3月23日、JR西日本から、さいぜんに送ったメールに対して、以下の返答があった。
以下に、公開する。
鈴元 仁様
いつもJR西日本をご利用いただきまして、ありがとうございます。
また、ご連絡が遅くなりまして申し訳ございませんでした。
関係部署からの報告に基づき、再度頂戴いたしましたご意見についてご回答させていただきます。
全世界の言語に対応した券売機をご要望とのことですが、多様な国際化に対応するという観点で今後検討してまいりたいと思います。
貴重なご意見をありがとうございました。
今後ともJR西日本をご利用いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
テンプレート、だな。
文面を見るだけで、分かる。
残念ながら、このような慇懃無礼な文書をもらったところで、私は嬉しくもなんともない。
私は、役所時代に、こういうテンプレートの文書を、死ぬほど書かされた。
市民からの苦情に対して、言葉だけ謝るための文書を、送り返すために。
その実態は、何一つ反省していないのだ。それが、大組織というものだ。
JR西日本が、私が知っている大組織と同様でないことを、祈る。たぶん、期待できないだろうが、、、
春のうらゝの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき
見ずや あけぼの露浴びて
われにもの言ふ櫻木を
見ずや 夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき
著名な武島又次郎作詞、滝廉太郎作曲の『花』である。
この歌詞を、英訳してみた。
Sumida River in the right spring,
Boatmen, who come along up and down.
Drops trickling from their rows, scattering like flowers,
How can be explained, this splendid scenery?
Why don’t you look? There’s dawn,
Cherry blossoms talk to us, dressed in dews.
Why don’t you behold? There’s dusk,
Green willows invite us, stretching their hands.
Above a long embankment in the evening dress,
Comes and rises a hazy moon.
Surely are, two hours, worthy of two million pounds!
How can be explained, this splendid scenery?
第三聯の三行目は、直訳しても意味がない。
それで、一刻すなわち二時間を、二百万ポンドに値する、としゃれてみた。
二百万ドルでは、味気ない。金儲けの国アメリカの貨幣単位では、味気ない。
さらに、韓国語に訳しても、みた。
화창한 봄의, 스미다강.
올라 내리는, 뱃사람들의
노의 물방울이, 꽃이 되고, 지다.
이 경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
보지 않았어?새벽의 이슬을 받아
나에게 이야기를 거는 벚꽃나무를.
보지 않았어?황혼에 손을 펴
나를 부르는 푸른 버들을.
비단의 옷을 껴입는 긴
제방 위에 와 오르는, 어슴푸레한 달.
확실히 一刻이 千金인
경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
だいたい、意味は通っていると思う。
第三聯の三行目は、漢字を残さなければならない。
これは、蘇東坡の詩からの引用なのだ。
蘇東坡『春夜』
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管樓台聲細細
鞦韆院落夜沈沈
かつては、彼ら韓国人だって、(漢字が読める階級の人間であれば、の話であるが)この詩を当たり前に、知っていた。
だが今はもう、捨てかけてしまっている。あまりにも、むざんである。
彼らの祖先たちに語りかけるためにも、『一刻千金』の四字熟語は、漢字として訳に残さなければならない。そう考えて、漢字にした。
雨森芳洲『交隣提醒』試訳、今回でいちおう終結。
末尾の段を、訳す。
「誠信の交」と申す言葉を、人々は口に出しますが、たいていはその字義を明らかにしておりません。
誠信と申すのは、「実意」と申すことでございまして、「互イニ欺カズ争ワズ」、真実をもって交わることを、誠信と申すのです。
朝鮮とまことの誠信の交わりを取り行うべきであるとお思いになられるならば、こちらからの送使もまたご辞退なされて、すこしもかの国の接待ご馳走を受けないようになさる時がなくては、まことの誠信とは申しがたいです。その理由は、かの国の書籍を拝見すれば、かれらの底意がどこにあるかが知れるからです。しかしこういう段階に持っていくことは、容易にかなうことではございませんゆえ、現今まで続けて参ったのでございまして、だからかの国でもまた、容易に改めることができそうにありません。そういうわけなので、何とぞ今後は現状に留め置かれながらも、加えて「実意」を見失わないようにお心がけになられるべきで、ございます。
「日本人ハ其ノ性獷悍(こうかん。無礼にて凶暴)ニテ、義ヲ以ッテ屈シ難シ」と申叔舟の文にも、見えます。かの国の幣竇(へいとう。貨幣と通しひも。つまり、費用)は、相当の負担でございますが、送使接待を初め、今まで別状もなく連続しているのは、獷悍の性を恐れられていることから起こることなので、ございます。以降、余威は今やはなはだ薄くなっております。ゆえに、今後の対馬人が、「従前ノ武義」を失い、惰慢の心を持つようになれば、必ずや最前申し上げた「なんとかの木刀」のごとくになりますので、朝鮮関係の幹事の者どもは、そのことよく心得るのが肝要にございます。とにかく、朝鮮の事情をくわしく知らずにいるならば、事に臨んで何の了見も持つことができなくなります。浮説新語がどれぐらい出て来たところで、何の益にもなりません。」それゆえ、『経国大典』『考事撮要』などの書や、阿比留惣兵衛が編じ申し上げた『善隣通交』、松浦儀右衛門が編じ申し上げた『通交大紀』、および分類記事・紀事・大綱を常に熟覧いたして、前後を考え処置いたすべきかと、存じます。
享保十三戊申年十二月二十日
雨森東五郎
この末尾の文は、慎重に読むべきであると、考える。
芳洲は、あくまでも対馬藩主に対して、言上しているのである。
対馬藩は、釜山草梁倭館を一手に運営し、毎年の八送使による貿易により利益を収め、その上藩の使者の接待馳走など、李朝の持ち出しは大きかった。これを李朝と対馬藩の関係から見れば、一方的に恩恵を受けているとみなされる。だから、対馬藩に仕えていた芳洲は、対馬藩主に対して、この不均衡な相互関係の背景について説明し、こちらが「獷悍」ゆえに相手は今まで費用を持ち出しているが、今後藩士たちの性が惰慢に流れ、相手が慣れる風潮がますます昂じてくると、いつなんどきトラブルがあったときに相手のペースに乗せられかねないか分からない、と警告したのである。現状はしかし容易に変えられないのだから、藩主と藩士たちはよく相手国の事情を学んで精通しておき、事あれば理義をもって毅然と応対しなければならないことを、芳洲は最後に説いたのであった。
徳川時代の藩は、あくまでも独立経営体である。
幕府は、諸侯の盟主として、指揮権を行使しているだけであった。
だからこの末尾における藩主への忠告のような文が、書かれたのである。
しかし、日本国全体から見れば、幕府は朝鮮通信使の形で、不定期とはいうものの、大変な費用をはたいて、李朝の使者を接待しているのである。いっぽう、李朝は日本の使者を、釜山の外から一歩も外へ出させようとしない。日本国全体と李朝との外交関係から見れば、通信使への接待と対馬藩への接待で、帳消しであると言うべきだ。何の、不均衡もない。むしろ、日本国の対馬藩に対して李朝が便宜をはかるのは、当然の義務である。もし李朝の側が対馬藩側に何か無理難題を言ってきたのならば、日本国全体の見地から見れば、それは不当な言いがかりである。対馬藩は、言い返してもよいのである。しかし、対馬藩は李朝外交を幕府から請け負う独立経営体として、李朝の恩恵に言い返すことが、なかなか難しい。この辺りが、幕藩体制の複雑怪奇な側面であった。
そこを頭に入れて読むと、どうして李朝がこの泰平の世においても、幕府の使者を漢陽(ソウル)に迎え入れてくれないのかの真意を、読み取ることができる。
-日本人ハ其ノ性獷悍ニテ、義ヲ以ッテ屈シ難シ。
申叔舟の文の引用であるということであるが、これが彼個人の意見であるということは、できない。この書は、芳洲も読むことができた、公式文書である。つまり、李朝の朝廷では、日本人のことをこのように考えていた、というわけなのだ。
儒教の国際秩序において、「交隣」とは、このようなものであった。日本は、儒教秩序から見れば、「化外」の蛮族である。蛮族とは、儒教を採用した「東方礼儀の邦(くに)」の李朝としては、親しく付き合うことなど、できない。わずかに釜山の港で貿易を許してやるから、せいぜいおとなしくしてくれよ、というのが、李朝朝廷の日本政府に対する、真意なのであった。
まことに、残念なことであった。李朝の政界は、この頃完全にイデオロギーでがんじがらめに、自分を縛り付けていたのだ。雨森芳洲と申維翰とは個人的にもずいぶん親しく付き合い、総じて通信使の面々は日本に対して好意的な印象を持っていたにも関わらず、李朝の公式見解は、日本について「義ヲ以ッテ屈シ難シ」であった。
そんな不幸な大状況の外交関係であったが、末尾の芳洲の言葉は、現代にも訴えかける、外交の要点である。
互イニ欺カズ、争ワズ。
真実をもって交わることを、誠信と申す。
対等の、外交である。
対等の人間同士の交わりと同じく、国と国との交わりは、本当はこうでなければならない。
「誠信」とは、儒教の徳目の一、「信」である。
朋友、信アリ。
「信」とは、親子でも夫婦でも兄弟でもない、他人同士が社会の中で交わるときに発動するべき、徳目である。親子や兄弟の関係のように切っても切れないつながりではなく、したがってこちら側が一方的に屈従したり、あるいは相手側から屈従されることを期待することは、できない。あくまでも、ギブ&テイクの関係である。それが、「信」を作り出す。ゆえに、互いに相手のことを尊重し、相手の過ちに対しては黙っておらずにきちんと反論しなければならない。つまり、よき対等の関係である。芳洲は対馬藩との関係の中で語っているゆえに、国家全体の外交関係とは齟齬がある。しかし、外交の原理については、彼ほど的確に言い表すことができた日本人は、今に至るまでも稀ではなかろうか。
戦争中の日本軍の暴虐を考えれば、私は「謝罪する」という言葉を使いたかったが、私は彼らの真情を知りたかったので、できるだけ倫理的な判断から距離を置くために謝るとか、お詫びするという言葉を一回として使わなかった。私の思想も心情も彼らに通じ、彼らによって受け入れられたと私は今でも考えている。というのは、私は翌日の学生の出席者の数は減るのではないかと予想していたが、それは増えこそすれ減ることはなかったからである。最後の二日間は南開大学の元学長も続けて出席してくれたのである。
しかしそれは学生との意志の疎通である。日本軍に苦しめられた一般民衆や、日本軍と戦った軍人たちも代表する江主席は、日本人の歴史理解を曖昧にしたままで両国の関係を先に進ませることができないのは当然である。
(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』(岩波書店)第7章 ただ一つの解決策より。)
今この本を改めて読み返してみると、森嶋氏の構想といま私が抱いている構想は、力点の置きところが少しずれている。
森嶋氏と私が共有している点は、日本・コリア半島・中国文化圏の三者を「東北アジア」と定義して、これを「歴史的文化的にも近く、人種的にも近い隣国だから共同作業が出来る」(pp.155)と考えている点である。森嶋氏は、文化的つながりを共同体の基盤に置いている。ゆえに、宗教が違うベトナム以南の東南アジア諸国は、含まれない。ましてや、インド、ロシア、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドは、少なくとも経済共同体としての「東北アジア共同体」の枠組みの、外に置かれる。森嶋氏のこの域内における最終構想は、EUと同じ域内共通通貨である。この構想に、私は全面的に賛同する。
私と森嶋氏が違う点は、日本にイノベーションをもたらしうる隣国への焦点の当て方であり、ゆえに真っ先にアプローチするべき隣国の選び方である。森嶋氏は戦前に海軍に徴集された戦争経験者であり、あの戦争が中国への日本侵略から始まったことを、骨身にしみて知っていた。だから、彼の構想が、日本の社会経済を復活させるフロンティアを中国に他ならないと位置付けているのは、経験から導かれたものであると批評したい。
しかし私の意見は、真っ先に日本が求めるべきフロンティアは、コリア半島である。それは、私の経験から来る直感であり、そして二十一世紀初頭における両国の経済と民度の発展度合の近さ、それから両国の行き詰まった現状に対する最も効き目のある薬であると判断できる展望から、導かれたものである。いずれ両国は中国に向かって開かなければならないが、日本とコリア半島との差と、両国と中国文化圏との差は、いささか開きがある。
段階的な構想を持った方が、よいと私は考えている。政治的枠組みとしてまず三国共同体を作り、経済のすり合わせが必要な市場統合と通貨統合については、まず日韓で行い、中国は条件が整い次第、拡大するのがよいであろう。もちろん、中国にも大きなメリットがあることを実をもって示さなければ、かの国は乗ってこない。関税及び非関税障壁の撤廃、域内投資活動の自由化、域内雇用の自由化をスケジュールとして示しながら、日韓にとって懸案である食料品他の品質管理、雇用条件の向上、国際的犯罪防止システムの構築を、中国側に求めなければならない。その先には、かの体制に政治プロセスの民主化と、民衆に対する法の支配の貫徹と、広大な国内に住まうマイノリティー民族文化の真摯なる尊重とを、人類のために我々は促していかなくてはならない。
上の引用は、森嶋氏が中国国内の大学で講義した際の、経験である。森嶋氏は、中国学生の真意を聞きたくて、あえて謝罪の意を控えた。むしろ、「民族もまた発狂しうる」(pp.151)という説明を用いて、かの国の文化大革命と類比させ、倫理的判断を避けた。そうして、これからは過去と違って相互協力し合わなければならないことを、学生に向けて語ったのであった。「中国学生を一応納得させることに成功」したと、森嶋氏は講義の結果を判断している。
森嶋氏は、上の引用のとおり、日本が謝罪しなくてもよいと言っているのではない。
日本人の歴史理解を曖昧にしたままで、日中両国の関係を先に進めることはできない。「アジアへの侵略は弁解の余地がない。謝るべきです。それも心から謝れば、将来に向かって話し合えるようになる。」(1998.11.21付東京新聞夕刊における談話の引用。pp.157)
彼もまた私同様に、悪事については謝罪して、その悪事の原因を日本国が二度と起こさないように反省しなければ、将来の共同体建設を進めることができないと、考えていた。コリア半島について言えば、二度と秀吉のような侵略を起こさないことを誓い(私の友人の夕映舎氏は、秀吉の侵略を耄碌ゆえの誇大妄想だったろうと批評していた。だがその点については、私は別の意見を持っている。私見では、秀吉の海外征服事業は、元来信長のプランであったと、推理している。)、大切な隣国を植民地化した過去に痛恨を感じて詫びる必要があるだろう。2002年9月、当時の小泉首相はピョンヤンにおいて、「植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛をあたえたという歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」した。
では、2002年9月以降、日本の隣国に対する姿勢に、何が足りないのか?
答えは一つ。
将来に向けた、具体的なプランである。
日本の持てる力を、地域の繁栄と、民の幸福と、戦争と圧制の恐怖から和らげる救済に向けて、ひたむきに汗をかく努力である。この努力が日本政府と日本社会に何一つ見えないことが、韓国も、中国も、いまだに批判の手を休めない、口実となっているのだ。結局、口だけかよ。そうだ、口だけなのだ。あんたらとは、関わり合いたくないの。私は、米(アメ)さんに恋して、頼って、尽くしてるの。あんたらなんか、嫌い。
小泉首相の日朝宣言後の北朝鮮や韓中に対する強硬姿勢、その後を継いだ安倍首相の輪をかけた強硬姿勢。これは、明らかにアメさんへの色目であり、そして己の選挙基盤の反アジア的意見に、引っ張られたものである。自民党外交のこの方十年は、東北アジア構想を大きく後退させてしまった。インド、ASEANと提携、、、?そんな迂遠な外交が、日本社会を救う特効薬になるとでも、思っているのか。北朝鮮核協議を踏み台にした、六国共同体、、、?それは安全保障であって、安全保障ももちろん大事であるが、経済と社会の行き詰まりは、安全保障では解決されない。日本人をもっと幸福にするプランを、どうして考えないのだろうか。考えない政治家は、政治家とはいえない。政治屋。いやさ、テクニックで顧客の無理難題をゴリ押しして通す、「政治師」とでも呼ぶべきであろう。
桜の季節用にトップページを編集していたら、過去に撮った洛東の桜たちが、思い出されてならない。
-そうだ、竹中稲荷には、ぜひとも行かなければならない。
知られていないが、神楽岡竹中稲荷は、京都の桜で個人的に最も美しい地点の一つであると、私は人に薦めたく思っている。薦めたいが、名所なんぞになってほしくない。もどかしい、ところである。
-日本は、こんなにも美しい。外国人には、日本のよいところを、賞賛してもらいたいものだ。
ここ最近の私は、政治に悩むあまり、日本のネガティブな面を抉り出して断罪しなければならないという思いに、駆られていた。
その思いは、今でも忘れたわけではない。日本の過去の悪事は悪事として、目を背けてはならない。
しかし、それよりもさらに、日本の良い面は、確かにある。ありすぎるほどにあることを、自分が撮った写真を見て、思い出した。
二月に、私が韓国の思いもよらなかった美徳なる面を旅行して見たことが、以降の私を走らせているのではないか。
じつに悲しきは、両国の国民が、隣国の美徳なる面を、ちっとも知っていないことである。
私は、韓国人に、日本の良い面が余りあることを、伝えなければならない。
そして同時に、日本人に、韓国の良い面が余りあることを、伝えなければならない。
憎むべきは、己を誉めて相手を貶める精神であり、己を卑下して相手に媚びる、精神ではなかったのか。その両者を、斬らなければならない。
-ソウルに、行かなければならないな。
私が二月に行った慶尚道は、韓国の歴史で言えば、両班(ヤンバン)の牙城。
最も、保守的な地域であった。
北部の平安道、黄海道が日韓併合前後にキリスト教によってラディカルな抵抗運動を繰り広げたのとは対照的に、慶尚道は「本学」つまり朱子学から来る攘夷思想によって、ラディカル化した。
今回の旅行ではどの辺が両班の伝統と言うお国柄であったのか、それともそんな伝統はなくなってしまったのか、私にはよく分からなかった。
しかしソウルは、慶尚道とはまた違う世界のはずに、違いない。