして、毎週日曜日の夕方に、京都駅ビル九階の京都国際交流センターで、講師のあおぞらさんと、閔（ミン）さんとに、みっちり韓国語を仕込まれています。なのに私は、なかなか上達できません。不勉強な、奴。</p>
<p>それはともかく、その講座の後に、しばしば近くの韓国料理店に行って、オフ会を楽しんだりしています。</p>
<p>京都駅から東南に歩いていくと、九条コリアンタウンがあります。<br />
大阪鶴橋ほどに目立つ街構えではありませんが、街を歩くと、確かに韓国料理の店とか、キムチを売っている店とかが、ちらほらと見えます。</p>
<p>今回ご紹介するのは、そんな韓国料理店のひとつ、「大邱」（テグ）。</p>
<p>京都駅からずいぶんと離れたところにあって、少々交通の便が悪い。</p>
<p>しかし、そんな労苦は何するものぞ、と言わせるほどの、本格的な韓国料理店です。</p>
<p>店を経営しているイモ（이모、おばさん）は、慶尚道大邱の出身。店の名前の、由来です。</p>
<table width="230" height="180" border="1">
<tr>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_968" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P6280005-200x150.jpg" alt="豊富なパンチャン。" title="豊富なパンチャン。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-968" /><p class="wp-caption-text">豊富なパンチャン。</p></div>
</td>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_970" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P6280006-200x150.jpg" alt="サムギョプサル。" title="サムギョプサル。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-970" /><p class="wp-caption-text">サムギョプサル。</p></div>
</td>
</tr>
<tr>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_973" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P5240010-200x150.jpg" alt="スンドゥブ。" title="スンドゥブ。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-973" /><p class="wp-caption-text">スンドゥブ。</p></div>
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<p><TD valign="middle" align="center"><div id="attachment_987" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P5240005-200x150.jpg" alt="韓国料理店「大邱」。" title="韓国料理店「大邱」。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-987" /><p class="wp-caption-text">韓国料理店「大邱」。</p></div></td>
</tr>
</table>
<p>いっぱいの種類のパンチャン（付き出しのおかず）、定番のサムギョプサル、ごはんといっしょに食べると美味いスンドゥブ（おぼろ豆腐鍋）など、全てが本式の韓国流です。店に流れるテレビもまた、韓国の放送。サムギョプサルといっしょに食べるプルコチュ（青とうがらし）の辛さもまた、真正の韓国の辛さです。</p>
<table width="230" height="180" border="1">
<tr>
<td valign="middle" align="center">
<div id="attachment_956" class="wp-caption alignnone" style="width: 210px"><img src="http://asian-curd.asia/wp-content/uploads/2009/07/P5240009-200x150.jpg" alt="ヘムルパジョン。" title="ヘムルパジョン。" width="200" height="150" class="size-thumbnail wp-image-956" /><p class="wp-caption-text">ヘムルパジョン。</p></div></td>
</tr>
</table>
<p>なかでも一オシは、ヘムルパジョン。<br />
つまり、海鮮ネギチジミです。<br />
これを、ヤンニョムで頂いたときには、感激もの。<br />
値段もリーズナブルな範囲で、韓流パーティーにはもってこいの店ですよ、ヨロブン！</p>
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=34.975131187200525,135.7619297504425&amp;ie=UTF8&amp;ll=34.975131187200525,135.7619297504425&amp;t=h&amp;z=16&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="34.975131,135.76193"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=34.975131187200525,135.7619297504425,red&amp;zoom=16&amp;size=500x300&amp;key=ABQIAAAAmX_VoidkT4QogTaM-a42xxRcOCAyTUHnSpxlmrhEPf8ZiZ62QRTGZRXdvSwj0UyAGUzMZ_mxagbr4g&amp;hl=ja" alt="34.975131,135.76193" title="34.975131,135.76193" /></a>
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		<title>多文化交流会　at Tsuruhashi</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 10:32:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[アジア旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[日本の中のアジア]]></category>
		<category><![CDATA[東北アジア研究]]></category>

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		<description><![CDATA[6月20日、鶴橋本通にある韓国伝統茶店「ハナ」で、多文化交流会がありました。
「ハナ」とは、韓国語で「ひとつ」という意味です。
私は、先週あった「ワンコリアフェスティヴァル」の集会の席でもらったチラシをつてに、JR鶴橋駅から歩いていきました。

この日は、夏至の前日。
厨房以外の明かりを消し、冷房も消して、再利用の廃キャンドルを点しての交流会。
かつての時代の夜を再現した、エコナイトでした。
主催した手塚さんと山中さんの、アイディアです。






「ハナ」は、普段は韓国伝統茶のお店です。
壁には、著名なイラストレーター、黒田征太郎氏の絵が、いっぱいに描かれています。

キャンドルライトの下、集まった皆さんと、楽しく会話しました。
喫茶店ですが、今夜はマッコリをメニューに出していただきました。これがなくっちゃ。
アンジュ（つまみ）として、駅前でチヂミとチョッパル（豚足）を買ってきました。
持ち込みOKのパーティーでしたので。
マッコリといえばチヂミかな～と、思ったので。
聞けば、チヂミの焼ける音は、雨の音だとか。
その音を聞きながら、雨の日にチヂミをアンジュに、マッコリを楽しむ。それが、韓国の風流というものなのかな？
－この日は梅雨の最中で蒸し暑かったものの、雨は降りませんでしたけれど。






手塚さんは、韓国語の講師もやっています。
韓国に留学までして、韓国語をマスターした、すごい人です。
山中さんは、オーストラリア留学中に韓国人と知り合ったことを通じて、隣国に興味を持たれたと聞きました。
今夜集まった人々は、いろいろなきっかけで、多文化交流の集いに集まったみなさんでした。
私が隣国に興味を持ったきっかけは、今年2月に行った、韓国旅行からでした。
私は、自分が感動した三つの点を、皆さんに説明しようとしました。

하나 &#8211; 한국의 길이 아주 아름다웠어요.
ひとつ－韓国の道は、きれいだったです。
둘 &#8211; 음식이 다 싸고, 그리고 맛있었어요.
ふたつ－料理がみな安くて、そして美味かったです。
셋 &#8211; 사람의 인정에 감동했어요.
みっつ－ひとびとの人情に、感動しました。
実際には、こんなにすらすら言っていません。
私の韓国語は、まだまだです。
私は、「道がゴミもなくてきれいだった」と言おうとして、
아름다웠어요. アルムダウォッソヨ。
の言葉を使ったら、手塚さんから、「その場合はむしろ、『ケックタダ』（清い、清潔だ）のほうがいいですね。」と教えられた。
私が「ケックタダ」のハングルを書けないでいると、彼女はすらすらと「깨끗하다」とカードに書いてくれた。
「『アルムダプタ』は、『わあ、素敵できれい！』といった感じの、言葉です。」
「あと、『コップタ（곱다）』っていう言葉もありますよね。その違いは？」
「たとえば、年配の方が綺麗なチマチョゴリを着ていたりしたとき、『コップタ』ですね。」
日本語ならば「清楚だ」って、感じだろうか。
さすが、上手に指摘なさる。
韓国語で「趣（おもむき）」は、モッ（멋）といいます。
멋이 있어요.　モシ　イッソヨ。
と言えば、「趣があります」＝「すばらしい」と言う意味になります。
今晩は、まことに、モシ　イッソッソヨ。（すばらしかったです）








]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>6月20日、鶴橋本通にある韓国伝統茶店「ハナ」で、多文化交流会がありました。<br />
「ハナ」とは、韓国語で「ひとつ」という意味です。<br />
私は、先週あった「ワンコリアフェスティヴァル」の集会の席でもらったチラシをつてに、JR鶴橋駅から歩いていきました。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200016.JPG"><img alt="P6200016.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200016-thumb.JPG" width="250" height="187" /></a><br />
この日は、夏至の前日。<br />
厨房以外の明かりを消し、冷房も消して、再利用の廃キャンドルを点しての交流会。<br />
かつての時代の夜を再現した、エコナイトでした。<br />
主催した手塚さんと山中さんの、アイディアです。</p>
<table>
<tr>
<td width="230"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200004.JPG"><img alt="P6200004.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200004-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200009.JPG"><img alt="P6200009.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200009-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
</tr>
</table>
<p>「ハナ」は、普段は韓国伝統茶のお店です。<br />
壁には、著名なイラストレーター、黒田征太郎氏の絵が、いっぱいに描かれています。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200020.JPG"><img alt="P6200020.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200020-thumb.JPG" width="250" height="187" /></a><br />
キャンドルライトの下、集まった皆さんと、楽しく会話しました。<br />
喫茶店ですが、今夜はマッコリをメニューに出していただきました。これがなくっちゃ。<br />
アンジュ（つまみ）として、駅前でチヂミとチョッパル（豚足）を買ってきました。<br />
持ち込みOKのパーティーでしたので。<br />
マッコリといえばチヂミかな～と、思ったので。<br />
聞けば、チヂミの焼ける音は、雨の音だとか。<br />
その音を聞きながら、雨の日にチヂミをアンジュに、マッコリを楽しむ。それが、韓国の風流というものなのかな？<br />
－この日は梅雨の最中で蒸し暑かったものの、雨は降りませんでしたけれど。</p>
<table>
<tr>
<td width="230"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200008.JPG"><img alt="P6200008.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200008-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
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</tr>
</table>
<p>手塚さんは、韓国語の講師もやっています。<br />
韓国に留学までして、韓国語をマスターした、すごい人です。<br />
山中さんは、オーストラリア留学中に韓国人と知り合ったことを通じて、隣国に興味を持たれたと聞きました。<br />
今夜集まった人々は、いろいろなきっかけで、多文化交流の集いに集まったみなさんでした。<br />
私が隣国に興味を持ったきっかけは、今年2月に行った、韓国旅行からでした。<br />
私は、自分が感動した三つの点を、皆さんに説明しようとしました。</p>
<blockquote><p>
하나 &#8211; 한국의 길이 아주 아름다웠어요.<br />
ひとつ－韓国の道は、きれいだったです。<br />
둘 &#8211; 음식이 다 싸고, 그리고 맛있었어요.<br />
ふたつ－料理がみな安くて、そして美味かったです。<br />
셋 &#8211; 사람의 인정에 감동했어요.<br />
みっつ－ひとびとの人情に、感動しました。</p></blockquote>
<p>実際には、こんなにすらすら言っていません。<br />
私の韓国語は、まだまだです。<br />
私は、「道がゴミもなくてきれいだった」と言おうとして、<br />
아름다웠어요. アルムダウォッソヨ。<br />
の言葉を使ったら、手塚さんから、「その場合はむしろ、『ケックタダ』（清い、清潔だ）のほうがいいですね。」と教えられた。<br />
私が「ケックタダ」のハングルを書けないでいると、彼女はすらすらと「깨끗하다」とカードに書いてくれた。<br />
「『アルムダプタ』は、『わあ、素敵できれい！』といった感じの、言葉です。」<br />
「あと、『コップタ（곱다）』っていう言葉もありますよね。その違いは？」<br />
「たとえば、年配の方が綺麗なチマチョゴリを着ていたりしたとき、『コップタ』ですね。」<br />
日本語ならば「清楚だ」って、感じだろうか。<br />
さすが、上手に指摘なさる。<br />
韓国語で「趣（おもむき）」は、モッ（멋）といいます。<br />
멋이 있어요.　モシ　イッソヨ。<br />
と言えば、「趣があります」＝「すばらしい」と言う意味になります。<br />
今晩は、まことに、モシ　イッソッソヨ。（すばらしかったです）</p>
<table>
<tr>
<td width="230"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200026.JPG"><img alt="P6200026.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6200026-thumb.JPG" width="150" height="112" /></a>
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		<title>大阪・生野・コリアンタウン</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Jun 2009 11:50:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[アジア旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[日本の中のアジア]]></category>
		<category><![CDATA[東北アジア研究]]></category>

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		<description><![CDATA[
大阪環状線から３００メートルほど東側に沿って、バス通りがある。
正式名称は市道上新庄生野線であるが、地元民には「疎開道路」と、呼ばれている。


この道の由来は、戦時中のことにさかのぼる。
当時、この近辺は工場の密集地であった。
現在ビル街のOBPとなっている土地には、かつて陸軍の大阪砲兵工廠があった。
周辺雇用まで含めれば二十万人にもなったと言われる、巨大な軍需工場であった。
大阪は、軍需を支える工業都市として、連合軍の爆撃対象となることは、必至であった。
政府は、生野区の土地の一筋を南北に縦割りして、そこに住んでいた住民を強制的に「疎開」させた。
空襲の火災が延焼することを防ぐために、がらりと空き地を、こしらえたのであった。
それでも、空襲による被害は、防ぐことはできなかった。
戦後、強制的に作られた空き地は、道路となった。
「疎開道路」の、始まりである。
大阪にKorean Peopleが現在もたくさん住んでいる理由は、戦前の大阪の工業の発達と、切り離すことができない。
その「疎開通り」から入って、御幸森神社に始まって平野川で終わる、商店街。

大阪市生野区、町名でいえば桃谷三丁目から五丁目。
正式名称、御幸通商店街。
これが通称、コリアンタウン。











店先には、韓国語が並ぶ。
韓国の食材が、売られている。
おなじみのキムチ、チジミ。
店頭売りの、ホルモン。
ナムルの材料の、大豆もやしにゼンマイ。
肉を食べるときに欠かせない野菜の、サンチュにゴマの葉。
塊でざっくりと置かれた、豚の肉。

チマチョゴリを売る、服屋。
最近の現象として、韓流スターのグッズを売る、音楽店。
いかにも韓国の風情にあふれているが、決して韓国ではない。
韓国に行けば、店先にはハングルしかない。漢字も、ひらがなも、決して見ることができない。
この街には、漢字もひらがなも、混在している。
だから、ここは日本のコリアンタウンであることが、わかる。
この地域にKorean Peopleがやって来たのは、経済が原因だ。
６月１４日、ワンコリアフェスティヴァルの催しを、当初からかれこれ２５年間続けて来ておられるチョン会長じきじきの説明で、コリアンタウンのミニツアーに参加した。昼間コリアンタウン内にある韓国料理店で、フェスティヴァルスタッフの集会をこなした後での、有志によるミニツアーだ。

コリアンタウンの東端、平野川にかかる御幸橋から、ミニツアーは始められた。
「平野川はしょっちゅう、氾濫した。それで、浚渫（しゅんせつ）工事を行うために人足が、集められました。そこに集まって来たのが、この土地にKoreanがやってきた、始まりでした。」
背後の歴史は、今あえて、ぼやかしておく。
「しかし、本当に数が増えたのは、工場に働く労働者としてでした。」
ワンコリアの大事業を大阪から進めておられる、チョン会長は、続けた。
「昔、大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれて、東洋最大の工業都市でした。そうして、低賃金で働かされるKoreanが、いっぱいこの辺の零細工場の仕事場に、吸い寄せられた。1920年代、30年代にこうして労働者として大阪にやって来た人々の中には、家庭を持ち、子供を持つ者もあった。戦時中、強制連行によって連れて来られた人々は、戦争が終結すると、たいていは帰って行った。それは、家庭が向こうにあったからです。でも、もうここに家庭を持ってしまった人々は、帰るに帰れない。そうして、日本に残ったんです。」

もう今では工場も少なくなってしまったが、昭和の時代にはじつにこの辺りは、町工場が密集していた。
「70年代ごろには、この川はものすごく汚れていました。とにかく臭くて、、、これではいかんと、府と市が川をさらえて、ようやくこうして近づけるようになりました。」
現在、アジアの工業地帯は中国に移り、中国では工業排水が環境の悪化を深刻なものにさせている。
かつての日本が、現在の中国の姿であった。
どうして大阪にKoreanが住むようになったのかのいきさつは、昔の経済の姿に遡らなければ、わからない。1930年当時大阪は人口245万人で東京を上回る日本最大都市であったが、そのうち内地以外の出身者は八万三千人、総人口の3.4％で、神戸や横浜よりも高い比率であった（文京沫『済州島四・三事件』所収の資料より）。その大多数が、当時絶頂を極めていた大阪の町工場の雇用に引き寄せられた在日朝鮮人であったのだ。
私の隣にいた、ワンコリア委員会でウェブサイト運営を担当している若者に、私は言った。
「まだ、泳ぐまではだめだな。魚も鳥も、戻っていないし。」
に聞いた。
彼は、真剣な顔をして、私に聞いた。
「鳥が、戻りますかね？」
私は、不真面目にもビールの入った頭で、答えた。
「戻るさ。どぶ川だって、ここまできれいになった。人が努力すれば、鳥だって戻る。緑だって、川のそばにまた、繁るようになるさ。でもそうするためには、人の努力が必要だ。」
ビールの入った頭での言葉だったが、私は本当にそう信じている。
会長の話に、戻る。
「もともと御幸通商店街は、日本人の商店街だった。Koreanは、商店街の一つ後ろの裏路地に、板を置いて商売をしていた。日本人とKoreanでは売る物も違うから、分かれていた。それが、戦争によって焼け野原となり、表通りの商店街の店主が逃げて、帰ってこなかった。かつて裏路地で商売をしていたKoreanは、表通りの店を借り、買って、表に出た。そうして、今の御幸通商店街は、Korean6割、日本人4割となっています。」
戦前に日本にやって来た半島の人々の出身地は、圧倒的多数が慶尚道か、あるいは現在の済州道であった。
このニ道には、最も重要な日本への定期航路が、開かれていた。
一つは、釜山から下関への、関釜連絡線。
金達寿（キム・タルス）の小説『玄界灘』で、「釜山港！関釜連絡線！そこは朝鮮人にとってどんなところであり、どんなものであっただろうか」と書かれた、連絡航路であった。ここを通って、数多くの半島人が、日本に渡ってきた。
そしてもう一つが、済島道から大阪への連絡線、「君が代丸」であった。
大正十二年（1923）、尼崎汽船会社により、「君が代丸」が大阪・済州島間に就航する。その後、他社も航路に新規参入して、1933年のピーク時には「年に三万人近い済州島人を大阪へと運んだ」（文京沫『済州島四・三事件』pp36より）。
こういった海のルートを通って、戦前には主に半島南部の人々が、日本にやって来た。
とりわけ、大阪には「君が代丸」ほかの定期航路を通じて、多数の済州島出身の人々が、仕事を求めてやって来た。
御幸通商店街を歩くと、済州島名物のトルハルバンが、店の看板として飾られているのを、見かけた。
トルハルバンとは、済州島の方言で、「石じいさん」という意味。
由来も分からない頃から島にあった、遺跡であった。
石で作られた島の守り神のようなものだ。済州島の主邑である済州邑（チェジュウプ）の四隅に、配置されていた。
それが、今は済州島のシンボルとして、海外にまでその存在が知れ渡っている。コリアンタウンにも、説明書きが添えられて、商店街の守り神として鎮座ましましていた。
（下の写真は、コリアンタウンの隣にある鶴橋本通商店街の『アリラン食堂』の店頭の、トルハルバン。）

この御幸通商店街がコリアンタウンという名称になったのは、チョン会長によると、20年前のことだという。
「当初は、日本人の側からすごい反対があった。でも、商店街は、それから日に日にさびれていった。それが、コリアンタウンの名前で、全国から注目されることになりました。今や、日本人の商店主も、協力してくれているんですよ。」
チョン会長の言葉には、この二十年間に起こったことへの、希望があった。

東大阪朝鮮第四初級学校。
会長の、母校でもある。
日本人の小学校である、御幸森小学校の、目と鼻の先にある。
「最大時には、日本全国で3万5000人の在日生徒がいた。でも今や、7000人。さらに、どんどん減っている。時代の、流れです。」


このパネルは、（年度は失念したが）ワンコリアフェスティヴァルの際に、美術担当の方の手でライブの場で書き上げられたものだ。
「だから、絵の具が左右に、流れているんです。横に向けて、描かれたんで。」

御幸森神社が、ツアーの最後の場所であった。
現在は、神社の説明に、「百済」「新羅」「高句麗」の文字が、ある。
「でも、これも最近のことです。昔は、このような説明もまた、許されなかった。」
私は、今年慶州の国立博物館に行った。
そこに展示されている透かし彫りの馬の鞍金具を見て、応神天皇陵から出土した作品とデザインがまったく同じだ、と思った。
1500年ほど昔にさかのぼれば、半島の製品がそのまま日本でも珍重され、その逆もたぶん同じであっただろうことが、容易に想像がつく。
新羅でもまた、勾玉（まがたま）がアクセサリーとして流行していた。
新羅の遺跡からは、ペルシャなど西方の文物が、いろいろ出土する。
日本の正倉院からペルシャの製品（あるいは、西方の製品を唐の職人がアレンジした製品）と、同時代性を感じる。
チョン会長は、神社の杜の前で、力説された。
「百済、新羅、高句麗の三国から、日本にいっぱい人がやって来ました－」
彼らのことを、帰化人と言う。
近年、渡来人と呼ばれるようになった。
私は、そのどちらにも政治的意図を感じて、好きな言葉ではない。
私は、単に半島からの移民、と呼びたい。
「昔、日本人が唐人と会話するためには、通訳が必要でした。でも、新羅人や百済人には、必要ありませんでした。普通に、互いの言葉がわかる時代だったのです。現在の日本語と朝鮮語は、発音がぜんぜん違います。しかし、昔の日本語は、今よりもっと発音が複雑でした。半島と接触を失うにつれて、発音が単純になっていったのです。かつての日本人は、半島人の発音を理解できて、両国の言葉はもっと近かったのです。」
ただの余談だが、私は、個人的にはチョン会長の意見とは違った意見を持っている。
日本語と韓国・朝鮮語は、その基礎語彙が全く一致しておらず、古い起源を遡れば、おそらく何の関係もない言語だったであろう。
それなのに互いに意思疎通ができたのは、東アジアを巻き込んだ、交流の結果だったのではないか、と私は思う。
隣に文化大国の中国を控えて、周辺諸国である日本と朝鮮半島諸国は、くに作りのために文化を積極的に吸収していった。文字を学び、言葉を輸入し、そしてくにが組織されれば、隣国との外交もまた活発になっていった。
こうして、人の交流がさかんとなった結果、言語と文化が似通ったものとなった。
日本語と韓国・朝鮮語は、大量の中国語由来の言葉を輸入した結果、語彙に非常に重なりが生じて、文法までそっくり似たものとなった。そのため、まるで兄弟言語であるかのように、現代の両国語は似ている。これはもともとが生まれの兄弟だからだったのではなくて、かつて親しかったから似通った姿となった、名残りなのではないだろうか？（さらに余談だが、似たような現象は、英語とフランス語にも起きている。英語の真の兄弟言語はドイツ語だが、英語はフランス語からの圧倒的な影響を歴史上受けたために、現代は語彙・文法が最もフランス語に近く、ドイツ語からは遠ざかっている。）
1500年ほど昔の日本、朝鮮半島、中国の東アジアは、後の時代よりもずっと盛んに、互いが行き来していた時代があったに違いない。


（クリックすると、拡大します。）
今、ツアーの人々が立っている土地は、古代の難波津（なにわつ）。
この御幸森神社も、もとは仁徳天皇（5世紀）と半島人との係わり合いの中で営まれた、神域であった。
古代の大阪平野は、現在の大阪城から天王寺にまで続く上町台地だけが陸地で、あとは水の底だった。
半島から海を伝ってやって来た人々は、上町台地に上陸してここに集落を築いた。
仁徳天皇の時代、難波津では土木工事が、盛んに行われた。
難波の堀江（なにわのほりえ、運河）、茨田堤（まんだのつつみ、堤防）、猪甘津の小橋（いかいつのおばし、橋）といった開発が仁徳天皇の治世時に行われたことが、『日本書紀』などに記録されている。仁徳天皇は難波に宮城を定め、周辺の土地を開拓することに、熱心であった（日本書紀に、「難波高津宮（なにわたかつのみや）」。現在発掘されている難波宮の地にあったのかどうかは、結論が出ていない）。この天皇の事業のために働いたのが、この土地に移住して来た、半島の民であった。彼らは、当時まだ日本人が持っていなかった、様々な技術水準に優れていた。
かつて、百済郡（くだらぐん）と呼ばれる地名が、今の天王寺区の辺りにあった。
現在では、百済駅（くだらえき）という貨物駅が、関西本線の東部市場駅の横に隣接して存在している。
これらの地名は全て、かつて百済（ペッチェ）人のコロニーと、関わりがあった。
「百済が滅んだ後、同盟国の日本に多くの人が亡命して来ました。その人たちは、すぐに博士や高官に取り立てられました。その当時は、何の抵抗感もなかったのです。」
半島からの移民たちは、この上町台地にまず足がかりを築き、それから周辺の河内国や山城国に向けて、おいおい移住していったに違いない。
京都府南部の山城国は後世に平安京が置かれた土地であるが、ここをまず開いた秦氏（はたうじ）は、半島からやって来た集団であった。
京都は、盆地の真ん中に、鴨川が流れている。
真ん中に川の流れる盆地に、都を築くという地形の選定。
これが、半島と同じであることに気が付くだろうか？
新羅の都である慶州（キョンジュ）は、盆地の中央を兄山江（ヒョンサンガン）が、南北に流れている。
百済の都であった扶余（プヨ）もまた、同様であった。白馬江（ペンマガン）が、内陸盆地の都を、貫いている。
これが、平安京の地勢とそっくりなことに気が付けば、両国の発想になにか通じるものがあったのではないかと、思わずにはいられない。
平安京に都を移したのは、桓武天皇（8世紀）。
この天皇の母親である高野新笠（たかののにいがさ）は、百済移民の子孫であった。
出自の関係もあったのであろうか、桓武天皇の周囲には、百済人の影響がつきまとっている。
天皇の周囲にいた半島からの移民たちが、都の選定場所について何かしらかの影響を与えたことが、十分に想像できないだろうか？
会長は、最後に言った。
「国が隔てられるようになったのは、ずっと後の時代なのです。今や、互いに戦争を繰り返して来たヨーロッパが、EUを作って共同体となっています。世界は、変わりました。東アジアも、これまでのいがみ合うのが当たり前だった歴史から、前に進まなければならないのです。」
わずか1時間足らずの、ツアーであった。
夏の日差しが、暑い。
韓国も、今はもう暑いんだろうなあ。
最後に、コリアンタウンの色を、印象として言ってみたい。








Koreanの色は、緑。
私が、旅行で感じた、とおりだ。










彼らは、Chineseが好む黄色を、あまり好まない。
日本人がめでたいと感じる赤色にも、敏感であるように見えない。
この緑への好みは、どこから来たんだろうか？

、、、陵墓の芝の、緑なのだろうか？
それとも、川面の水の、色なのだろうか。
そんなことを、思ったりする。
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ワンコリアフェスティバル　http://hana.wwonekorea.com/
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140025.JPG"><img alt="P6140025.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140025-thumb.JPG" width="187" height="250" /></a></br></br><br />
大阪環状線から３００メートルほど東側に沿って、バス通りがある。<br />
正式名称は市道上新庄生野線であるが、地元民には「疎開道路」と、呼ばれている。<br />
</br><br />
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=34.66046356271682,135.53475737571716&amp;ie=UTF8&amp;ll=34.66046356271682,135.53475737571716&amp;t=h&amp;z=17&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="34.660464,135.534757"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=34.66046356271682,135.53475737571716,red&amp;zoom=17&amp;size=500x350&amp;key=ABQIAAAAmX_VoidkT4QogTaM-a42xxRcOCAyTUHnSpxlmrhEPf8ZiZ62QRTGZRXdvSwj0UyAGUzMZ_mxagbr4g&amp;hl=ja" alt="34.660464,135.534757" title="34.660464,135.534757" /></a><br />
</br><br />
この道の由来は、戦時中のことにさかのぼる。<br />
当時、この近辺は工場の密集地であった。<br />
現在ビル街のOBPとなっている土地には、かつて陸軍の大阪砲兵工廠があった。<br />
周辺雇用まで含めれば二十万人にもなったと言われる、巨大な軍需工場であった。<br />
大阪は、軍需を支える工業都市として、連合軍の爆撃対象となることは、必至であった。<br />
政府は、生野区の土地の一筋を南北に縦割りして、そこに住んでいた住民を強制的に「疎開」させた。<br />
空襲の火災が延焼することを防ぐために、がらりと空き地を、こしらえたのであった。<br />
それでも、空襲による被害は、防ぐことはできなかった。<br />
戦後、強制的に作られた空き地は、道路となった。<br />
「疎開道路」の、始まりである。<br />
大阪にKorean Peopleが現在もたくさん住んでいる理由は、戦前の大阪の工業の発達と、切り離すことができない。<br />
その「疎開通り」から入って、御幸森神社に始まって平野川で終わる、商店街。</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140002.JPG"><img alt="P6140002.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140002-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></br></br><br />
大阪市生野区、町名でいえば桃谷三丁目から五丁目。<br />
正式名称、御幸通商店街。<br />
これが通称、コリアンタウン。</br></br></p>
<table>
<tr>
<td width="220" height="180"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140010.JPG"><img alt="P6140010.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140010-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140011.JPG"><img alt="P6140011.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140011-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a>
</td>
</tr>
<tr>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140022.JPG"><img alt="P6140022.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140022-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
</tr>
</table>
<p></br></br><br />
店先には、韓国語が並ぶ。<br />
韓国の食材が、売られている。<br />
おなじみのキムチ、チジミ。<br />
店頭売りの、ホルモン。<br />
ナムルの材料の、大豆もやしにゼンマイ。<br />
肉を食べるときに欠かせない野菜の、サンチュにゴマの葉。<br />
塊でざっくりと置かれた、豚の肉。</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140012.JPG"><img alt="P6140012.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140012-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></br></br><br />
チマチョゴリを売る、服屋。<br />
最近の現象として、韓流スターのグッズを売る、音楽店。<br />
いかにも韓国の風情にあふれているが、決して韓国ではない。<br />
韓国に行けば、店先にはハングルしかない。漢字も、ひらがなも、決して見ることができない。<br />
この街には、漢字もひらがなも、混在している。<br />
だから、ここは日本のコリアンタウンであることが、わかる。<br />
この地域にKorean Peopleがやって来たのは、経済が原因だ。<br />
６月１４日、<a href="http://hana.wwonekorea.com/">ワンコリアフェスティヴァル</a>の催しを、当初からかれこれ２５年間続けて来ておられるチョン会長じきじきの説明で、コリアンタウンのミニツアーに参加した。昼間コリアンタウン内にある韓国料理店で、フェスティヴァルスタッフの集会をこなした後での、有志によるミニツアーだ。</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140017.JPG"><img alt="P6140017.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140017-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></br></br><br />
コリアンタウンの東端、平野川にかかる御幸橋から、ミニツアーは始められた。<br />
「平野川はしょっちゅう、氾濫した。それで、浚渫（しゅんせつ）工事を行うために人足が、集められました。そこに集まって来たのが、この土地にKoreanがやってきた、始まりでした。」<br />
背後の歴史は、今あえて、ぼやかしておく。<br />
「しかし、本当に数が増えたのは、工場に働く労働者としてでした。」<br />
ワンコリアの大事業を大阪から進めておられる、チョン会長は、続けた。<br />
「昔、大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれて、東洋最大の工業都市でした。そうして、低賃金で働かされるKoreanが、いっぱいこの辺の零細工場の仕事場に、吸い寄せられた。1920年代、30年代にこうして労働者として大阪にやって来た人々の中には、家庭を持ち、子供を持つ者もあった。戦時中、強制連行によって連れて来られた人々は、戦争が終結すると、たいていは帰って行った。それは、家庭が向こうにあったからです。でも、もうここに家庭を持ってしまった人々は、帰るに帰れない。そうして、日本に残ったんです。」</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140018.JPG"><img alt="P6140018.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140018-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></br></br><br />
もう今では工場も少なくなってしまったが、昭和の時代にはじつにこの辺りは、町工場が密集していた。<br />
「70年代ごろには、この川はものすごく汚れていました。とにかく臭くて、、、これではいかんと、府と市が川をさらえて、ようやくこうして近づけるようになりました。」<br />
現在、アジアの工業地帯は中国に移り、中国では工業排水が環境の悪化を深刻なものにさせている。<br />
かつての日本が、現在の中国の姿であった。<br />
どうして大阪にKoreanが住むようになったのかのいきさつは、昔の経済の姿に遡らなければ、わからない。1930年当時大阪は人口245万人で東京を上回る日本最大都市であったが、そのうち内地以外の出身者は八万三千人、総人口の3.4％で、神戸や横浜よりも高い比率であった（文京沫『済州島四・三事件』所収の資料より）。その大多数が、当時絶頂を極めていた大阪の町工場の雇用に引き寄せられた在日朝鮮人であったのだ。<br />
私の隣にいた、ワンコリア委員会でウェブサイト運営を担当している若者に、私は言った。<br />
「まだ、泳ぐまではだめだな。魚も鳥も、戻っていないし。」<br />
に聞いた。<br />
彼は、真剣な顔をして、私に聞いた。<br />
「鳥が、戻りますかね？」<br />
私は、不真面目にもビールの入った頭で、答えた。<br />
「戻るさ。どぶ川だって、ここまできれいになった。人が努力すれば、鳥だって戻る。緑だって、川のそばにまた、繁るようになるさ。でもそうするためには、人の努力が必要だ。」<br />
ビールの入った頭での言葉だったが、私は本当にそう信じている。<br />
会長の話に、戻る。<br />
「もともと御幸通商店街は、日本人の商店街だった。Koreanは、商店街の一つ後ろの裏路地に、板を置いて商売をしていた。日本人とKoreanでは売る物も違うから、分かれていた。それが、戦争によって焼け野原となり、表通りの商店街の店主が逃げて、帰ってこなかった。かつて裏路地で商売をしていたKoreanは、表通りの店を借り、買って、表に出た。そうして、今の御幸通商店街は、Korean6割、日本人4割となっています。」<br />
戦前に日本にやって来た半島の人々の出身地は、圧倒的多数が慶尚道か、あるいは現在の済州道であった。<br />
このニ道には、最も重要な日本への定期航路が、開かれていた。<br />
一つは、釜山から下関への、関釜連絡線。<br />
金達寿（キム・タルス）の小説『玄界灘』で、「釜山港！関釜連絡線！そこは朝鮮人にとってどんなところであり、どんなものであっただろうか」と書かれた、連絡航路であった。ここを通って、数多くの半島人が、日本に渡ってきた。<br />
そしてもう一つが、済島道から大阪への連絡線、「君が代丸」であった。<br />
大正十二年（1923）、尼崎汽船会社により、「君が代丸」が大阪・済州島間に就航する。その後、他社も航路に新規参入して、1933年のピーク時には「年に三万人近い済州島人を大阪へと運んだ」（文京沫『済州島四・三事件』pp36より）。</p>
<p>こういった海のルートを通って、戦前には主に半島南部の人々が、日本にやって来た。<br />
とりわけ、大阪には「君が代丸」ほかの定期航路を通じて、多数の済州島出身の人々が、仕事を求めてやって来た。<br />
御幸通商店街を歩くと、済州島名物のトルハルバンが、店の看板として飾られているのを、見かけた。<br />
トルハルバンとは、済州島の方言で、「石じいさん」という意味。<br />
由来も分からない頃から島にあった、遺跡であった。<br />
石で作られた島の守り神のようなものだ。済州島の主邑である済州邑（チェジュウプ）の四隅に、配置されていた。<br />
それが、今は済州島のシンボルとして、海外にまでその存在が知れ渡っている。コリアンタウンにも、説明書きが添えられて、商店街の守り神として鎮座ましましていた。<br />
（下の写真は、コリアンタウンの隣にある鶴橋本通商店街の『アリラン食堂』の店頭の、トルハルバン。）</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/000goc6j94ipc6310g8kalqdmrd6310%5B1%5D.jpg"><img alt="000goc6j94ipc6310g8kalqdmrd6310%5B1%5D.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/000goc6j94ipc6310g8kalqdmrd6310%5B1%5D-thumb.jpg" width="150" height="200" /></a></br></br><br />
この御幸通商店街がコリアンタウンという名称になったのは、チョン会長によると、20年前のことだという。<br />
「当初は、日本人の側からすごい反対があった。でも、商店街は、それから日に日にさびれていった。それが、コリアンタウンの名前で、全国から注目されることになりました。今や、日本人の商店主も、協力してくれているんですよ。」<br />
チョン会長の言葉には、この二十年間に起こったことへの、希望があった。</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140020.JPG"><img alt="P6140020.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140020-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></br></br><br />
東大阪朝鮮第四初級学校。<br />
会長の、母校でもある。<br />
日本人の小学校である、御幸森小学校の、目と鼻の先にある。<br />
「最大時には、日本全国で3万5000人の在日生徒がいた。でも今や、7000人。さらに、どんどん減っている。時代の、流れです。」<br />
</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140021.JPG"><img alt="P6140021.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140021-thumb.JPG" width="150" height="200" /></a></br></br></p>
<p>このパネルは、（年度は失念したが）ワンコリアフェスティヴァルの際に、美術担当の方の手でライブの場で書き上げられたものだ。<br />
「だから、絵の具が左右に、流れているんです。横に向けて、描かれたんで。」</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140023.JPG"><img alt="P6140023.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140023-thumb.JPG" width="150" height="200" /></a></br></br><br />
御幸森神社が、ツアーの最後の場所であった。<br />
現在は、神社の説明に、「百済」「新羅」「高句麗」の文字が、ある。<br />
「でも、これも最近のことです。昔は、このような説明もまた、許されなかった。」<br />
私は、今年慶州の国立博物館に行った。<br />
そこに展示されている透かし彫りの馬の鞍金具を見て、応神天皇陵から出土した作品とデザインがまったく同じだ、と思った。<br />
1500年ほど昔にさかのぼれば、半島の製品がそのまま日本でも珍重され、その逆もたぶん同じであっただろうことが、容易に想像がつく。<br />
新羅でもまた、勾玉（まがたま）がアクセサリーとして流行していた。<br />
新羅の遺跡からは、ペルシャなど西方の文物が、いろいろ出土する。<br />
日本の正倉院からペルシャの製品（あるいは、西方の製品を唐の職人がアレンジした製品）と、同時代性を感じる。<br />
チョン会長は、神社の杜の前で、力説された。<br />
「百済、新羅、高句麗の三国から、日本にいっぱい人がやって来ました－」<br />
彼らのことを、帰化人と言う。<br />
近年、渡来人と呼ばれるようになった。<br />
私は、そのどちらにも政治的意図を感じて、好きな言葉ではない。<br />
私は、単に半島からの移民、と呼びたい。<br />
「昔、日本人が唐人と会話するためには、通訳が必要でした。でも、新羅人や百済人には、必要ありませんでした。普通に、互いの言葉がわかる時代だったのです。現在の日本語と朝鮮語は、発音がぜんぜん違います。しかし、昔の日本語は、今よりもっと発音が複雑でした。半島と接触を失うにつれて、発音が単純になっていったのです。かつての日本人は、半島人の発音を理解できて、両国の言葉はもっと近かったのです。」<br />
ただの余談だが、私は、個人的にはチョン会長の意見とは違った意見を持っている。<br />
日本語と韓国・朝鮮語は、その基礎語彙が全く一致しておらず、古い起源を遡れば、おそらく何の関係もない言語だったであろう。<br />
それなのに互いに意思疎通ができたのは、東アジアを巻き込んだ、交流の結果だったのではないか、と私は思う。<br />
隣に文化大国の中国を控えて、周辺諸国である日本と朝鮮半島諸国は、くに作りのために文化を積極的に吸収していった。文字を学び、言葉を輸入し、そしてくにが組織されれば、隣国との外交もまた活発になっていった。<br />
こうして、人の交流がさかんとなった結果、言語と文化が似通ったものとなった。<br />
日本語と韓国・朝鮮語は、大量の中国語由来の言葉を輸入した結果、語彙に非常に重なりが生じて、文法までそっくり似たものとなった。そのため、まるで兄弟言語であるかのように、現代の両国語は似ている。これはもともとが生まれの兄弟だからだったのではなくて、かつて親しかったから似通った姿となった、名残りなのではないだろうか？（さらに余談だが、似たような現象は、英語とフランス語にも起きている。英語の真の兄弟言語はドイツ語だが、英語はフランス語からの圧倒的な影響を歴史上受けたために、現代は語彙・文法が最もフランス語に近く、ドイツ語からは遠ざかっている。）<br />
1500年ほど昔の日本、朝鮮半島、中国の東アジアは、後の時代よりもずっと盛んに、互いが行き来していた時代があったに違いない。<br />
</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/Ancientosaka.JPG"><img alt="Ancientosaka.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/Ancientosaka-thumb.JPG" width="300" height="208" /></a><br />
<font size="0.8em">（クリックすると、拡大します。）</font></br></br><br />
今、ツアーの人々が立っている土地は、古代の難波津（なにわつ）。<br />
この御幸森神社も、もとは仁徳天皇（5世紀）と半島人との係わり合いの中で営まれた、神域であった。<br />
古代の大阪平野は、現在の大阪城から天王寺にまで続く上町台地だけが陸地で、あとは水の底だった。<br />
半島から海を伝ってやって来た人々は、上町台地に上陸してここに集落を築いた。<br />
仁徳天皇の時代、難波津では土木工事が、盛んに行われた。<br />
難波の堀江（なにわのほりえ、運河）、茨田堤（まんだのつつみ、堤防）、猪甘津の小橋（いかいつのおばし、橋）といった開発が仁徳天皇の治世時に行われたことが、『日本書紀』などに記録されている。仁徳天皇は難波に宮城を定め、周辺の土地を開拓することに、熱心であった（日本書紀に、「難波高津宮（なにわたかつのみや）」。現在発掘されている難波宮の地にあったのかどうかは、結論が出ていない）。この天皇の事業のために働いたのが、この土地に移住して来た、半島の民であった。彼らは、当時まだ日本人が持っていなかった、様々な技術水準に優れていた。<br />
かつて、百済郡（くだらぐん）と呼ばれる地名が、今の天王寺区の辺りにあった。<br />
現在では、百済駅（くだらえき）という貨物駅が、関西本線の東部市場駅の横に隣接して存在している。<br />
これらの地名は全て、かつて百済（ペッチェ）人のコロニーと、関わりがあった。<br />
「百済が滅んだ後、同盟国の日本に多くの人が亡命して来ました。その人たちは、すぐに博士や高官に取り立てられました。その当時は、何の抵抗感もなかったのです。」<br />
半島からの移民たちは、この上町台地にまず足がかりを築き、それから周辺の河内国や山城国に向けて、おいおい移住していったに違いない。<br />
京都府南部の山城国は後世に平安京が置かれた土地であるが、ここをまず開いた秦氏（はたうじ）は、半島からやって来た集団であった。<br />
京都は、盆地の真ん中に、鴨川が流れている。<br />
真ん中に川の流れる盆地に、都を築くという地形の選定。<br />
これが、半島と同じであることに気が付くだろうか？<br />
新羅の都である慶州（キョンジュ）は、盆地の中央を兄山江（ヒョンサンガン）が、南北に流れている。<br />
百済の都であった扶余（プヨ）もまた、同様であった。白馬江（ペンマガン）が、内陸盆地の都を、貫いている。<br />
これが、平安京の地勢とそっくりなことに気が付けば、両国の発想になにか通じるものがあったのではないかと、思わずにはいられない。<br />
平安京に都を移したのは、桓武天皇（8世紀）。<br />
この天皇の母親である高野新笠（たかののにいがさ）は、百済移民の子孫であった。<br />
出自の関係もあったのであろうか、桓武天皇の周囲には、百済人の影響がつきまとっている。<br />
天皇の周囲にいた半島からの移民たちが、都の選定場所について何かしらかの影響を与えたことが、十分に想像できないだろうか？<br />
会長は、最後に言った。<br />
「国が隔てられるようになったのは、ずっと後の時代なのです。今や、互いに戦争を繰り返して来たヨーロッパが、EUを作って共同体となっています。世界は、変わりました。東アジアも、これまでのいがみ合うのが当たり前だった歴史から、前に進まなければならないのです。」</br></br><br />
わずか1時間足らずの、ツアーであった。<br />
夏の日差しが、暑い。<br />
韓国も、今はもう暑いんだろうなあ。<br />
最後に、コリアンタウンの色を、印象として言ってみたい。</br></br></p>
<table>
<tr>
<td width="220"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140016.JPG"><img alt="P6140016.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140016-thumb.JPG" width="150" height="200" /></a></td>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140014.JPG"><img alt="P6140014.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140014-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a>
</td>
</tr>
</table>
<p></br></br><br />
Koreanの色は、緑。<br />
私が、旅行で感じた、とおりだ。</br></br></p>
<table>
<tr>
<td height="150"><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/12870005.JPG"><img alt="12870005.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/12870005-thumb.JPG" width="200" height="114" /></a>
</td>
</tr>
<tr>
<td><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P5020003.JPG"><img alt="P5020003.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P5020003-thumb.JPG" width="200" height="150" /></a></td>
</tr>
</table>
<p></br></br><br />
彼らは、Chineseが好む黄色を、あまり好まない。<br />
日本人がめでたいと感じる赤色にも、敏感であるように見えない。<br />
この緑への好みは、どこから来たんだろうか？</br></br><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140015.JPG"><img alt="P6140015.JPG" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/images/P6140015-thumb.JPG" width="250" height="187" /></a></br></br><br />
、、、陵墓の芝の、緑なのだろうか？<br />
それとも、川面の水の、色なのだろうか。<br />
そんなことを、思ったりする。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;<br />
ワンコリアフェスティバル　<a href="http://hana.wwonekorea.com/">http://hana.wwonekorea.com/</a></p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>Korea!2009/02/22～エピローグその二</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Feb 2009 15:33:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[以下のテンプレートを、作った。

前略。
私は、海外旅行の帰途で、貴社の鉄道に乗った者です。
詳細は、私のブログに、書いてあります。以下が、そうです。
http://suzumoto.s217.xrea.com/2009/02/korea20020222.html
痛感したことを、申し上げます。
なぜ、貴社の路線図や券売機には、外国語がこんなにも、少ないのですか。
外国人が来日したとき、こんな表記では貴社に悪印象を持って帰国することが、どうして分からないのですか。
今すぐ、改めなさい。
上の記事の中で指摘した、路線図ないし券売機の表示に、せめて英語を加えなさい。余力があるならば、漢語（中国語）と韓国語も、加えなさい。
2009年4月、すなわち今年の、美しい桜の季節が、来るまでに。
できるはずです。少しだけ汗をかけば、何てことはないはずです。予算も、ほとんど要らないはずです。
異文化の人を、気持ちよく本国に返して、貴社の評判を高める努力を、行ないなさい。
もし貴社から私に返答が来れば、それを全て上のブログで公開致します。貴社に、公共心があるかどうか、そして関西を、日本国を、愛する心があるのかどうか、万人に見て頂くために。
頑張ってください。とにかく、頑張ってください。貴方がたが頑張れば、私が愛する関西が、そして愛する日本国が、立ち直るきっかけとなるのです。
草々。
月が変わった、三月一日の、深夜。
まず、阪急電鉄のサイトに、意見した。
次は、JR西日本。
だが、意見を投書する、項目が見当たらない。
その時は怒り心頭に達したが、もう一度読み返してみると、「2月27日（金）13：00頃～3月2日（月）9：00頃まで、システムメンテナンスのため『メールでのお問い合わせ』のサービスを停止させていただきます。」とあった。ゆえに、明日送る。
それから、大阪市交通局のサイトにも、同一の意見を出した。
帰国した日の夜、私は憂憤を共に飲んだ夕映舎氏に、ぶっつけた。
彼は、私の同士だ。私の主張を、分かってくれた。
私は、彼に薦めた。
「お前も、一句詠め。」
日本の詩の魂を、曇りなき心で吐露してほしい。
全ての日本人に、してほしい。
そうすれば、外国人は分かってくれる。
英語混じりのチャラチャラした歌の歌詞よりも、分かってくれるはずだ。
夕映舎氏は、一考して、私が持ち帰ったノートの末尾近くに、書いた。

冬の雨
酒を朋にと
問うたそがれ
飲みに飲み
いつ晴れるのか
冬の朝
柔らかな、響きである。
泥酔であったが、だからこそ、彼の心の底の詩心が、伝わって来る。
私は、今回の旅行で得たものを、生涯心から忘れまいと、思った。
- いちおう、完 -
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>以下のテンプレートを、作った。</p>
<blockquote><p>
前略。<br />
私は、海外旅行の帰途で、貴社の鉄道に乗った者です。<br />
詳細は、私のブログに、書いてあります。以下が、そうです。<br />
http://suzumoto.s217.xrea.com/2009/02/korea20020222.html<br />
痛感したことを、申し上げます。<br />
なぜ、貴社の路線図や券売機には、外国語がこんなにも、少ないのですか。<br />
外国人が来日したとき、こんな表記では貴社に悪印象を持って帰国することが、どうして分からないのですか。<br />
今すぐ、改めなさい。<br />
上の記事の中で指摘した、路線図ないし券売機の表示に、せめて英語を加えなさい。余力があるならば、漢語（中国語）と韓国語も、加えなさい。<br />
2009年4月、すなわち今年の、美しい桜の季節が、来るまでに。<br />
できるはずです。少しだけ汗をかけば、何てことはないはずです。予算も、ほとんど要らないはずです。<br />
異文化の人を、気持ちよく本国に返して、貴社の評判を高める努力を、行ないなさい。<br />
もし貴社から私に返答が来れば、それを全て上のブログで公開致します。貴社に、公共心があるかどうか、そして関西を、日本国を、愛する心があるのかどうか、万人に見て頂くために。<br />
頑張ってください。とにかく、頑張ってください。貴方がたが頑張れば、私が愛する関西が、そして愛する日本国が、立ち直るきっかけとなるのです。<br />
草々。</p></blockquote>
<p>月が変わった、三月一日の、深夜。<br />
まず、阪急電鉄のサイトに、意見した。<br />
次は、JR西日本。<br />
だが、意見を投書する、項目が見当たらない。<br />
その時は怒り心頭に達したが、もう一度読み返してみると、「2月27日（金）13：00頃～3月2日（月）9：00頃まで、システムメンテナンスのため『メールでのお問い合わせ』のサービスを停止させていただきます。」とあった。ゆえに、明日送る。<br />
それから、大阪市交通局のサイトにも、同一の意見を出した。<br />
帰国した日の夜、私は憂憤を共に飲んだ夕映舎氏に、ぶっつけた。<br />
彼は、私の同士だ。私の主張を、分かってくれた。<br />
私は、彼に薦めた。<br />
「お前も、一句詠め。」<br />
日本の詩の魂を、曇りなき心で吐露してほしい。<br />
全ての日本人に、してほしい。<br />
そうすれば、外国人は分かってくれる。<br />
英語混じりのチャラチャラした歌の歌詞よりも、分かってくれるはずだ。<br />
夕映舎氏は、一考して、私が持ち帰ったノートの末尾近くに、書いた。</p>
<blockquote><p>
冬の雨<br />
酒を朋にと<br />
問うたそがれ<br />
飲みに飲み<br />
いつ晴れるのか<br />
冬の朝</p></blockquote>
<p>柔らかな、響きである。<br />
泥酔であったが、だからこそ、彼の心の底の詩心が、伝わって来る。<br />
私は、今回の旅行で得たものを、生涯心から忘れまいと、思った。<br />
- いちおう、完 -</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>Korea!2002/02/22～エピローグその一</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 12:58:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[雨の振る、朝。
ホテルのキムさんに挨拶をして、空港に向かう。
翌週の韓国は、天気が悪かった。私に韓国をしっかり見て来い、と何ものかが一週間の好天を、特別に用意してくれたかのようであった。
空港まで行くのには、地下鉄「亀浦」駅で降りてから市内バスを使ったが、この市内バスにも金海空港国際線ゲート前に到着した時の、英語アナウンスがなかった。他にスーツケースの乗客がいっぱい降りたから迷いはしなかったものの、これではだめだぞ。今回の旅行の最終日に、この国に言い残したい言葉が、心の中に浮かんだ。
飛行機は、あっという間に、関西空港まで飛んでいく。
KTXで釜山からソウルに行くよりも、ずっと時間が短い。
昼に、関西空港に着いた。
わが祖国の現状は、どうであろうか。

－どうして、

－これが、異常であることが、わからないのか！
国際空港の駅に、どうして英語表記がこんなにも、こんなにも、少ないのか！
外国人は、決まったターミナルにだけ行けばよいと、言いたいのか！
じゃあターミナルで待つ日本のバスやタクシーは、英語や漢語や韓国語が、どれだけ通じるというのか！
同じ、病気だ。
韓国と、全く同じ病気に、日本はかかっていた。深く、深く。
私は、現在の日本の停滞の原因を、今はっきりと理解した。
南海電車に、乗る。
駅名案内図は、さきほどのクソJR西日本のものよりは、まだ不十分ながらも、英語表記が揃っていた。
急行電車に、乗る。
車内では、車掌が乗り換え、先発待ちの説明を、微に入り細をうがつように、伝える。
日本語、だけで。
日本人に対して、日本人に対してだけ、シャワーのようなサービスを浴びせ掛ける。それが、日本の会社だ。
車掌はいい気になって（悪いが、今日は仕事にがんばっていると、彼を評価してやらない）、名調子でアナウンスを行なう。英語は、どうせ一言もしゃべれないに、違いない。英語のアナウンスは、国際空港から帰る急行であるにも関わらず、ない。
－本日も、南海電車をご利用いただきまして、ありがとうございました、、、
金を払って、サービスを受けているのだ。
今さらあいさつなど、いらん。
－扉が閉まります。ご注意ください、、、
大きな、お世話だ。
どこの世界に、扉を開けっ放しにして発車する、電車があるか。人をなめるにも、大概にしろ。
こんな車掌のアナウンス、要らない。
おせっかいな注意は論外としても、乗り換えの指示なんぞ、乗客が事前に調べておけばよいのだ。もし急行に乗り損ねたところで、一日も遅れるわけではなかろう。せいぜい、１０分程度遅れるだけだ。それは、不注意による自業自得の範囲内だ。
そんなことよりも、自動放送で、次に停まる駅のアナウンスを、各国語で流せ。
どうせ各国語ができない車掌は、黙ってろ。マイクを、持つな。
しかし、そんなことをしたならば、どこかから必ず「サービスが足りない」だの、「温かさが消えた」だのといった、情緒的な批判が飛び出して来る。
そんな、日本人たちよ。
君たちは、世界に向けて、非常識であるというメッセージを、発しているのだぞ。

大阪の街は、釜山よりもずっと煤けて見えた。
徳川時代初期から昭和戦前まで、三百余年間も繁栄を謳歌し続けて来たこの街は、現在衰退の途上にある。
かつては文化の香り高い都市であったが、今や吉本ぐらいしかない。その吉本も、事実上の拠点は、東京に移ってしまっている。
この街には、私の好きな食い物屋も多いだけに、街の疲れた姿が、痛々しい。
市営地下鉄に、乗る。
車内の、路線図。

－なぜローマ字でなくて、ひらがななのか！
日本の識字率は、もう１００％ではないか。
漢字が読めない日本人が、いまだにいるとでも、思っているのであろうか。
昔、まだ識字率が高くなかった時代に、サービスのためにこんな標記を作ったのであろうが、いまだに、いまだに、続けている。
何も、考えていない証拠だ。
真に漢字が読めず、ひらがなすら読めない、日本以外の民族のことが、頭から見事に抜け落ちている。
腐っている。
ここまで、腐っているのか。
梅田駅で降りて、自らの身を怒りに包みながら、阪急電車に乗り換える。
この電車は、関西で最もファッショナブルな電車であると、思っていた。
だが！
私は、梅田駅の、自動券売機の液晶画面を見た。
英語が、ない。
あの銀行と、同じであった。
その隣にも、隣にも、そのまた隣にも、英語で操作できるボタンが、なかった。
私は、改札横のインフォメーションセンターに、つかつかと歩み寄った。
私は、わざとカタコトの日本語で、駅員に言った。
「券売機、English、ないの？」
私は、券売機の方向を指差して、聞いた。
応対した駅員は、善良そうだ。
その彼が、言った。
「申し訳ございません。ございません。」
私は実は日本人だから、彼の丁寧さを、許さない。
私は、叫んだ。
「ないの！ハッ！」
私は、肩をすくめて言葉を吐き捨て、怒る足で立ち去った。
この会社は、ファッションだけで洋風に見せかけている、会社であった。
ファッションで見せる洋風は、日本人にしか通じない、にせ国際化である。
日本人は、韓国人よりも、ずっとずっと薄情者だ。
もし外国人が日本で迷ったならば、きっと悪い印象を持って、帰るであろう。それが積もり積もって、日本は通り過ぎられる列島となるに、違いない。
私は、このままでは十年のうちに、日本は「かつて」と歴史書で呼ばれる国となる、と確信した。
かつて、一時代を築いた国。
今や、見るべきものは、変な文化と、ヲタクとかいう変態だけがうじゃうじゃいるだけの、変な国。
もう、そう評価され始めている。
戻った春の京都は梅の花の盛りであったが、花の美しさは私を喜ばせてくれなかった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>雨の振る、朝。<br />
ホテルのキムさんに挨拶をして、空港に向かう。<br />
翌週の韓国は、天気が悪かった。私に韓国をしっかり見て来い、と何ものかが一週間の好天を、特別に用意してくれたかのようであった。<br />
空港まで行くのには、地下鉄「亀浦」駅で降りてから市内バスを使ったが、この市内バスにも金海空港国際線ゲート前に到着した時の、英語アナウンスがなかった。他にスーツケースの乗客がいっぱい降りたから迷いはしなかったものの、これではだめだぞ。今回の旅行の最終日に、この国に言い残したい言葉が、心の中に浮かんだ。<br />
飛行機は、あっという間に、関西空港まで飛んでいく。<br />
KTXで釜山からソウルに行くよりも、ずっと時間が短い。<br />
昼に、関西空港に着いた。<br />
わが祖国の現状は、どうであろうか。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/060.jpg"><img alt="060.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/060-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
<b>－どうして、</b><br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/061.jpg"><img alt="061.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/061-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
<b>－これが、異常であることが、わからないのか！</b><br />
国際空港の駅に、どうして英語表記がこんなにも、こんなにも、少ないのか！<br />
外国人は、決まったターミナルにだけ行けばよいと、言いたいのか！<br />
じゃあターミナルで待つ日本のバスやタクシーは、英語や漢語や韓国語が、どれだけ通じるというのか！<br />
同じ、病気だ。<br />
韓国と、全く同じ病気に、日本はかかっていた。深く、深く。<br />
私は、現在の日本の停滞の原因を、今はっきりと理解した。<br />
南海電車に、乗る。<br />
駅名案内図は、さきほどのクソJR西日本のものよりは、まだ不十分ながらも、英語表記が揃っていた。<br />
急行電車に、乗る。<br />
車内では、車掌が乗り換え、先発待ちの説明を、微に入り細をうがつように、伝える。<br />
日本語、だけで。<br />
日本人に対して、日本人に対してだけ、シャワーのようなサービスを浴びせ掛ける。それが、日本の会社だ。<br />
車掌はいい気になって（悪いが、今日は仕事にがんばっていると、彼を評価してやらない）、名調子でアナウンスを行なう。英語は、どうせ一言もしゃべれないに、違いない。英語のアナウンスは、国際空港から帰る急行であるにも関わらず、ない。<br />
－本日も、南海電車をご利用いただきまして、ありがとうございました、、、<br />
金を払って、サービスを受けているのだ。<br />
今さらあいさつなど、いらん。<br />
－扉が閉まります。ご注意ください、、、<br />
大きな、お世話だ。<br />
どこの世界に、扉を開けっ放しにして発車する、電車があるか。人をなめるにも、大概にしろ。<br />
こんな車掌のアナウンス、要らない。<br />
おせっかいな注意は論外としても、乗り換えの指示なんぞ、乗客が事前に調べておけばよいのだ。もし急行に乗り損ねたところで、一日も遅れるわけではなかろう。せいぜい、１０分程度遅れるだけだ。それは、不注意による自業自得の範囲内だ。<br />
そんなことよりも、自動放送で、次に停まる駅のアナウンスを、各国語で流せ。<br />
どうせ各国語ができない車掌は、黙ってろ。マイクを、持つな。<br />
しかし、そんなことをしたならば、どこかから必ず「サービスが足りない」だの、「温かさが消えた」だのといった、情緒的な批判が飛び出して来る。<br />
そんな、日本人たちよ。<br />
君たちは、世界に向けて、非常識であるというメッセージを、発しているのだぞ。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/062.jpg"><img alt="062.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/062-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
大阪の街は、釜山よりもずっと煤けて見えた。<br />
徳川時代初期から昭和戦前まで、三百余年間も繁栄を謳歌し続けて来たこの街は、現在衰退の途上にある。<br />
かつては文化の香り高い都市であったが、今や吉本ぐらいしかない。その吉本も、事実上の拠点は、東京に移ってしまっている。<br />
この街には、私の好きな食い物屋も多いだけに、街の疲れた姿が、痛々しい。<br />
市営地下鉄に、乗る。<br />
車内の、路線図。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/065.jpg"><img alt="065.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0222/065-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
<b>－なぜローマ字でなくて、ひらがななのか！</b><br />
日本の識字率は、もう１００％ではないか。<br />
漢字が読めない日本人が、いまだにいるとでも、思っているのであろうか。<br />
昔、まだ識字率が高くなかった時代に、サービスのためにこんな標記を作ったのであろうが、いまだに、いまだに、続けている。<br />
何も、考えていない証拠だ。<br />
真に漢字が読めず、ひらがなすら読めない、日本以外の民族のことが、頭から見事に抜け落ちている。<br />
腐っている。<br />
ここまで、腐っているのか。<br />
梅田駅で降りて、自らの身を怒りに包みながら、阪急電車に乗り換える。<br />
この電車は、関西で最もファッショナブルな電車であると、思っていた。<br />
だが！<br />
私は、梅田駅の、自動券売機の液晶画面を見た。<br />
英語が、ない。<br />
あの銀行と、同じであった。<br />
その隣にも、隣にも、そのまた隣にも、英語で操作できるボタンが、なかった。<br />
私は、改札横のインフォメーションセンターに、つかつかと歩み寄った。<br />
私は、わざとカタコトの日本語で、駅員に言った。<br />
「券売機、English、ないの？」<br />
私は、券売機の方向を指差して、聞いた。<br />
応対した駅員は、善良そうだ。<br />
その彼が、言った。<br />
「申し訳ございません。ございません。」<br />
私は実は日本人だから、彼の丁寧さを、許さない。<br />
私は、叫んだ。<br />
「ないの！ハッ！」<br />
私は、肩をすくめて言葉を吐き捨て、怒る足で立ち去った。<br />
この会社は、ファッションだけで洋風に見せかけている、会社であった。<br />
ファッションで見せる洋風は、日本人にしか通じない、にせ国際化である。<br />
日本人は、韓国人よりも、ずっとずっと薄情者だ。<br />
もし外国人が日本で迷ったならば、きっと悪い印象を持って、帰るであろう。それが積もり積もって、日本は通り過ぎられる列島となるに、違いない。<br />
私は、このままでは十年のうちに、日本は「かつて」と歴史書で呼ばれる国となる、と確信した。<br />
かつて、一時代を築いた国。<br />
今や、見るべきものは、変な文化と、ヲタクとかいう変態だけがうじゃうじゃいるだけの、変な国。<br />
もう、そう評価され始めている。<br />
戻った春の京都は梅の花の盛りであったが、花の美しさは私を喜ばせてくれなかった。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十五</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 11:24:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[私も、何かお返しをしなければ、ならない。
私は、本日二度目に、俳句を詠むことにした。
ノートを開いて、一考。
夜の道を、バスが真っ直ぐに通る。外は、真っ暗であった。

椿恋し
韓日（ハニル）の道に
花を敷け
親愛なるPark君へ　2009.2.21
わざと、難しい漢字を多用した。
漢字は、日本の言葉だからだ。読めなければ、日本が分からない。
パク君ならば、きっとこの句の漢字を読むことを、試みてくれるであろう。
私はそう思って、影島で見た椿の花を思い出して、句を読んだ。
パク君からも、別れのあいさつ文をもらった。
今、訳している最中だが、まだ十分に解読できないでいる。
お金で買ったものではなく、ただ一本のペンで書いたちょっとした文章が、心のこもった交流となるものだ。
パク君は、ご両親の住まう馬山で、バスを降りていった。

釜山に着いたのは、午後十時。
いやー、よく帰ってこれたなあ。
夜の沙上のバスターミナルが、愛しく思えた。

このコンビニのATMで、クレジットカードを使い、明日までの資金を引き出した。
この店が一番数が多くて、そして信用できる。

チャガルチに戻ったのはもう夜遅かったが、店はまだ開いている。
高さんの言葉を確かめるために、目に着いた店に飛び込んだ。
店のおばさんの対応は、ぶっきらぼうなものであった。
メニューの間に、料理の写真が飾られていた。
「イゴスン？」
単に日本的に「これは？」と直訳で聞いただけであるが、完全に通じる。韓国語は、日本語の直訳が通じる言葉なのだ。英語と漢語では、直訳が通じない。
おばさんは、私の問いに、一言だけ答えた。
「カルクッス。」
カルクッスを、頼んだ。
今回の旅行のとどめに、うまかった。
カルクッスとは、要するに細うどんのこと。
エビとアサリの入った、海鮮スープが絶妙の味わいを、出していた。
疲れ切った空きっ腹に、一気に流し込んだ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私も、何かお返しをしなければ、ならない。<br />
私は、本日二度目に、俳句を詠むことにした。<br />
ノートを開いて、一考。<br />
夜の道を、バスが真っ直ぐに通る。外は、真っ暗であった。</p>
<blockquote><p>
椿恋し<br />
韓日（ハニル）の道に<br />
花を敷け<br />
親愛なるPark君へ　2009.2.21</p></blockquote>
<p>わざと、難しい漢字を多用した。<br />
漢字は、日本の言葉だからだ。読めなければ、日本が分からない。<br />
パク君ならば、きっとこの句の漢字を読むことを、試みてくれるであろう。<br />
私はそう思って、影島で見た椿の花を思い出して、句を読んだ。<br />
パク君からも、別れのあいさつ文をもらった。<br />
今、訳している最中だが、まだ十分に解読できないでいる。<br />
お金で買ったものではなく、ただ一本のペンで書いたちょっとした文章が、心のこもった交流となるものだ。<br />
パク君は、ご両親の住まう馬山で、バスを降りていった。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/050.jpg"><img alt="050.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/050-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
釜山に着いたのは、午後十時。<br />
いやー、よく帰ってこれたなあ。<br />
夜の沙上のバスターミナルが、愛しく思えた。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/051.jpg"><img alt="051.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/051-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
このコンビニのATMで、クレジットカードを使い、明日までの資金を引き出した。<br />
この店が一番数が多くて、そして信用できる。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/052.jpg"><img alt="052.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/052-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
チャガルチに戻ったのはもう夜遅かったが、店はまだ開いている。<br />
高さんの言葉を確かめるために、目に着いた店に飛び込んだ。<br />
店のおばさんの対応は、ぶっきらぼうなものであった。<br />
メニューの間に、料理の写真が飾られていた。<br />
「イゴスン？」<br />
単に日本的に「これは？」と直訳で聞いただけであるが、完全に通じる。韓国語は、日本語の直訳が通じる言葉なのだ。英語と漢語では、直訳が通じない。<br />
おばさんは、私の問いに、一言だけ答えた。<br />
「カルクッス。」<br />
カルクッスを、頼んだ。<br />
今回の旅行のとどめに、うまかった。<br />
カルクッスとは、要するに細うどんのこと。<br />
エビとアサリの入った、海鮮スープが絶妙の味わいを、出していた。<br />
疲れ切った空きっ腹に、一気に流し込んだ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十四</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 09:47:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[パク君の横に座って、私は事情を説明しようとした。
私は、書いた。
&#8220;I got 2,000W from you,so I&#8217;ll give 1,000yen to you.Go to exchange store and get wong equivalent to what you gave me. Thank you!&#8221;
本当は、ウォンの英語表記は&#8221;won&#8221;なのであるが、私がこのとき書いた文字をそのまま記す。日本語の感覚では、韓国語で「ン」で終わる単語の末尾が&#8221;n&#8221;なのか&#8221;ng&#8221;なのかが、とっさに判断できない。
パク君は、「ちょっと待って。」と言いながら、携帯を出す。
携帯で、英語ができる友だちを、呼び出す。
私と、その友だちとで、長々と会話した。
電話のこちらと向こうの二人とも、英語は話せるとはいっても、大したことはない。
なんとか互いの理解に、到達することができた。
私の出した千円札を、両替してほしいと私が思っていると、パク君は思っていたようだ。
だから、両替は難しい、と彼は何度も言っていた。
パク君は、途中で降りるのだから両替所に行って返すことができない、と言いたかったのであろう。
私は、この千円札一枚が今の相場でだいたい一万五千ウォンに相当することを説明して、残余の分がもし出たとしたら、それは助けてくれたお礼だ、と何とか伝えた。
私は、トラブルの経緯を、彼に説明しようとした。
&#8220;convenience store&#8221;と書いたが、読んでくれなかった。
「だったら、、、」
私は、この言葉を、漢語で書いた。韓国のたいていのコンビニには、英語と共に漢語が看板に書かれている。
－便利店。
漢字（ハンジャ）では、便宜店（ピョニジョム）。漢語と、ほとんど同じ意味だ。
だが、パク君は、この字を読めなかった。
パク君は若いが、私への対応は極めて丁寧であった。その上、教養があると見て取った。だからしかるべき教育を受けているはずだと私は思ったのであるが、その彼が我ら日本人にとっては簡単に思える漢字を、読めない。
以前慶州で会った白皙の青年は、最近の若者は昔よりも漢字が読めると、言っていた。しかし、現状は残念ながら、漢字で筆談ができる状態にはないことが、彼を通じてわかった。本にも、TVにも、漢字は決して出てこないのだ。新聞には固有名詞にだけ部分的にあるものの、たぶん誰も読んでいないのであろう。
結局、「ファミリーマート、セブンイレブンのことだよ」と私が言って、理解してくれた。この二店は、韓国にもいっぱいある。
パク君は、大宇（デウ）に勤めている。大宇の造船所が、巨済島の玉浦（オッポ）にある。
今日の彼は、ご両親のところに帰省する、途上であった。彼のご両親の家は、釜山の手前の、馬山（マサン）にある。
私は、ガイドブックを開いて、馬山の名所を見ようとした。
だが、馬山の項目が、なかった。
「残念！ないね。」
「なんにも、ない街ですよ。」
パク君は、笑った。
私は彼に、日本に来たことがあるかどうか、聞いた。
「ありません。」
彼は、まだ海外旅行の経験が、なかった。
私は、京都近辺の地図を書いて、説明した。
「ここが、京都だ。今、私が住んでいる。これが、琵琶湖。日本で一番大きな、湖だ。これが、大阪。私の、出身地だ。」
私は、京都のことについて、説明した。
「京都でよいのは、春と秋。春ならば、サクラ。秋ならば、紅葉。この季節が、最も美しい。君も機会があれば、来ておくれよ。私が、案内してあげるよ。」
サクラは韓国語で、「벚꽃」という。
チェさんは発音できるが、私にはまだできない。
「韓国語の発音は、難しいよ。」
私はガイドブックをめくって、韓国の餅を指差した。
「떡、ですね。」
パク君は、声をかすれさせて口を大きく開き、発音してみせた。
「これが、日本語で表すと、トックだ。ぜんぜん、違う。日本語は、発音が単純すぎるんだよ。」
韓国語は、やはり難しい。
発音もそうなのだが、語彙の圧倒的多数を占める漢字に対応する読みを、いちいち覚えていかなくてはならない。
もし、彼らが今でも漢字を使っていたならば、彼らの書き記す言葉は、日本人にとって八割方、わかるはすだ。
－私は、貴方の会社を、訪問します。
－저는 當身의 會社를 訪問합니다．
なるたけ漢字を使うように注意すれば、こんなにも似ている。「當身」が「あなた」であることさえ知っていれば、文法はそっくりなほどに、似ているのだ。惜しい。
だが、もうここまで漢字を捨ててしまった以上、彼らが漢字を学び直すことは、残念ながら不可能であろう。北朝鮮では、もう漢字が一切学ばれていないのだ。
パク君の携帯には翻訳マシーンが付いていて、彼が操作して選択した韓国語の文を、日本語に翻訳できる。私とパク君は、それを用いて簡単なやりとりをした。ちなみに私の携帯は1円携帯で、翻訳機能がない。今回の旅行、翻訳機能のある携帯を持参していたら、もうすこし楽だったであろう。しかし、私は、この時パク君と何度かやり取りしたような、携帯のしゃべるアナウンサー言葉で応対するようなコミュニーケションのやり方に、正直言って嫌悪感を持つ。人間と人間とは、自分の口から発する言葉で語り合わなければならない。
この携帯をもう少し進化させて、携帯のカメラを例えば看板などにかざすと読み取って訳文を表示できる、機能を開発すればよい。そうすれば韓国語の文法と日本語の文法は酷似しているから、同音異義語を修正していけば、かなり近い翻訳に到達できるはずだ。今よりも格段に、街が歩きやすくなる。電車やバス停、銀行や店で、迷うことがなくなる。日本のメーカーさん、あるいは韓国のメーカーさん。開発して、ください。
私は、ガイドブックの料理のページを開いて、言った。
「韓国の料理は、うまいよ。一人旅行だから、プルコギは食べなかったけれどね。スンドゥブチゲ、テンジャンチゲ、ヘジャングッ、ソルロンタン、ナッチポックム、ポリパプ、、、」
パク君は、「ポリパプは、まずいですよ。」と、首を振って否定した。
それから、彼は言った。
「日本料理は、うまい。スシが、うまい。」
彼は親指を立てた。
私は、紙に「寿司」の字を書いた。
私は、つけ加えた。
「それから、ラーメン。」
「あ。ラミョンですね。」
パク君は、うなずいた。
私は「拉麺」という、この込み入った文字を、紙の上に書いた。
私は、この国の人たちが漢字を使ってくれないことの淋しさを、このとき字を書いてまぎらわしていたのかもしれない。
バスの道中は、長い。
パク君が、手元で何か、作っていた。
「どうぞ。」
彼は、私に渡してくれた。

千ウォンを畳んで作ってくれた、ハート。
これを見ただけで、この馬山の一青年が、いかに心の温かい人間であるかが、わかるだろう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>パク君の横に座って、私は事情を説明しようとした。<br />
私は、書いた。<br />
&#8220;I got 2,000W from you,so I&#8217;ll give 1,000yen to you.Go to exchange store and get wong equivalent to what you gave me. Thank you!&#8221;<br />
本当は、ウォンの英語表記は&#8221;won&#8221;なのであるが、私がこのとき書いた文字をそのまま記す。日本語の感覚では、韓国語で「ン」で終わる単語の末尾が&#8221;n&#8221;なのか&#8221;ng&#8221;なのかが、とっさに判断できない。<br />
パク君は、「ちょっと待って。」と言いながら、携帯を出す。<br />
携帯で、英語ができる友だちを、呼び出す。<br />
私と、その友だちとで、長々と会話した。<br />
電話のこちらと向こうの二人とも、英語は話せるとはいっても、大したことはない。<br />
なんとか互いの理解に、到達することができた。<br />
私の出した千円札を、両替してほしいと私が思っていると、パク君は思っていたようだ。<br />
だから、両替は難しい、と彼は何度も言っていた。<br />
パク君は、途中で降りるのだから両替所に行って返すことができない、と言いたかったのであろう。<br />
私は、この千円札一枚が今の相場でだいたい一万五千ウォンに相当することを説明して、残余の分がもし出たとしたら、それは助けてくれたお礼だ、と何とか伝えた。<br />
私は、トラブルの経緯を、彼に説明しようとした。<br />
&#8220;convenience store&#8221;と書いたが、読んでくれなかった。<br />
「だったら、、、」<br />
私は、この言葉を、漢語で書いた。韓国のたいていのコンビニには、英語と共に漢語が看板に書かれている。<br />
－便利店。<br />
漢字（ハンジャ）では、便宜店（ピョニジョム）。漢語と、ほとんど同じ意味だ。<br />
だが、パク君は、この字を読めなかった。<br />
パク君は若いが、私への対応は極めて丁寧であった。その上、教養があると見て取った。だからしかるべき教育を受けているはずだと私は思ったのであるが、その彼が我ら日本人にとっては簡単に思える漢字を、読めない。<br />
以前慶州で会った白皙の青年は、最近の若者は昔よりも漢字が読めると、言っていた。しかし、現状は残念ながら、漢字で筆談ができる状態にはないことが、彼を通じてわかった。本にも、TVにも、漢字は決して出てこないのだ。新聞には固有名詞にだけ部分的にあるものの、たぶん誰も読んでいないのであろう。<br />
結局、「ファミリーマート、セブンイレブンのことだよ」と私が言って、理解してくれた。この二店は、韓国にもいっぱいある。<br />
パク君は、大宇（デウ）に勤めている。大宇の造船所が、巨済島の玉浦（オッポ）にある。<br />
今日の彼は、ご両親のところに帰省する、途上であった。彼のご両親の家は、釜山の手前の、馬山（マサン）にある。<br />
私は、ガイドブックを開いて、馬山の名所を見ようとした。<br />
だが、馬山の項目が、なかった。<br />
「残念！ないね。」<br />
「なんにも、ない街ですよ。」<br />
パク君は、笑った。<br />
私は彼に、日本に来たことがあるかどうか、聞いた。<br />
「ありません。」<br />
彼は、まだ海外旅行の経験が、なかった。<br />
私は、京都近辺の地図を書いて、説明した。<br />
「ここが、京都だ。今、私が住んでいる。これが、琵琶湖。日本で一番大きな、湖だ。これが、大阪。私の、出身地だ。」<br />
私は、京都のことについて、説明した。<br />
「京都でよいのは、春と秋。春ならば、サクラ。秋ならば、紅葉。この季節が、最も美しい。君も機会があれば、来ておくれよ。私が、案内してあげるよ。」<br />
サクラは韓国語で、「벚꽃」という。<br />
チェさんは発音できるが、私にはまだできない。<br />
「韓国語の発音は、難しいよ。」<br />
私はガイドブックをめくって、韓国の餅を指差した。<br />
「떡、ですね。」<br />
パク君は、声をかすれさせて口を大きく開き、発音してみせた。<br />
「これが、日本語で表すと、トックだ。ぜんぜん、違う。日本語は、発音が単純すぎるんだよ。」<br />
韓国語は、やはり難しい。<br />
発音もそうなのだが、語彙の圧倒的多数を占める漢字に対応する読みを、いちいち覚えていかなくてはならない。<br />
もし、彼らが今でも漢字を使っていたならば、彼らの書き記す言葉は、日本人にとって八割方、わかるはすだ。</p>
<blockquote><p>－私は、貴方の会社を、訪問します。</p></blockquote>
<blockquote><p>－저는 當身의 會社를 訪問합니다．</p></blockquote>
<p>なるたけ漢字を使うように注意すれば、こんなにも似ている。「當身」が「あなた」であることさえ知っていれば、文法はそっくりなほどに、似ているのだ。惜しい。<br />
だが、もうここまで漢字を捨ててしまった以上、彼らが漢字を学び直すことは、残念ながら不可能であろう。北朝鮮では、もう漢字が一切学ばれていないのだ。<br />
パク君の携帯には翻訳マシーンが付いていて、彼が操作して選択した韓国語の文を、日本語に翻訳できる。私とパク君は、それを用いて簡単なやりとりをした。ちなみに私の携帯は1円携帯で、翻訳機能がない。今回の旅行、翻訳機能のある携帯を持参していたら、もうすこし楽だったであろう。しかし、私は、この時パク君と何度かやり取りしたような、携帯のしゃべるアナウンサー言葉で応対するようなコミュニーケションのやり方に、正直言って嫌悪感を持つ。人間と人間とは、自分の口から発する言葉で語り合わなければならない。<br />
この携帯をもう少し進化させて、携帯のカメラを例えば看板などにかざすと読み取って訳文を表示できる、機能を開発すればよい。そうすれば韓国語の文法と日本語の文法は酷似しているから、同音異義語を修正していけば、かなり近い翻訳に到達できるはずだ。今よりも格段に、街が歩きやすくなる。電車やバス停、銀行や店で、迷うことがなくなる。日本のメーカーさん、あるいは韓国のメーカーさん。開発して、ください。<br />
私は、ガイドブックの料理のページを開いて、言った。<br />
「韓国の料理は、うまいよ。一人旅行だから、プルコギは食べなかったけれどね。スンドゥブチゲ、テンジャンチゲ、ヘジャングッ、ソルロンタン、ナッチポックム、ポリパプ、、、」<br />
パク君は、「ポリパプは、まずいですよ。」と、首を振って否定した。<br />
それから、彼は言った。<br />
「日本料理は、うまい。スシが、うまい。」<br />
彼は親指を立てた。<br />
私は、紙に「寿司」の字を書いた。<br />
私は、つけ加えた。<br />
「それから、ラーメン。」<br />
「あ。ラミョンですね。」<br />
パク君は、うなずいた。<br />
私は「拉麺」という、この込み入った文字を、紙の上に書いた。<br />
私は、この国の人たちが漢字を使ってくれないことの淋しさを、このとき字を書いてまぎらわしていたのかもしれない。<br />
バスの道中は、長い。<br />
パク君が、手元で何か、作っていた。<br />
「どうぞ。」<br />
彼は、私に渡してくれた。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/067.jpg"><img alt="067.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/067-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
千ウォンを畳んで作ってくれた、ハート。<br />
これを見ただけで、この馬山の一青年が、いかに心の温かい人間であるかが、わかるだろう。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Korea!2009/02/21その十三</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 08:47:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[もう、最後の手段を、使うことにした。
－借りよう。
バスに同乗する誰かから借りて、釜山で返す。釜山ならば、コンビニはいっぱいある。
乗ろうとする人を、捕まえる。
「タンシヌン　プサンヘ　カムニッカ？」
その人は、首を横に振った。
だめだ。この人は、途中で降りる。
もう一人、若い男性が、来た。
二十九歳の大宇（デウ）社員、Park（パク）君だ。
彼にも、聞く。
彼は、首を横に振った。
バスの運転手は、気が荒い。
「なにしとるか！はよ乗らんかい！もう、出発時刻やっちゅーねん。」
言っていることはわからないが、きっとこんなことを私に言っているに、違いない。
「一万五千ウォン、出せ！」
運転手は、私に強要する。
私は、財布の中に一万三千ウォンしかないことを、示した。
「金、ないやとぉ？帰れ！帰れ！」
言っていることはさっぱり分からないが、間違いなくこう言っているに違いないことが、表情から分かった。
パク君に、急いで英語で、告げる。
「頼みます！二千ウォン、これと交換してください！」
私は、日本円の千円札を一枚、取り出した。
ついに、出発時刻だ。
パク君は、英語があまりうまくない。
押し問答しながらも、二千ウォンを、出してくれた。
運転手は、パク君の二千ウォンと私の一万三千ウォンを、引っ掴むように取り上げた。
プリプリしながらも、運転手はバスを発車させた。
最終便に乗ることに、成功した。
冷や汗が、出たぜ。こんな僻地では、カードで泊まることすら、難しかっただろう。
あの高級ホテルならば泊まることができたろうが、高いだろうし、その上明日の飛行機は朝の便だから、たぶん乗れなかったに違いない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もう、最後の手段を、使うことにした。<br />
－借りよう。<br />
バスに同乗する誰かから借りて、釜山で返す。釜山ならば、コンビニはいっぱいある。<br />
乗ろうとする人を、捕まえる。<br />
「タンシヌン　プサンヘ　カムニッカ？」<br />
その人は、首を横に振った。<br />
だめだ。この人は、途中で降りる。<br />
もう一人、若い男性が、来た。<br />
二十九歳の大宇（デウ）社員、Park（パク）君だ。<br />
彼にも、聞く。<br />
彼は、首を横に振った。<br />
バスの運転手は、気が荒い。<br />
「なにしとるか！はよ乗らんかい！もう、出発時刻やっちゅーねん。」<br />
言っていることはわからないが、きっとこんなことを私に言っているに、違いない。<br />
「一万五千ウォン、出せ！」<br />
運転手は、私に強要する。<br />
私は、財布の中に一万三千ウォンしかないことを、示した。<br />
「金、ないやとぉ？帰れ！帰れ！」<br />
言っていることはさっぱり分からないが、間違いなくこう言っているに違いないことが、表情から分かった。<br />
パク君に、急いで英語で、告げる。<br />
「頼みます！二千ウォン、これと交換してください！」<br />
私は、日本円の千円札を一枚、取り出した。<br />
ついに、出発時刻だ。<br />
パク君は、英語があまりうまくない。<br />
押し問答しながらも、二千ウォンを、出してくれた。<br />
運転手は、パク君の二千ウォンと私の一万三千ウォンを、引っ掴むように取り上げた。<br />
プリプリしながらも、運転手はバスを発車させた。<br />
最終便に乗ることに、成功した。<br />
冷や汗が、出たぜ。こんな僻地では、カードで泊まることすら、難しかっただろう。<br />
あの高級ホテルならば泊まることができたろうが、高いだろうし、その上明日の飛行機は朝の便だから、たぶん乗れなかったに違いない。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Korea!2009/02/21その十二</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 08:14:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[
降ろしてくれたは、いいものの、、、
ここ、どこだ？
チェさんは運転手に、バスターミナルで降ろしてくれるように、言ってくれたはずなのだが。

げっ！
ここは、フェリーターミナルだ。
長承浦、フェリーターミナル。
あわてて、ガイドブックを出す。
今、もう時間は午後六時。
最終便が、すでに出てしまっていた。
ターミナルの中は、誰もいない。
チェさんが、乗っていたバスの運転手のことを能なし呼ばわりして、「この運転手、まるで○○人だ。」とクサしていたが。
私は、彼のブラックユーモアに苦笑していたものだが、、、
バスターミナルで、降ろしてくれなかった。
バスの、最終便時間を調べる。
七時前で、最終便が尽きてしまう。
巨済島は、統営よりさらに先にある、僻地だ。バスで、釜山まで三時間かかる。
見回しても、コンビニ一つ、ありはしない。
、、、急げ！バスターミナルに。
酔いが、全てふっとんだ。
ガイドブックの地図が、あてにならない。
歩けども、歩けども、手掛かりが掴めない。
しようがないから、途上にあった高級そうなホテルのフロントさんに、英語でバスターミナルまでの道を聞く。
「バスターミナルまでなら、歩けば50分かかりますよ。」
だめだ！着かない。
「タクシーを、使いなさい。掴まえて、あげましょう。」
フロントさんは、私をホテルの入り口まで連れて行ってくれて、タクシーを呼び止めて行き先を運転手に指示してくれた。
またも、人情に救われた。ありがとう。
タクシーに、乗る。
着く。
バスターミナルは、おんぼろだ。カードなんか使えないという空気が、流れている。
だが、釜山行きのバスは、きれいなものだ。
バスの運転手に、料金を聞く。
「マノチョノォン。」
一万、五千、ウォン。
手元の、財布の中。
さっきタクシーに乗ったため、一万三千ウォンしかない。
足りない！
コンビニ、、、コンビニ、、、
このバスターミナルも、思いっきり僻地だ。
コンビニが、一つしかない。
見慣れたデザインの、ファミマが一つだけ。
入る。
ATMを、操作する。
英語は、あったが―
使えるカードは、アメックスだけ。
手に握り締めているのは、VISAカードだった。
私はがっくりと、うなだれた。
私は店員を捉まえて、「他にコンビニ、ないか？」と英語で聞いたが、店員は英語を全く理解してくれない。
コンビニの韓国語は「편의점」（ピョニジョム、便宜店）なのであるが、こんな単語、この時の私の頭の中には入っていない。
聞くのを、あきらめた。
走り出して、銀行を探す。
あったのは、恨み重なる、私のカードを二度にわたって門前払いを食らわせたあの銀行が、ただ一つ。
道が、閉ざされた。
もう、明日の便には、乗れないのか、、、
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/045.jpg"><img alt="045.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/045-thumb.jpg" width="200" height="150" /></a><br />
降ろしてくれたは、いいものの、、、<br />
ここ、どこだ？<br />
チェさんは運転手に、バスターミナルで降ろしてくれるように、言ってくれたはずなのだが。<br />
<a href="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/044.jpg"><img alt="044.jpg" src="http://suzumoto.s217.xrea.com/suzumoto/korea/0221/044-thumb.jpg" width="250" height="187" /></a><br />
げっ！<br />
ここは、フェリーターミナルだ。<br />
長承浦、フェリーターミナル。<br />
あわてて、ガイドブックを出す。<br />
今、もう時間は午後六時。<br />
最終便が、すでに出てしまっていた。<br />
ターミナルの中は、誰もいない。<br />
チェさんが、乗っていたバスの運転手のことを能なし呼ばわりして、「この運転手、まるで○○人だ。」とクサしていたが。<br />
私は、彼のブラックユーモアに苦笑していたものだが、、、<br />
バスターミナルで、降ろしてくれなかった。<br />
バスの、最終便時間を調べる。<br />
七時前で、最終便が尽きてしまう。<br />
巨済島は、統営よりさらに先にある、僻地だ。バスで、釜山まで三時間かかる。<br />
見回しても、コンビニ一つ、ありはしない。<br />
、、、急げ！バスターミナルに。<br />
酔いが、全てふっとんだ。<br />
ガイドブックの地図が、あてにならない。<br />
歩けども、歩けども、手掛かりが掴めない。<br />
しようがないから、途上にあった高級そうなホテルのフロントさんに、英語でバスターミナルまでの道を聞く。<br />
「バスターミナルまでなら、歩けば50分かかりますよ。」<br />
だめだ！着かない。<br />
「タクシーを、使いなさい。掴まえて、あげましょう。」<br />
フロントさんは、私をホテルの入り口まで連れて行ってくれて、タクシーを呼び止めて行き先を運転手に指示してくれた。<br />
またも、人情に救われた。ありがとう。<br />
タクシーに、乗る。<br />
着く。<br />
バスターミナルは、おんぼろだ。カードなんか使えないという空気が、流れている。<br />
だが、釜山行きのバスは、きれいなものだ。<br />
バスの運転手に、料金を聞く。<br />
「マノチョノォン。」<br />
一万、五千、ウォン。<br />
手元の、財布の中。<br />
さっきタクシーに乗ったため、一万三千ウォンしかない。<br />
足りない！<br />
コンビニ、、、コンビニ、、、<br />
このバスターミナルも、思いっきり僻地だ。<br />
コンビニが、一つしかない。<br />
見慣れたデザインの、ファミマが一つだけ。<br />
入る。<br />
ATMを、操作する。<br />
英語は、あったが―<br />
使えるカードは、アメックスだけ。<br />
手に握り締めているのは、VISAカードだった。<br />
私はがっくりと、うなだれた。<br />
私は店員を捉まえて、「他にコンビニ、ないか？」と英語で聞いたが、店員は英語を全く理解してくれない。<br />
コンビニの韓国語は「편의점」（ピョニジョム、便宜店）なのであるが、こんな単語、この時の私の頭の中には入っていない。<br />
聞くのを、あきらめた。<br />
走り出して、銀行を探す。<br />
あったのは、恨み重なる、私のカードを二度にわたって門前払いを食らわせたあの銀行が、ただ一つ。<br />
道が、閉ざされた。<br />
もう、明日の便には、乗れないのか、、、</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Korea!2009/02/21その十一</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 03:13:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[韓国旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[青馬紀念館を、バスは出た。
私は、バスの車中で、チェさんに言った。
「韓国と日本は、EUのように通貨統合するべきだと、思います。それは、できるはずです。そして、しなければならないと、思います。」
チェさんは、答えた。
「私は、韓国の詩と日本の詩を、繋げたいと思っている。私は、日本語を学びたい。君も、韓国語を学んでほしい。私には、詩で両国を繋ぐ、夢がある。君には、政治で両国を繋ぐ、夢がある。必ず、できるよ。だがお金だけでは、だめだ。ハートが、伴わなくてはならない。日本の石原都知事だって、文学者じゃないか。」
私は、言った。
「本当は、台湾も加えたい。だが、今の台湾に手を差し伸べると、中国が怒る。だから、現状では残念ながら、できない。」
チェさんは、答えた。
「台湾は、忘れな。むしろ、仲間とするべきは、オーストラリアとニュージーランドだ。」
帰国して、この構想を夕映舎氏に話したら、彼は批評した。
「しかし―」
もう、泥酔に近い雨の夜に、彼は言った。
「いずれ、中国と台湾までも、仲間に入れなければならん。それは、分かり切ったことや。すぐに急いては、できんよ。できることから、順々にやっていけば、ええんや。構想を、持つ。戦略を、持たんといかん。日本なんか、北方四島の問題だけで、なんであんなにワーワーいうとるねん。国の面子が、そんなに大事なんかい。択捉をあきらめて、それでロシアと仲良くなれる利益が、なんで分からんのかい。」
二人の意見を、並列しておいた。
しかし、二人が共に、「ひとが大事」だと思っていることだけは確かであることが、私には分かった。
チェさんは、言った。
「そして、私の夢 &#8211; 南北の、統一。」
彼は、拳を握り締めて、力を込めた。
私は、この旅行をする前には、現実問題として南北の統一はとても無理なのではないか、と思っていた。
ヨーロッパの最富裕国であるドイツですら、東の建て直しのために、予想を越える巨額の資金と、長い年月を必要とした。統一から19年経った現在でも、いまだに旧東ドイツは経済が停滞し、失業率が西よりうんと高い。
現在の北朝鮮は、統一直前の東ドイツとは比較にならないほどに、貧しい。
その上、旧東ドイツの統一直前には、ある程度西側の情報を入手できる環境があった。現在の北朝鮮は、全く閉ざされている。住民は、おそらく第二次大戦直後の常識を現在まで引きずったまま、生きている。ビジネスに、全く慣れていない。
それらの状況を考えたとき、韓国の国力では、とても北朝鮮と統一することは、夢物語ではないかと、思っていた。
だが、私は分かった。
チェさんの言葉で、分かった。帰国後、韓国の文学に親しんで、理解した。
南北の統一は、彼らにとって捨てることができない。
あきらめろ、などと、今の私には、とても彼らに言うことができない。
長い時間が、かかるであろう。
この国の人たちは、ガッツがある。そして、根が非常に勤勉である。だから、時間をかければ、北を建て直すことも、できるだろう。
しかし、かつての西ドイツに比べて大きく国力の劣る韓国が、かつての東ドイツに比べて絶望的なまでに遅れている北朝鮮を建て直すためには、残念ながら一国では力が足りない。もし急いてやろうとすれば、この国は大混乱に陥るに、違いない。
日本が、乗り出すべきなのだ。
南北合わせれば、おおよそ七千万人の国民である。日本にとって、大きく市場が広がる。いま衰退している西日本が、間違いなく活性化する。九州は、日本の他の大都市に行くよりも、ずっと韓国に近い。山陰からは、船を使えばあっという間に釜山に行くことができる。四国は日本で孤立しているが、韓国を視野に入れれば、水路でも空路でも近くにある。済州島を愛する韓国人にとって、四国は済州島をちょうど十倍にしたような、光と緑が豊かな島ではないか。私の郷里の大阪には、在日の方々がたくさんいる。大きなコリアン・タウンが、生野にある。そして、関西空港から釜山金海空港までは、たった1時間30分しかかからない。機内食すら、簡単なサンドウィッチでおしまいなほどに、旅程が短い。
韓国にとっては、もっとよい。一億二千七百万人の市場に、アクセスできるのだ。一世代もしないうちに、日本に等しい所得水準に、跳ね上がることであろう。そうして金の余裕ができれば、統一もやりやすくなる。
韓国人は日本料理を好んでいるから、言葉の問題さえ乗り越えることができれば、彼らにとって日本はまことに旅行しやすい国となるのだ。日本人も、しかり。日本人がもっと韓国で目立つようになれば、食堂は日本人向けに辛くないメニューを用意してくれるように、必ずなる。韓国料理は、辛さだけを取ってしまえば、日本料理と完全に合い通じる。日本料理は、魚料理が優れている。韓国料理は、肉料理と野菜が、優れている。
だが、パスポートの撤廃までは、南北の統一まで無理かもしれない。日本には、北朝鮮の体制を支持する団体に属する方々が、住んでいる。彼ら、彼女らが支持しているとされる体制は、現在の韓国にとって、敵国である。日韓同盟は、日本に住む彼ら、彼女らを追い詰めることに、なるかもしれない。しかし、あの体制は、もう二十一世紀にまで続けてはならない。いにしえの高句麗（コグリョ）の土地に住まう二千万人の人間たちのために、ならない。私は、大慈悲の心をもって、あの体制を追い詰めるために、日韓同盟を進めるべきだと、主張したい。
現在のところ、日韓の両国民は、外国人と付き合う道を知らない。危険なほどに、知らない。この両国の「内向き症候群」を治癒するために、実は最も近い文明を持っている両国民は、通貨を統合し、領土問題を解決して、将来の半島統一のために、政治同盟を結ぶのだ。
通貨単位は、私は「両」が、よいと思う。
「両」は中国から日韓が共通に受け取った、重量と貨幣の単位である。かつては、両国共に、「両」が貨幣単位であった。日本の「両（りょう）」は、徳川時代東日本の、金貨単位としてであった。韓国の「両（ヤン、数字の後ではニャン）」は、短期間であったものの、李朝において1892年から1902年までの間の、最高通貨単位であった。
この新通貨のシンボルは、現行の円が使っている&#8221;￥&#8221;を流用したほうが、よいであろう。
その方が、すでに国際通貨である円の表記を、世界中で修正せずに使うことができて、パソコンとインターネットに優しい。外国に対して、信が立つ。そうしてこのシンボルの英語表記を、&#8221;Yen&#8221;から&#8221;Yan&#8221;に代えるのだ。シンボルは、日本のものを使う。読み方は、韓国のものを使う。両成敗で、ちょうどよい。
もちろん、統一通貨を自国では「エン」と呼んだり、「ウォン」と呼び続けたりしても、一向にかまわない。しかし、紙幣には日本語と韓国語を並べて、「一万両」「일만냥」を併記する。普段使う通貨から、親しみ合うのだ。そうやって、隣の島に行く感覚で外国に通うようにして、外国知らずの両国の精神を、鍛え直すのだ。
こうして交流をEU諸国なみに深めれば、両国民はまず外国人と付き合う方法のイロハを、学ぶことができる。そしてその段階を乗り越えることができたならば、さらに異質の文明である中国やロシア、西洋諸国とも付き合える感覚が、一世代もすれば育てられるであろう。
私は、帰国してから夕映舎氏に、一つの構想を述べた。
「釜山から対馬、壱岐、博多にかけて、トンネルを掘るのだ。そうして、JRとKorailが合同開発した新・新幹線を、ソウルまで伸ばす。東京とソウルを、一本の電車で繋ぐのだ。ゆくゆくは、ピョンヤンまで伸ばす。」
夕映舎氏は、付け加えた。
「その先には、北京や。東京から、北京まで、新幹線。」
私は、その説にうなずいた後に、言った。
「しかし、どうせトンネルを掘るのならば、電車と車道だけでは、もったいない。自転車と、歩いて渡れる道まで、作るのだよ。韓国の人々は、歩くのが大好きだ。地下のトンネルに、10kmごとに休憩所を作って、歩いて九州旅行ができるように、設備を作る。その途上の対馬と壱岐には、歓待する施設を作るのだ。控え目で、なおかつ清潔なやつがよい。韓国人は、日本人と美意識が非常に似通っているから、日本流の美意識をもってリゾート地を作れば、彼らはきっと喜んでくれる。」
夕映舎氏は、言った。
「そやな。かつては、青函トンネルも、夢物語やった。それをやり遂げた日本の技術やから、やると決めたら、日韓トンネルを必ず作ることが、できるやろ。」
そして、私は言った。
「そうして、ゆくゆくは今の北朝鮮の清津（チョンジン）から始まって、日本の青森まで渡る、日韓自転車レースを、開催するのだ。それを中継すれば、いかに自分たちの文明圏が、雄大な山河を持っているかを、心で分かることができるだろう。日本も韓国も、小国ではない。しかし、分かれているから、両方共に、中途半端なのだ。両方が同盟すれば、これはもう大文明圏なのだ。」
両国の間の海は、韓国詩で必ず「東海（トンへ）」と呼ばれている。
だから、彼らにこの海を「日本海（イルボネ）」と呼べと、言ってはならない。
しかし、我々は、この海を&#8221;East Sea&#8221;などと、呼ぶ必要は全くない。日本の、西にあるからだ。この海は、我らにとって&#8221;Sea of Japan&#8221;である。英名でどちらの呼称を使うかは、世界が決めればよい。
チェさんは、私に「君は、政治を目指すだろう。」と、言ってくれた。
残念ながら、今の私には、そこまでの勇気がない。
しかし、彼は日本について、言った。
「これから、十年だ。十年の間に、日本はrevolutionを起こさないと、ならない。もしそれがなければ、日本は沈没するよ。」
バスは、巨済島を、進んで行った。
というか、この時の私は話に夢中で、今自分がどこに連れられていくのか、分かっていなかった。
「この出会いのことを、ブログに書いてもいいですか？」
私の問いに、チェさんはOKを出してくれた。
私は、さらに聞いた。
「私は、この旅行のことを、あなたの国に対して99％の&#8221;love&#8221;をもって、書くつもりです。しかし、私は1%だけ、&#8221;critisism&#8221;を入れるでしょう。お嫌ならば、どうか読まないでください。」
チェさんは、そういう私を、遮った。
「いや。50％と、50％だ。この国の、良いと思ったところを、50％。悪いと思ったところを、50％。そうでなくては、ならない。」
私は、彼に感謝した。
チェさんはもっと同行するように、私に勧めてくれた。
しかし、残念ながら、私は明日の朝、日本に戻らなければならない。
「残念ながら、お別れだ。」
バスが、止まった。
私は、チェさんとその一行に、別れの挨拶をして、降りた。
降りた場所のことは、知らなかった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>青馬紀念館を、バスは出た。<br />
私は、バスの車中で、チェさんに言った。<br />
「韓国と日本は、EUのように通貨統合するべきだと、思います。それは、できるはずです。そして、しなければならないと、思います。」<br />
チェさんは、答えた。<br />
「私は、韓国の詩と日本の詩を、繋げたいと思っている。私は、日本語を学びたい。君も、韓国語を学んでほしい。私には、詩で両国を繋ぐ、夢がある。君には、政治で両国を繋ぐ、夢がある。必ず、できるよ。だがお金だけでは、だめだ。ハートが、伴わなくてはならない。日本の石原都知事だって、文学者じゃないか。」<br />
私は、言った。<br />
「本当は、台湾も加えたい。だが、今の台湾に手を差し伸べると、中国が怒る。だから、現状では残念ながら、できない。」<br />
チェさんは、答えた。<br />
「台湾は、忘れな。むしろ、仲間とするべきは、オーストラリアとニュージーランドだ。」<br />
帰国して、この構想を夕映舎氏に話したら、彼は批評した。<br />
「しかし―」<br />
もう、泥酔に近い雨の夜に、彼は言った。<br />
「いずれ、中国と台湾までも、仲間に入れなければならん。それは、分かり切ったことや。すぐに急いては、できんよ。できることから、順々にやっていけば、ええんや。構想を、持つ。戦略を、持たんといかん。日本なんか、北方四島の問題だけで、なんであんなにワーワーいうとるねん。国の面子が、そんなに大事なんかい。択捉をあきらめて、それでロシアと仲良くなれる利益が、なんで分からんのかい。」<br />
二人の意見を、並列しておいた。<br />
しかし、二人が共に、「ひとが大事」だと思っていることだけは確かであることが、私には分かった。<br />
チェさんは、言った。<br />
「そして、私の夢 &#8211; 南北の、統一。」<br />
彼は、拳を握り締めて、力を込めた。<br />
私は、この旅行をする前には、現実問題として南北の統一はとても無理なのではないか、と思っていた。<br />
ヨーロッパの最富裕国であるドイツですら、東の建て直しのために、予想を越える巨額の資金と、長い年月を必要とした。統一から19年経った現在でも、いまだに旧東ドイツは経済が停滞し、失業率が西よりうんと高い。<br />
現在の北朝鮮は、統一直前の東ドイツとは比較にならないほどに、貧しい。<br />
その上、旧東ドイツの統一直前には、ある程度西側の情報を入手できる環境があった。現在の北朝鮮は、全く閉ざされている。住民は、おそらく第二次大戦直後の常識を現在まで引きずったまま、生きている。ビジネスに、全く慣れていない。<br />
それらの状況を考えたとき、韓国の国力では、とても北朝鮮と統一することは、夢物語ではないかと、思っていた。<br />
だが、私は分かった。<br />
チェさんの言葉で、分かった。帰国後、韓国の文学に親しんで、理解した。<br />
南北の統一は、彼らにとって捨てることができない。<br />
あきらめろ、などと、今の私には、とても彼らに言うことができない。<br />
長い時間が、かかるであろう。<br />
この国の人たちは、ガッツがある。そして、根が非常に勤勉である。だから、時間をかければ、北を建て直すことも、できるだろう。<br />
しかし、かつての西ドイツに比べて大きく国力の劣る韓国が、かつての東ドイツに比べて絶望的なまでに遅れている北朝鮮を建て直すためには、残念ながら一国では力が足りない。もし急いてやろうとすれば、この国は大混乱に陥るに、違いない。<br />
日本が、乗り出すべきなのだ。<br />
南北合わせれば、おおよそ七千万人の国民である。日本にとって、大きく市場が広がる。いま衰退している西日本が、間違いなく活性化する。九州は、日本の他の大都市に行くよりも、ずっと韓国に近い。山陰からは、船を使えばあっという間に釜山に行くことができる。四国は日本で孤立しているが、韓国を視野に入れれば、水路でも空路でも近くにある。済州島を愛する韓国人にとって、四国は済州島をちょうど十倍にしたような、光と緑が豊かな島ではないか。私の郷里の大阪には、在日の方々がたくさんいる。大きなコリアン・タウンが、生野にある。そして、関西空港から釜山金海空港までは、たった1時間30分しかかからない。機内食すら、簡単なサンドウィッチでおしまいなほどに、旅程が短い。<br />
韓国にとっては、もっとよい。一億二千七百万人の市場に、アクセスできるのだ。一世代もしないうちに、日本に等しい所得水準に、跳ね上がることであろう。そうして金の余裕ができれば、統一もやりやすくなる。<br />
韓国人は日本料理を好んでいるから、言葉の問題さえ乗り越えることができれば、彼らにとって日本はまことに旅行しやすい国となるのだ。日本人も、しかり。日本人がもっと韓国で目立つようになれば、食堂は日本人向けに辛くないメニューを用意してくれるように、必ずなる。韓国料理は、辛さだけを取ってしまえば、日本料理と完全に合い通じる。日本料理は、魚料理が優れている。韓国料理は、肉料理と野菜が、優れている。<br />
だが、パスポートの撤廃までは、南北の統一まで無理かもしれない。日本には、北朝鮮の体制を支持する団体に属する方々が、住んでいる。彼ら、彼女らが支持しているとされる体制は、現在の韓国にとって、敵国である。日韓同盟は、日本に住む彼ら、彼女らを追い詰めることに、なるかもしれない。しかし、あの体制は、もう二十一世紀にまで続けてはならない。いにしえの高句麗（コグリョ）の土地に住まう二千万人の人間たちのために、ならない。私は、大慈悲の心をもって、あの体制を追い詰めるために、日韓同盟を進めるべきだと、主張したい。<br />
現在のところ、日韓の両国民は、外国人と付き合う道を知らない。危険なほどに、知らない。この両国の「内向き症候群」を治癒するために、実は最も近い文明を持っている両国民は、通貨を統合し、領土問題を解決して、将来の半島統一のために、政治同盟を結ぶのだ。<br />
通貨単位は、私は「両」が、よいと思う。<br />
「両」は中国から日韓が共通に受け取った、重量と貨幣の単位である。かつては、両国共に、「両」が貨幣単位であった。日本の「両（りょう）」は、徳川時代東日本の、金貨単位としてであった。韓国の「両（ヤン、数字の後ではニャン）」は、短期間であったものの、李朝において1892年から1902年までの間の、最高通貨単位であった。<br />
この新通貨のシンボルは、現行の円が使っている&#8221;￥&#8221;を流用したほうが、よいであろう。<br />
その方が、すでに国際通貨である円の表記を、世界中で修正せずに使うことができて、パソコンとインターネットに優しい。外国に対して、信が立つ。そうしてこのシンボルの英語表記を、&#8221;Yen&#8221;から&#8221;Yan&#8221;に代えるのだ。シンボルは、日本のものを使う。読み方は、韓国のものを使う。両成敗で、ちょうどよい。<br />
もちろん、統一通貨を自国では「エン」と呼んだり、「ウォン」と呼び続けたりしても、一向にかまわない。しかし、紙幣には日本語と韓国語を並べて、「一万両」「일만냥」を併記する。普段使う通貨から、親しみ合うのだ。そうやって、隣の島に行く感覚で外国に通うようにして、外国知らずの両国の精神を、鍛え直すのだ。<br />
こうして交流をEU諸国なみに深めれば、両国民はまず外国人と付き合う方法のイロハを、学ぶことができる。そしてその段階を乗り越えることができたならば、さらに異質の文明である中国やロシア、西洋諸国とも付き合える感覚が、一世代もすれば育てられるであろう。<br />
私は、帰国してから夕映舎氏に、一つの構想を述べた。<br />
「釜山から対馬、壱岐、博多にかけて、トンネルを掘るのだ。そうして、JRとKorailが合同開発した新・新幹線を、ソウルまで伸ばす。東京とソウルを、一本の電車で繋ぐのだ。ゆくゆくは、ピョンヤンまで伸ばす。」<br />
夕映舎氏は、付け加えた。<br />
「その先には、北京や。東京から、北京まで、新幹線。」<br />
私は、その説にうなずいた後に、言った。<br />
「しかし、どうせトンネルを掘るのならば、電車と車道だけでは、もったいない。自転車と、歩いて渡れる道まで、作るのだよ。韓国の人々は、歩くのが大好きだ。地下のトンネルに、10kmごとに休憩所を作って、歩いて九州旅行ができるように、設備を作る。その途上の対馬と壱岐には、歓待する施設を作るのだ。控え目で、なおかつ清潔なやつがよい。韓国人は、日本人と美意識が非常に似通っているから、日本流の美意識をもってリゾート地を作れば、彼らはきっと喜んでくれる。」<br />
夕映舎氏は、言った。<br />
「そやな。かつては、青函トンネルも、夢物語やった。それをやり遂げた日本の技術やから、やると決めたら、日韓トンネルを必ず作ることが、できるやろ。」<br />
そして、私は言った。<br />
「そうして、ゆくゆくは今の北朝鮮の清津（チョンジン）から始まって、日本の青森まで渡る、日韓自転車レースを、開催するのだ。それを中継すれば、いかに自分たちの文明圏が、雄大な山河を持っているかを、心で分かることができるだろう。日本も韓国も、小国ではない。しかし、分かれているから、両方共に、中途半端なのだ。両方が同盟すれば、これはもう大文明圏なのだ。」<br />
両国の間の海は、韓国詩で必ず「東海（トンへ）」と呼ばれている。<br />
だから、彼らにこの海を「日本海（イルボネ）」と呼べと、言ってはならない。<br />
しかし、我々は、この海を&#8221;East Sea&#8221;などと、呼ぶ必要は全くない。日本の、西にあるからだ。この海は、我らにとって&#8221;Sea of Japan&#8221;である。英名でどちらの呼称を使うかは、世界が決めればよい。<br />
チェさんは、私に「君は、政治を目指すだろう。」と、言ってくれた。<br />
残念ながら、今の私には、そこまでの勇気がない。<br />
しかし、彼は日本について、言った。<br />
「これから、十年だ。十年の間に、日本はrevolutionを起こさないと、ならない。もしそれがなければ、日本は沈没するよ。」<br />
バスは、巨済島を、進んで行った。<br />
というか、この時の私は話に夢中で、今自分がどこに連れられていくのか、分かっていなかった。<br />
「この出会いのことを、ブログに書いてもいいですか？」<br />
私の問いに、チェさんはOKを出してくれた。<br />
私は、さらに聞いた。<br />
「私は、この旅行のことを、あなたの国に対して99％の&#8221;love&#8221;をもって、書くつもりです。しかし、私は1%だけ、&#8221;critisism&#8221;を入れるでしょう。お嫌ならば、どうか読まないでください。」<br />
チェさんは、そういう私を、遮った。<br />
「いや。50％と、50％だ。この国の、良いと思ったところを、50％。悪いと思ったところを、50％。そうでなくては、ならない。」<br />
私は、彼に感謝した。<br />
チェさんはもっと同行するように、私に勧めてくれた。<br />
しかし、残念ながら、私は明日の朝、日本に戻らなければならない。<br />
「残念ながら、お別れだ。」<br />
バスが、止まった。<br />
私は、チェさんとその一行に、別れの挨拶をして、降りた。<br />
降りた場所のことは、知らなかった。</p>
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